経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

企業城下町の終焉と非工業都市の可能性~明治維新以降の工業成長の次にある成熟型経済への入り口―木下 斉

【連載】誰も言わない地方企業経営のリアル(第6回)

かつて日本では重化学工業企業が立地する「企業城下町」が成功都市の一つであり、多くの都市の羨望の的、「いつかは超大企業が地元を選んでくれれば安泰だ」と多くの人たちが思い、いまだに企業誘致に取り組んでいます。しかし現在はこのような大手企業群に依存する企業城下町モデルが続々と終焉を迎えています。日本が成熟経済社会になるために、これからは非工業都市の可能性にも目を向けなければなりません。(文=木下 斉)

木下 斉氏のプロフィール

木下斉
(きのした・ひとし)エリア・イノベーション・アライアンス代表理事。1982年東京都生まれ。高校生時代からまちづくり事業に取り組み、2000年に全国商店街共同出資会社の社長就任。同年「IT革命」で新語流行語大賞を受賞。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。09年一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンスを設立。全国各地の地域再生会社への出資、役員を務める。著書『まちづくり幻想』『稼ぐまちが地方を変える』『凡人のための地域再生入門』等。
全国各地の最新情報を配信するnote「狂犬の本音+」(https://note.com/shoutengai
音声で地域のリアルを伝えるvoicy「木下斉の今日はズバリいいますよ!」(https://voicy.jp/channel/2028

都市成長を牽引していく「企業城下町」の終焉

 昨年、広島県呉市において60年操業してきた日本製鐵が高炉を停止し、協力企業も含めて1万人規模のリストラを行うことになっています。戦前には軍港として急成長、戦後は製鉄、造船で栄えた呉市にとっては大きな転換点を迎えました。さらに和歌山県有田市において80年の歴史持つENEOS和歌山製油所の機能停止が発表され、現地は大騒ぎになっています。同工場は和歌山県の製造品出荷額の20%弱、有田市に至っては90%以上のシェアを持つ産業中心でもあり、大きな経済インパクトを持っています。

 大規模な重化学工業系の工場で大量の雇用が生み出され、地域としての外貨獲得の大きなエンジンとして都市成長を牽引していくというモデルが一つの終わりを迎え、ある意味では本来の地域の持つ力と向き合わなくてはならない時代が到来しているとも言えます。

100年続いても終わるものは終わる「山高ければ谷深し」

 工業というものは私が言うまでもなく、産業革命以降に全世界で大きな力を持っています。今も引き続き強い力を持つ一次産業、三次産業では比較にならないほどに集中的な富を生み出すモノ経済のロジックです。

 しかしなから、一次産業としてものは土地に根付くものなので極端な地理的移動というものがあまり起きませんし、三次産業もその地域の内需を基礎に成長するか、観光業のようにその地域の環境資源などがテコになるので競争こそあれど地理的移動が乏しいです。

 一方で工業は世界中の国がその中心を握ろうとしのぎを削るとともに、若い安価な大量の人口を抱える新興国が優位に働き、常に世界中でその中心が移動してきたものでもあります。人口ボーナス期を続けていた明治以降の日本の工業化もまた、当然ながらそのロジックでかつて欧州や米国が持っていた工業分野のグローバルシェアを奪い、成功を収めてきたわけです。

 地方の企業城下町はその時代に成立したものであり、未来永劫続くものでもないのです。日本の企業城下町も、産業競争力が低下した分野から何十年も前から終わってきていました。繊維、紡績などは軒並み終わり、エネルギー革命もあって産炭地も終わりました。常に工業分野は変化が激しく、100年続いたとしても、終わる時はあっけなく終わるものです。別の役割を持つ国、地域に移動していくのです。

 福島県いわきの炭鉱閉山、常磐ハワイアンセンター開業を描いた『フラガール』という映画の中で、「じいちゃんの時代から山に入ってる。100年続いた炭鉱、そう簡単に潰れるわけがない」という趣旨のセリフが出ています。しかし、100年続いたとしても、その次の100年はゼロになることは普通にあるのが工業なのです。過去にどれだけ繁栄しても、それは未来とは全く関係ないのです。

欧州各国、米国も通ってきた衰退と再生の歴史

 2013年頃、イギリスのマンチェスター、リバプールへ都市再生ケースを見に回ったことがあります。誰でも社会の教科書で習ったイギリス産業革命の中心都市圏ですが、戦前の最盛期には各都市70万人、巨大都市圏として140万人規模にまで成長したところが、戦時中には空襲なども受け、産業競争力も低下した結果、都市圏として80万人の人口が減少。世界経済における圧倒的シェアを誇った時代から転落し、ヨーロッパ最大のスラム街が形成されるまでに至ったという衝撃的な衰退を経験しています。リバプールの都市中心部再生を推進する官民出資会社の会長さんと話をしていたら、「あまりに仕事がなくてビール飲んで歌ばかり歌っていたら、ビートルズが出てきたんだよ」なんて冗談めいて言われました。

