和食と言えば醤油の風味。1917年、千葉県野田市周辺の醤油醸造家8家がキッコーマンの前身となる野田醤油を立ち上げた。以来、100年以上の歴史を13人の社長がつないできた。2021年6月、14代目の社長に就任した中野祥三郎氏に、長寿企業の社長の心得を聞いた。(『経済界』2022年3月号より加筆・転載)
中野祥三郎・キッコーマン社長COOプロフィール
未来を見据えて長期で取り組むキッコーマンの事業
―― 創業家一族の出身ということで、キッコーマンの社長就任は必然的な未来でしたか。
中野 全くそんなことはありません。キッコーマンでは、創業家一族の出身者が増え過ぎないように、入社できるのは一つの家で一世代一人だけというルールがあります。次男の私は、長男が入社するものと思っていました。しかし健康面の事情で、私が大学生の時に突然父からキッコーマン入社の話を受けました。ですから、ある意味ピンチヒッター的に入社することになったんです。その後はとにかく食を通じてみなさんに喜んでいただくことだけを考えて仕事に打ち込んできました。
―― 歴史の長い企業の社長を務めることに特別な意識はありますか。
中野 目の前の仕事を一生懸命やるだけですから、特別な気負いはありません。ただ、われわれが扱う基礎調味料は、ブーム的に需要が増えるものではなく、じっくり未来を見据えて長期で取り組む事業です。
過去に目を向けると、われわれは野田の土地で江戸時代から醤油を商いにしてきました。江戸の食文化を担い、その後も日本の食文化を支えてきた歴史があります。また、今から60年以上前、第二次世界大戦後にはアメリカに進出しました。ヨーロッパでは、40年以上前から事業を開始し、今が一番成長しています。
このように、今の私の意思決定が10年後20年後に花開くという事業ですから、何十年後かに花開く未来を信じ、毎日の仕事に取り組んでいます。
キッコーマンの今後のグローバル展開
―― 今後も世界での展開は拡大していきますか。
中野 当社の長期ビジョン「グローバルビジョン2030」では、20年代に南米を、30年代にインドとアフリカを「成長ステージへ」という目標を掲げています。アフリカ市場が本格的に成長するのは、ひょっとするともっと先になるかもしれません。アメリカやヨーロッパのように長期間にわたる取り組みになることを覚悟し、未来を見据えて30年代くらいから本格的に事業を拡大していこうという意味で設定しています。
―― 海外で醤油を広めるコツは何でしょうか。
中野 アメリカの例で言えば、進出当時、現地の一般的なご家庭で日本食を作る機会はありませんから、日本食と一緒に醤油の活用法を提案していくのは非常にハードルが高かった。そこで、例えばぶりの照り焼きの要領で、肉のテリヤキを提案したり、バーベキューで使ってもらうなど、現地の食材と嗜好に合わせて、醤油を活用するレシピを考案していきました。調味料というのは、各家庭や外食産業で料理にしていただいて、それでやっと完成するんです。現地の食文化を構成するひとつの要素として定着することを目指して提案を重ねていきました。
それ以外にも、その国々の社会・経済の発展状況をよく見極める必要があります。江戸時代から日本で醤油が発展したのは、自然環境に恵まれたことで新鮮な野菜や魚が豊富に出回っていたことが大きい。というのも、醤油というのは素材の味を引き立たせるのが特徴の調味料です。素材の質がある程度良くないと、醤油の魅力も半減してしまう。経済が発展し流通や小売りの環境が改善されることで、新鮮な食材が出回るようになってこそキッコーマンの醤油の本領発揮というわけです。
―― 展開が難しそうな地域はありますか。
中野 インドですね。現地の料理は香辛料が豊富なので醤油との組み合わせが難しい。ただ、醤油もインドのスパイスも「香りの調味料」というのは共通しているので、何とか良い提案ができないか試行錯誤しているところです。
他には、東南アジアも欧米とは異なるアプローチが必要かもしれません。このエリアにはもともと醤油と似た風味の調味料があり、当社の本醸造の醤油と比較するとどうしても現地の製品の方が安く、価格面がネックになる。ただ、醤油が高いといっても調味料ですから、全く手が届かないような価格帯ではありません。時間はかかるかもしれませんが、本醸造方式で造る醤油の魅力を伝えていけば十分に戦えると思っています。
基礎調味料は浸透するのに時間がかかりますが、一度溶け込めば長く愛される商品です。インドや東南アジアでも当たり前に醤油が使われる未来に向けて進んでいきます。
