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マーケットのないところを開拓するのが森トラストのDNA 森トラスト 伊達美和子

伊達美和子 森トラスト

日本に再びインバウンドが戻ってきた。都内でも外国人観光客の姿をよく見かけるようになった。そんな彼らに人気なのが外資系ラグジュアリーホテル。しかし日本のラグジュアリーホテルの歴史は始まったばかり。その市場を開拓してきたのが伊達美和子・森トラスト社長だ。聞き手=関 慎夫、Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2023年3月号より)

伊達美和子・森トラスト社長のプロフィール

伊達美和子 森トラスト
伊達美和子 森トラスト社長
だて・みわこ 1971年生まれ。聖心女子大学文学部卒業、慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修了後、長銀総合研究所入社。98年に森トラストに入社。取締役、常務、専務を経て、16年に社長に就任した。祖父は森ビル創業者の森泰吉郎氏、父の森章氏は森トラスト・ホールディングス社長。

ホテル冬の時代に進出を決断した理由

ーー 日本経済および社会は、ようやく最悪の3年間を抜け出し、前に進み始めました。この間、経営者として何を考えていましたか。

伊達 コロナによって強く再認識したのは、社会経済は不確実であるということです。一方経営者は、どのような環境であっても会社を持続させ、成長させていかなければなりません。そこで改めて考えたのは、ポートフォリオのバランスを考えリスクヘッジしておくこと、そして短期と中長期の計画を同時に考えて舵取りをするということです。今何ができるのか、そして将来の可能性をいかに広げておくべきなのかを考え、決断する。それを改めて考えた3年間でした。

ーー ようやく人の交流も活発になり、インバウンドも増えてきました。森トラストは日本全国でホテルを展開していますから、今後が楽しみです。しかもこの事業は伊達さんが入社して以来、力を注いでいた分野ですから思い入れも強いでしょう。

伊達 私は1998年に入社し、開発事業を担当しつつも、その傍らでホテル事業にも関わり始めました。ホテル事業の成長は、会社のためになるだけでなく、社会のためにもなるだろうと考えたからです。当時はホテルの新規開発は、環境としては厳しく難しい時代でした。なぜならバブル経済崩壊後、国内旅行者は減り続けたからです。中でも若者の旅行離れが深刻で、旅をするにも宿泊せずに日帰り思考となり、国内旅行の消費額が人口縮小以上にどんどん小さくなっていきました。

 そのような環境下ですから、地方でリゾート開発をするのも容易ではなく、都心部でもオフィス床をおさえてホテルをつくるというのは現実的ではありませんでした。それでも、私はホテル開発をしたいと思い、そのためには何が必要かを考えました。

ーー 勝算があったのですか。

伊達 国内旅行者は減りましたが、その一方で世界の旅行者は増え続けていました。日本とは違い、世界は人口が増え、また中国を筆頭に中間所得者層も拡大していました。国内動向だけでなく世界動向にも注目すると、マーケットをシフトすることでホテル事業の可能性が広がるのではと考えました。

ーー 増えているとはいえ、当時のインバウンドはそれほど多くはなかったでしょう。

伊達 98年時点では400万人ほどです。小泉首相(当時)が2010年にインバウンド1千万人を目指すと施政方針演説で発言したのが03年です。その数の実現はなかなか難しいとも思えましたが、一方で世界には実際にマーケットがあり、世界旅行者は確実に増えていく。世界の動向をファクトとして認識したうえで、この将来的に伸びていくマーケットを日本に取り込むためには新規開発が必要であり、そのためにもホテル事業として成り立たせる必要がある、と複数の視点からあるべき論と方法論を考えていきました。

 まず、短期的な視点では、海外のチャネルを取り込むために、ドメスティックブランドのホテルだけではなく、インターナショナルブランドと組むことが最適な方法論だと考えました。外資系ブランドは契約条件が厳しいことで知られていましたが、ブランド側にも日本に進出したいという思いがあったので、日本のオーナーも納得できる契約条件になるよう交渉し、合意することができました。次に、中期的視点では、不動産賃貸事業を柱とする森トラストが、不動産事業としてホテル開発をするためには、ホテル運営そのものを、一つの事業として成り立たせる必要がありました。生産性を上げて収益が上がる施設運営を習得するのです。 まずはホテルのオペレーションとはどういうものなのか、からスタートし、大改革を行いました。

 そして、長期的視点で開発をとらえます。使い勝手がよくお客さまの目的地となる施設であり、同時に運営者に過度の負担がかからない施設づくりを考えていきました。良い立地に良い箱を建て、きちんとしたオペレーションを行い、マーケットをつかむことができれば絶対に成功するという信念です。そして、ホテル自体が不動産としてオフィスに類似した収益案件として認識されれば、当社としても新規のホテル開発をさらに展開することができ、他の事業者さんも参入してくる。そうやって、東京や日本国内のホテルマーケットが形成されていくのです。

