1873年、渋沢栄一は西洋式の大規模な製紙工場「抄紙会社」を東京・王子に設立した。それから合併を繰り返して巨大製紙会社へと発展したのが、現在の王子ホールディングスだ。昨今は、脱炭素の流れが加速する潮流に合わせた製品開発を進めている。今年4月に社長に就任した磯野裕之氏が語る王子ホールディングスの未来とは。聞き手=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2022年11月号より)
「こんなことはあり得るのか」原燃料の変動で大幅コスト増
―― 感染症や政治問題など、世界的に情勢が不安定な中、今年4月に社長に就任されました。5月に今期の見通しを発表した際、原材料と燃料価格の高騰で、前年度比850億円程度コスト増の懸念があると述べています。その後の状況はいかがですか。
磯野 まだまだ原燃料の価格動向は読めません。8月上旬時点で改めて計算し直したところ、1200億円ほどのコスト増になる可能性があります。これは昨年の当社の営業利益に相当する金額です。
私は1984年に王子製紙に入社して、2000年前後から経営企画に関係する仕事をしてきました。その間には08年のリーマンショックや11年の東日本大震災など、大規模な混乱が多くありましたが、こんなにも短期間で諸情勢が変わる事態は経験がありません。まさに「こんなことはあり得るのか」というレベルです。
―― 資源価格の変動はまだまだ収まる気配がありません。業績への影響をどのように分析していますか。
磯野 これは長期的な課題であると認識しています。少し遡ってみると、20年からコロナウイルスの影響を強く受けて、コンテナ輸送等のロジスティックス問題が世界的に大きな課題となっていました。そこに環境問題への対応も絡むような形で、21年の秋頃からいろいろな原燃料の価格が上がり始めました。
例えば石炭の価格をみると、21年当初は1トンあたりUSドルで60~70ドルくらいで推移しており、100ドルは超えませんでした。ところが21年の秋頃から一気に上がり始め、次第に150ドルを超えるようになりました。そうこうしているうちに、22年2月のロシアによるウクライナ侵攻があり、石炭価格は400ドル以上の水準まで上昇してしまったのです。
当社の場合、石炭に限って言えば100ドル価格が上昇すると年間100億円程度コストが増えます。それが400ドル以上という驚くべき水準ですから、燃料ひとつとっても単純計算で400億円くらいコストが上がる計算になり、さらにそこに円安の掛け算が入ってきます。こうしたさまざまな要因を加味して、冒頭申し上げたような数字になっているわけです。
―― 厳しい状況下での社長就任となりましたが、重圧を実感されるタイミングなどはいかがでしたか。
磯野 王子ホールディングス(HD)は毎期のはじめにあたる4月1日に、社長が約300人の幹部社員に対して講話を行うのが通例となっています。就任初日に講話があるということで、その準備を2月頃から行っていました。ですから、ある意味で社長としての心構えをして、4月を迎えられたわけです。
ただ、同時にこの期間に社長という重責に対する緊張感が相当高まっていったのも事実です。もちろん、いざ社長になってみれば、そうした緊張感などは周囲に見せるわけにもいきませんから、しっかりとした態度で臨まなければならないと心掛けています。―― 今年は中期経営計画が刷新するタイミングでもありました。5月に発表した24年度までの計画では、営業利益1500億円以上、純利益は連結1千億円以上という業績目標を打ち出しました。磯野社長が特にこだわる数字はありますか。
磯野 営業利益をしっかりと確保するように事業を進めておりますので、そこはもちろんこだわりがあります。一方で、ここ5年、6年を見ると売上高が頭打ちで推移しています。今後を考えた場合、トップラインを伸ばしていかなければ収益面はついてこないと思っていますので、中期経営計画で示した営業利益と純利益を達成するためには、売上高も着実に成長させていく必要があります。
原燃料と為替の動き次第で読めない部分も当然ありますが、事業全般の進むべき方向性については、間違っていないと考えており、外部環境がどこかで安定してくれれば、24年度の目標には到達できると思っています。
企業価値を生む森林脱プラスチックの時流を掴む
―― 事業内容で言えば、どのようにトップラインと収益を伸ばしていきますか。
磯野 これから王子HDがさらに収益を生む企業グループになっていくためには、環境問題に対応するイノベーションを起こしていくことが重要です。具体的に言えば、脱プラスチック製品でどれだけ売上収益を伸ばしていけるかは大きなポイントになります。
例えば、ネスレさんのキットカットが紙ベースのパッケージに変わり、当社の製品を採用していただきました。単純にプラスチック製品が紙製品に変わっただけだと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、製品を作って燃やすまでのライフサイクルでCO2の排出量を見た場合、プラスチック製品に比べて60%程度CO2発生量を削減できる計算になります。昨今の持続可能性を重要視する世界の流れに合致していますので、成長の可能性を感じています。
また、パッケージング分野で言えば、段ボール、紙器、紙袋といった包装資材を手掛ける「産業資材・生活消費財ビジネス」にあたります。ネスレさんの事例は脱プラスチックという潮流に合わせた成長性の話ですが、この事業領域はそれ以外でも需要が好調です。