食のイノベーションは食文化の交流や融合から
―― キッコーマン流の食の未来を創造する極意とは何ですか。
中野 まるっきり新しく創造するのではなく、既存の食文化に溶け込むことが大事だと思います。これをキッコーマンでは「食文化の国際交流」と呼んでいます。イノベーションは組み合わせから生まれるという言葉があるように、食の世界でも交流や融合からイノベーションが生まれ、未来を作り出すと考えています。
食文化の融合というと、例えば非常に大きな流れでは、「和食」が世界で受け入れられてきましたよね。ユネスコの無形文化遺産に登録されたこともあり、「和食的」なものが世界で広がっている。今後も、和食が世界の食文化と融合を続けていくでしょうから、当社としてもそこは大きなチャンスです。また、18年から20年まで東京の有楽町で、「キッコーマンライブキッチン東京」という、和洋中のシェフがコラボレーションした料理を提供する場所を作りました。まさに融合による新しい食文化の提案ができたと思っています。
食のイノベーションと言えば、技術の進歩も大きく影響します。近年は代替肉など新たな食材が増えてきました。われわれ自身が代替肉を作るということではなく、代替肉をよりおいしく召し上がっていただくためにキッコーマンの調味料が役に立てるのではないか。こうした新たな食材との組み合わせも市場創造の機会だととらえています。
―― 豆乳も10年続けて生産量が伸び日本の食生活に溶け込みました。
中野 08年に紀文食品さんから豆乳の製造販売事業を手掛ける紀文フードケミファを買収した時に比べ、売り上げが約3倍になりました。それだけ豆乳が社会に根付いてきたのだと思います。豆乳は健康的な要素が強く買収時からそれなりに伸びるだろうと予想はしていましたが、ここまでの成長は想像以上です。
豆乳がここまで広く受け入れられた大きな要因は、近年の健康意識の高まりがあると思います。また、加工技術の進化によって豆臭さを低減できたことも要因の一つだと考えています。その他には、豆乳は環境負荷が低いということがあげられます。ただおいしい、ただ健康に良いというだけでなく、生産過程で地球環境に対してどのような影響があるのかということも、近年の消費者の選択の根拠になっていると感じます。
社会的な価値を創造することで経済的な結果もついてくる
―― 消費者に選ばれ続けるためには地球の未来に対する責任も問われるということですか。
中野 そういう傾向は強まっています。キッコーマンとしても、「地球社会にとって存在意義のある企業をめざす」というのは大きな命題です。
具体的には、「地球環境」「食と健康」「人と社会」を重要な社会課題3分野として取り組んでいます。仕事は、何でもそうだと思いますが、周りの方に喜んでもらえることが基本です。社会的な価値を創造するなかで、売り上げや利益など経済的な結果もついてきます。
コロナ禍で夜のお付き合いや出張にも制限がかかり、ゆっくり考えを深めながら仕事をする時間を取ることができました。その中で特に考えているのは、食を通じて世の中に調和を生み出すことができるのではないかということです。
人類にとって同じ食卓を囲むことには根源的な意味があるのだと思います。例えば互いの利益を主張し合うシビアな国際会議などでも、お酒を交えながら食事をして一気に心が開けることがあります。何かと対立が目立つ今日この頃ですが、社会の分断を緩和することに食は役立てる。具体的に事業活動として何をやるかはまだ先ですが、食にはそれだけ大きな価値があるのだと思います。
―― 「おいしさ」や「豊かな食」って何でしょうか。
中野 非常に難しい質問です。われわれはコーポレートスローガンとして「おいしい記憶をつくりたい。」を掲げていますので、答えないわけにはいかないですね(笑)。
まずはやっぱり個人の味覚の好みはありますよね。ただ、いくら好きなものでも毎日食べたら飽きるでしょう。同じ料理でも、誰が作ったか、誰と食べたかでおいしさは変化する。それから、その時の自分の体調もありますし、季節や天候、旬などの影響も受ける。やっぱりこれだ! と絞り切るのは難しいですね。
ただ、バリエーションがあることが食の楽しさ、おいしさなのかなと思います、画一的じゃないというかね。私個人のおいしい記憶の話で言えば、コロナで妻と食事をする機会が増えまして会話も増えました。それで夫婦仲が良くなったのかは何とも言えませんが(笑)。
いずれにしても「おいしい」には無限の可能性があるのは間違いない。これからも社会に新たな価値を創造する会社であり続けます。