ウクライナで既に2年以上続く戦争は、日本の安全保障にとっても他人事ではない。この戦争のありようは、日本が近い将来に直面しかねない事態を暗示しているからである。直接的な武器を保有することだけが防衛力とは言えない今、日本はどのような備えができるだろうか。文=小泉 悠(雑誌『経済界』巻頭特集「防衛産業の幕開け」2024年5月号より)
小泉 悠 東大先端科学技術研究センター准教授、軍事アナリストのプロフィール
ロシアとウクライナから見る軍需産業と軍事力の関係
現代戦における消耗のすさまじさを例にとると、ピーク時のロシア軍は、ウクライナの戦場で毎日5万~6万発もの砲弾を発射した。陸上自衛隊の弾薬庫が数日で空になるペースである。さらにロシア軍は2年間の戦争で約2600両の戦車を喪失しているが、陸上自衛隊の戦車保有数は400両というところに過ぎない。それなりの規模の軍隊同士が正面から殴り合ったとき、いかにすさまじい消耗が生じるものであるのかが、以上の数字からは理解できよう。
しかし、戦争が2年続いているということは、ロシアもウクライナもこの消耗に耐えているということだ。もちろん、手持ちの兵器や弾薬だけではとても足りない。そこで問題になるのは、有事においてどれだけ増産に対応しうるか、損傷した兵器の回収と修理を行えるか、そして予備兵器の現役復帰を迅速に行えるかである。
これらのほぼ全ての指標において、ロシアはウクライナ(と同国を支援する西側諸国)を上回っている。ソ連崩壊後もロシアの軍需産業は大量の人員や設備、敷地などを抱え、西側と比較して著しく非効率であると言われてきた。ビジネスの観点からすればまさにそうなのだが、軍事的に見ると、その非効率さは冗長性に変わる。2023年だけでロシアは200万発の砲弾を生産し、1500両の戦車を新規生産ないし予備から現役復帰させた。24年には、ロシアの砲弾生産能力は年産350万~400万発にも達する可能性が指摘されている。EUのウクライナに対する砲弾100万発供給計画が進捗度5割強で失敗に終わったのとは対照的であるし、旧式兵器を現役復帰させるペースも西側は全体的に遅い。
どこの国でも、軍需産業は「ビジネス」と「国防」という2つの相反する要求のはざまに置かれる。それが冷戦後の欧州では、前者の要求が極端に優位となり、有事において国防上の需要を満たすだけの生産能力があるかどうかがほとんど度外視されてきた。これに対してプーチン政権下で再国有化が進んだロシアの軍需産業は、「国防」の論理で動いている度合いが相対的に高い。
現在、ロシア軍は1日に1万~2万発の砲弾発射能力を持つのに対して、ウクライナ軍は2千発程度しか撃てていないという。この差は、欧州の東西における軍需生産能力の差をほぼそのまま反映していると言ってよいだろう。
他方、ロシアの軍需生産能力がこのまま保つのかどうかについては、懐疑的な見方も多い。半導体などのハイテク技術製品、工作機械、それらを駆動する産業用ソフトウェアなどの大部分が西側に依存しており、開戦後は軒並み禁輸対象となってしまったからだ。今のところは友好国ルートを介して禁輸を回避しているが、戦争が長引くうちには生産能力に問題が出てくるのではないかという見方を取る専門家は少なくない。軍需一辺倒で産業の裾野を広げられなかった、ソ連型経済の弊害である。
技術に関してもう一点述べると、この戦争では、新興技術への適応能力が鍵を握っている。最も分かりやすい例はドローンだろう。戦場で敵を常時見下ろして戦いを有利に進めるためには、高地を制するのが一番である。それゆえに古今東西の戦闘では高地が焦点となってきた。ところがドローンは「高地」をあらゆる場所・時点で出現させられる。この結果、「ウクライナの戦場では敵味方が常に丸裸の状態となり、攻勢に出る側が著しく不利という状況が生まれた」︱︱2月に解任されたウクライナ軍のザルジニー総司令官は、『エコノミスト』誌への寄稿文の中でドローンのインパクトをこんなふうに語っている。
もちろん、新テクノロジーの登場は、対抗テクノロジーの出現を促すのが常である。ウクライナの戦場ではドローンのコントロールを妨害するための電子戦が激しく展開されており、ウクライナ軍は1週間で1万機のドローンを消耗するという。一方、ロシアは海においてウクライナ軍の水上ドローンへの対抗策をまだ見いだせておらず、2月に入ってからだけでも黒海艦隊の艦艇2隻が撃沈された。
このような状況は、ほとんどの軍人たちにとって予想外であっただろう。したがって、ロシア・ウクライナ側は双方とも、ドローンに何ができて何ができないのか、どうすれば対抗できるのかを現場レベルで考え、必要なものを臨時に開発・生産するというサイクルを回しながら戦うほかなかった。特にウクライナ側は柔軟性の高さを発揮し、現場レベルでの対応力(戦術的適応性)はロシアよりはるかに高いとされる。他方、ロシア側の対応は一見鈍重だが、必要と見るとドローンやその対抗手段を大量生産する戦略的適応性でウクライナを凌ぐ。この戦争は、量(生産能力)の戦いであると同時、質(適応性)の戦いでもあると言えよう。
予測不可能性への対応こそが抑止力であり最大の課題
ウクライナ戦争は主に陸の戦いである。したがって、以上の話は、海と空を主戦場と想定する日本の国防政策にそのまま当てはまるわけではない。しかし、やや抽象化して考えるなら、日本が汲み取るべき教訓は少なくないのではないだろうか。
特に指摘したいのは、大抵の戦争は事前の想定から外れた形で始まり、進むということである。こちらが「次の戦争はこうだろう」と考えれば、敵は必ずその裏をかこうとする。例えば思いもよらない場所・方向からの奇襲が行われるかもしれないし、その手段が予想外であるかもしれない。または短期決戦で終わると思ったものが長期化することもあろう。すべてウクライナでの戦争で起きたことである。
こうした戦争の予測不可能性をある程度許容できないと、抑止力にも信憑性を持たせることができない。要は「日本の備えの裏をかける」と思わせてはならないのであって、そのためには想定外の事態に対応可能な余力が鍵になる。例えばロシアやウクライナは、正規軍とほぼ同等ないしその数倍に相当する規模の予備人員や予備装備を保有し、これが思わぬ長期戦を可能とした。
これに対して日本の場合、自衛官22万7843人に対して予備自衛官は4万人強に過ぎず、旧式装備も退役するとみんな破棄してしまう。予備自衛官の増員と旧式装備の予備保管制度は「裏をかかせない」ための施策として是非とも検討すべきであろう。
防衛産業のあり方にも再考が求められる。例えば「ビジネス」の論理で運営されている日本の防衛産業は、有事における装備・弾薬の増産余地は非常に乏しい。この点を改善するために一部の工場は国有化(工廠化)されることが決まっているが、その適用基準は曖昧なままである。有事に何がどれだけ必要になるかを定量的に見積もった上で、「国防」の論理から必要なものについては国が責任を持つという姿勢が求められる。
その他、非常に短い期間で新興技術に対応するために現地改造の権限を現場に与えることの是非、外国への技術的依存を低減させるための幅広い産業育成・保護政策など、考えるべきことは少なくない。本稿では扱わなかったが、サイバー領域や宇宙領域における脅威への対応も同様である。ウクライナを他山の石として、安全保障のあり方についての向き合い方を考え直すべきタイミングではないだろうか。