 もっと直近で言えば1970年代、80年代の米国の産業空洞化は軒並み日本企業の成長によって奪われた分野が多く、日米構造摩擦に発展したことで多くの読者の方の記憶にも残っていることでしょう。デトロイトは80年代からその成長に陰りが出て、『ロボコップ』なんて崩壊したデトロイトを舞台にする作品が生まれるほどでもありましたし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では未来の電気製品がすべて日本製で一番間違いない、なんて描かれるシーンが登場するほどでした。

 米国は90年代以降、古典的な工業分野の落ち込みをカバーしても余りあるほどのハイテク産業の成長をグローバルで実現できたことで経済復活を果たすことに成功。かつては衰退極まり、財政難から公共交通などを中心部だけに限るような成長管理政策を取るような西海岸都市の多くが見事復活、むしろ人口増加が激しくなって2010年代以降はホームレス問題と向き合うことになるほどでした。しかし従来型工業都市はまだまだ再生途中のものが多くあります。

 欧米各を見て回るとかつての工業都市の衰退と廃墟が多数あり、そこを切り捨てて旧市街地だけに限って都市再生を実現しているものも多くあり、いかに工業で1度広がった都市規模を丸ごと再生することは困難であるかを物語っています。

非工業型地域の持続可能な成長は始まったばかり

 特に歴史が長くある欧州地方都市において長期にわたって繁栄を続けている地域は、ワイン、チーズ、皮革産業などのカテゴリーでしっかり歴史を重ねてきているところです。これらの産業は一次産業と紐付いているので、その原材料が生産される土地から移動することが困難であり、さらに法律などでその地域で生産、加工されているものを要件にするよう設定されているものが多く存在しています。

 例えばフランスでは、かつての炭鉱町、紡績で成長した地方都市はフランス産業革命期には大成功都市であり、ワイン製造などをしているところの付加価値生産なんてものは大したことはありませんでした。しかし長期で見ると、それらの都市は衰退。むしろワイン生産などを続けて、ブランディングを行ってきた地域は今でも繁栄を続けています。先日も21年にシャンパーニュ販売額が過去最高を記録し、暫定値で過去最高の55億ユーロ(約7,100億円)に登ると発表されています。シャンパーニュメゾンが集積するエペルネーはわずか人口2.3万人程度の小都市ですが、1人当たり平均所得はフランスが一番になることもあります。世界分業が当然の工業と異なり、シャンパーニュは当然ながら地元の農地で生産された葡萄を現地で加工し、世界に販売されるので、地元にお金が多く落ちるのです。その土地でなくてはならないからこそ、より生産コストが安い地域であったり、ハイテクによるイノベーションが起きる地域に移動するわけではないため、最古のワイナリーから数えれば500年単位で同地域は繁栄を続けているのです。

 日本も明治維新から150年程度、戦後77年経過、工業化の歴史はまだまだ短いために、工業都市の必然の盛衰をまだ受け入れ慣れていませんが、これからますます増加していくでしょう。日本企業の投資先が国内から海外にシフトしていったのは1970年代からですから、もはや戦後直後の高度経済成長期の工場群老朽化と、国内市場低迷と国際競争の視点から閉鎖していくのは必然です。欧米各国がかつて通った道を、日本も今まさに続々と通っているだけなのです。むしろ日本企業が世界でも有数の成長市場であるアジア各国にいち早く進出し、高い投資収益を得られているのは、幸運だと私は思っています。

 歴史的必然を受け入れながら、今度は日本国内においても工業分野では成功しなかった非工業型地域の可能性にも目を向けるべきと思っています。これまでは工場が来なかった、何もない、なんていっていた非工業地域は山がなかった分、谷も浅く済み、食文化など含めた土地に根付く蓄積が残っています。それらを狙って地方のさまざまなところに海外からも顧客を集めるオーベルジュやレストランの集積が進んできています。農業地域も単に都市部向けの食糧生産から転換し、付加価値の高い農作物を作り、輸出と向き合い始めており、今後の成長機会が期待されます。

 工業都市の終焉はまだ続くでしょう。一方で、非工業地域の成長もまた始まったばかりと各地を回りながら感じています。しかしこれもまた日本が成熟経済社会へと向かう一過程であり、生産年齢人口を大幅に減少していく中では決して悪いことではないのです。前向きな産業転換だと受け入れていきたいところです。