例えば、宅配やEコマース拡大を背景にダンボールを中心としたパッケージング関係で国内の需要は伸びていますし、東南アジアなどの市場では経済成長に合わせて製品全般の需要が大きくなっています。マレーシア、ベトナム、インド、タイ、インドネシア、オーストラリア等に工場を持っていますが、増設や新工場の建設、M&Aを通じてさらにシェアを伸ばしていく計画です。
―― 時代の変化で紙製品の担う役割も増えていくわけですね。
磯野 そうですね。われわれは紙の可能性を追求してきた企業ですから、さらなる活用方法は今後も追い求めていくつもりです。
また、レシート等に使われる感熱紙やラベル等の粘着製品、フィルム製品を扱う「機能材ビジネス」という事業領域もあります。フィルム系で代表的なものには、電気自動車のコンデンサに使用される製品があり、日本では2社しか作っていません。エンジン車が電気自動車に替わっていく流れを考えれば、非常に可能性の大きな事業です。これも時代のニーズに応える商品と言えます。
―― 王子HDは、世界で約58万ヘクタールという大規模な森林を持ち、国内に限ってみても約19万ヘクタールを所有しています。これは大阪府と同等の面積であり、所有面積は日本政府に次ぐ規模です。森林所有は事業戦略上でどのように位置付けていますか。
磯野 事業領域としては、製紙原料のパルプや電力、木材製品等、木材資源を活用したさまざまな事業を行う「資源環境ビジネス」に大きく関わり、グループの今後においても大いに重要です。
森林は紙の原料にもなりますが、それ以外にも価値があります。例えば、二酸化炭素を吸収し、雨水を浄化して地下水を涵養するなど地球環境を整える作用がありますし、土砂崩れを予防する防災的な価値も大きいです。さらに、生物多様性を支える機能もあります。人間も生物ですから、癒し作用や健康増進にも役立ちます。また、木材は再生可能なサスティナブルな資源であり、石油系の化石資源とは全く異なるものです。持続可能性が大きく問われる世界の流れの中で、こうした可能性ある山林を大規模に所有しているのは、当社の価値の源泉になるはずです。
先ほど、事業セグメントのところでも申し上げましたが、素材として木材の可能性は非常に大きいです。実験室段階では、プラスチックも木材からつくることが可能ですし、木材は燃えますので、液体化すれば燃料にもなります。もちろんすぐに実用段階という話ではありませんが、木材をベースにやれることはたくさんあって、時代もその方向に動いていきます。王子グループもそこにしっかりと貢献し、時代を動かしていきます。
医療分野にまで進出した時事業構造転換が達成される
―― 木材の可能性の話を聞いていると、これまでの「製紙」から大きく事業が変化していくように感じます。王子はどんなグループになっていくのでしょうか。
磯野 木材資源を活用し、セルロースナノファイバー(CNF)、バイオマスプラスチックやバイオエタノールのような燃料、さらには医薬品などまで開発が進めば、王子HDの姿は今から想像もつかないほど大きく変わることになります。
グループの中核企業は王子製紙でしたが、10年前にホールディングス体制になった際、持ち株会社の名称には「製紙」の文字を使っていません。当時「もはや製紙企業ではない」という標語もありましたが、とにもかくにも事業構造転換に取り組むという強い覚悟と思いがあります。
先ほどから述べているような新たな分野に出ていってこそ、本当の事業構造の転換は達成されると思っています。森林資源に根付いた事業運営で、代替プラスチック製品や環境配慮型商品などを送り出していくのがこれからの王子です。単なる成長だけでは不十分であり、進化していかなければなりません。
―― 事業構造の大きな変化に向けて、事業を支えていく人材は十分に育っていますか。
磯野 これは非常に重要な課題です。もともと、紙の業界は国内がベースだったこともあり、王子グループも内需思考が強かった経緯があります。それが2010年頃から急激に海外進出が加速し、絶対的に海外で戦える人材が少ない会社と言えるかもしれません。ここは若手も含めて、積極的に現地に社員を派遣させながら強化していかないといけません。
また、いわゆるダイバーシティという言葉になってしまいますが、多様な人材を活用していくことも重要です。これまでもキャリア採用等で組織に多様性を持たせるような取り組みをしてきましたが、歴史の長い企業ということもあり、外部から参加した人が従来の王子のやり方に合わせていくような部分がありました。そうなると、多様性でも何でもないですよね。また、単純にジェンダーや国籍だけが多様性ということでもないと思います。いろんなバックボーンや経験を持っている人がいることこそが、重要なのだと考えています。教育を含めた人材活用は強化していきます。
―― 事業構造の変革という大きな目標はありつつも、世界経済の見通しが明るいとは言えません。この時代、トップとして心掛けていることは何でしょうか。
磯野 検査の偽装などコンプライアンスに関する問題が浮上する企業を見ていて感じるのは、上に対してモノを言えない企業体質は非常にまずいということです。
社長になって数カ月間、社内で私と話す時にどこか構えている人間が多いなと感じています。これは、今までも私と接点があったメンバーに関しても同じです。社長という立場ですから、なかなかフラットに話すということは難しいかもしれませんが、さらに風通しは良くしていかなければなりません。
やはりコミュニケーションが不足して情報の連絡が滞ると、何かが起きた時の対応が遅くなってしまいます。これだけ状況変化が目まぐるしい時代だからこそ、人と人の間の壁はない方がいい。長い目で見れば、コミュニケーションがよく取れている企業の方が結果は良くなっているのだと思います。風通し良く組織をまとめていくことは、社長としての大きな仕事です。