国際化には不可欠と考え高級ホテルで特区の認可

ーー 05年に森トラストの外資系ホテル第一号であるコンラッド東京(東京・汐留)がオープンします。

伊達 新規開発案件の中にコンラッドを誘致しましたが、コンラッド東京の運営は、すべてコンラッドが行っています。実はその時点からすでに、将来はフランチャイジーとして、自らオペレーションしたいという思いもあり、自社ブランドのラフォーレホテルをリブランドしようと考えました。しかし残念ながら、当時実績がないわれわれに任せていただくことは難しく、実現しませんでした。そこで、フランチャイズ運営の実績を上げるため、仙台市内の開発案件の中でウェスティンホテルの誘致とフランチャイズ化を成功させました。また、開業までの間に、グループホテルでの運営における実務研修や生産性向上のためのノウハウを蓄積し、その集大成としてウェスティンホテル仙台を開業しました。地域で注目を集め、また、震災後の国際会議の対応を行うなど、仙台での実績を積んだ結果、今では東京でもどこでもフランチャイジーとして運営できるようになりました。

ーー 森トラストが運営する外資系ホテルは、ラグジュアリーホテルと呼ばれるものばかりです。外資系にはほかにも単価の安いスタンダードホテルもあります。そちらの展開は考えなかったのですか。

伊達 これはやはりラフォーレを手掛けていたからでしょうね。ラフォーレは40年以上前から始まっている事業ですが、早い段階から一部屋40平方メートルほどと広く設計しており、われわれとしてもお客さまが快適に過ごせるようなホテル開発・運営をしているという自負心がありました。ただ、ウェスティンホテル仙台を開業した時に、仙台市に40平方メートルの客室のマーケットがあったかというと、そうではありません。いわゆるシティホテルと呼ばれるホテルでも客室は30平方メートルぐらいでした。そこにゆったりとした客室のホテルをつくり、新たなマーケットを開拓していったのです。

 これは森トラストのDNAかもしれません。父(森章・森トラスト・ホールディングス社長)がラフォーレ修善寺(静岡県)をつくった時も法人会員制リゾートホテルというマーケットは存在しておらず、誰もその答えを知りませんでした。しかしデベロッパーとして、マーケットとしての数字をみてからつくるのではなく、まず受け皿をつくり徐々にマーケットを形成していく。そういう考え方でやってきました。

ーー 森トラストは現在、都内に3つのラグジュアリーホテルを展開、今年は東京エディション銀座の開業を控えています。しかも他社も東京に続々とラグジュアリーホテルをオープンさせています。少し前まで、東京には「御三家」を除くと5つ星ホテルがないと言われたのに、今では様変わりしました。ラグジュアリーホテルの開拓者として感慨深いのではないですか。

伊達 東京で開発する場合、すべてオフィスビルとして賃貸することに経済合理性があり、あるいはホテルにするにしても、ビジネスホテルのほうが収益性は高くなります。その条件下で、あえてラグジュアリーホテルをつくるというのは、経済合理性で考えると、普通は判断できるものではありません。

 シャングリ・ラ東京の誘致に成功した丸の内トラストシティの行政手続きにおいては、東京駅前に高級ホテルがあることが、東京の国際競争力向上につながると信じ、東京都と協議しました。東京は今後国際的にも重要なマーケットになるため、香港やシンガポールのように、インターナショナルホテルが数多くある都市を目指すべきだと考えていたからです。

 東京で都市開発を行う場合、都市再生のために高度利用を図る都市再生特別地区に指定されると、容積率の緩和を受けることができます。通常は広場や地下通路などのインフラを整備することが評価対象となりますが、丸の内トラストシティの場合は、シャングリ・ラ東京というラグジュアリーホテルそのものがもたらす経済効果を評価してもらうことで、容積率の緩和を受けたいとアピールしました。そうでなければ、誰も高級ホテルはつくらない。国際都市東京としてそれでいいのかと交渉したのです。

 04年ごろから協議を開始し、認めてもらうまでに2年以上の時間がかかりました。われわれの丸の内の手続きが成功したことにより、ラグジュアリーホテルがつくりやすくなり、国内に増えた背景があると思っています。またその結果、東京が国際的に重要なマーケットとしてとらえられるようになったことはうれしく思います。

ホテル事業でもポートフォリオを重視

ーー インバウンドが戻ったこれからが収穫期です。でもコロナ禍でインバウンドがゼロになった時は、ホテル事業などやるのではなかった、と思いませんでしたか。

伊達 そこで生きてくるのがポートフォリオの分散です。ホテル事業はシティ系とリゾート系の両輪で回しており、そのなかでもドメスティックとインターナショナルがそれぞれあります。例えば宮古島のホテルは、海外に出かけられないお客さまにたくさん来ていただいたおかげで、コロナ前より成長できました。また不動産というのは、20年、30年のスパンで考えていくべきで、財務的バランスが取れていれば多少のデコボコはかまいません。

 例えばリゾートホテルの中でも、成績優秀なところとそうでないところがあります。でも時代によってニーズが変わるため、今厳しくても、いずれ人気となることもあります。ですから同じ方向のものに集中的に投資するのではなく、あえて分散させることが重要になってくるのではないでしょうか。

ーー 今後、ホテル事業をどこまで伸ばし、ラグジュアリーホテル市場でどれほどのシェアを取ろうと考えていますか。

伊達 周りと比較して戦うことはあまり考えていません。森トラストの事業の中では、まだオフィス事業の占める割合が大きい。今後も成長させていきますが、それ以上にホテル事業を伸ばし、オフィス事業と同じレベルにまで成長させたいという思いは持っています。それが自分にとってのホテル事業の目標です。