経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

「経営者になるために生まれてきた」会社の節目に振り返る自身の歩み 宇野康秀 U-NEXT HOLDINGS

宇野康秀 U-NEXT

4月1日の商号変更に合わせ、福山雅治さん、出口夏希さんが出演するCMをテレビや公共交通機関で放映するU-NEXT HOLDINGS。“USENとU-NEXTが同じグループであること”を強くアピールする内容だ。宇野康秀社長に、商号変更の狙いや自身の過去、未来について語ってもらった。聞き手=小林千華 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2024年7月号より)

宇野康秀 U-NEXT HOLDINGS社長のプロフィール

宇野康秀 U-NEXT
宇野康秀 U-NEXT HOLDINGS社長
うの・やすひで 1963年、大阪府生まれ。88年リクルートコスモス入社、89年インテリジェンス(現パーソルキャリア)創業。98年大阪有線放送社社長、2010年旧U-NEXT社長、17年12月から現職。

動画配信事業は快調。長期的には海外展開も視野に

―― 4月1日、USEN-NEXT HOLDINGSからU-NEXT HOLDINGSへと商号変更を行いました。これにはどういった狙いがあるのでしょうか。

宇野 これまでもグループの転換点となるタイミングで、何度か商号変更を行ってきました。当社の始まりは私の父が創業した大阪有線放送社ですが、私が引き継いだ後、創業時から行ってきた有線放送に加え、ブロードバンド、高速インターネット通信とサービスを広げ、現在はその他にもさまざまな事業を展開しています。

 2017年にUSEN-NEXTHOLDINGSという商号を付けた時は、旧USEN社と旧U-NEXT社を統合し、ホールディングス体制に移行するという節目でした。そこから約7年がたち、ホールディングス体制も問題なく回り、無事増収増益を繰り返すことができている。われわれが「統合期」と名付けたフェーズを終え、次のステップに向けて進んでいくべき時だろうということで、今回の商号変更に踏み切りました。

 新たな商号には、U-NEXTというサービスの名前をそのまま使っていますが、この名前はもともと「当社グループの次のステップ」という意味で付けたものでした。グループ名は「USEN&U-NEXT GROUP」としており、BtoBブランドとしてのUSENとBtoCブランドとしてのU-NEXTがホールディングス傘下の同じ企業グループであることも商号変更を通じて知っていただければと思います。 

―― グループ内で今後伸びていきそうな事業は何でしょうか。

宇野 U-NEXTがまだまだ伸びるということには、特に疑う余地はないと思っています。

 一方、主にUSENを通して行っている店舗DXビジネスも、まだ伸びる余地のある事業だと考えています。人手不足の影響で、世の中のあらゆる店舗、施設のオペレーションに変化が生じています。われわれも配膳ロボットやキャッシュレス決済システムなどの提供を通して変化を支援していますが、今後まだサービスの範囲を広げられる可能性があると思います。予約から実際に店舗、施設を利用して退出するまでのさまざまな面をカバーできるという強みを、今後も伸ばしていきたいところです。

―― 逆に、これからよりテコ入れしていかなければならない事業は。

宇野 金融不動産事業です。これまで有線放送から店舗DXとサービスを広げ、顧客となるお店の開業から閉店までお付き合いできるリカーリングビジネスを一貫して行ってきました。時代に合わせ、顧客目線で必要だと思われる事業を展開する中で、さらにカバー領域を広げるべく始めた事業です。

 既に多くの先駆者がいる領域ではありますが、商品を一度売って終わりではなく、長くお付き合いをしてきたからこそ、経営の状況や困りごとを把握できる立場にあることが、われわれが持つ優位性だと思います。

―― 動画配信サービス「U-NEXT」は、競合となるサービスがしのぎを削る今も国内シェア2位に君臨する人気サービスです。

宇野 他サービスとの差別化ポイントとして、われわれはU-NEXTの特徴を「百貨店戦略」と表現しています。映画、ドラマ、コミック、音楽のライブなど、ありとあらゆるデジタルコンテンツを1つのプラットフォームの中に集約させる。その数の多さ、種類の豊富さこそが強みです。

 ユーザー数は2024年2月末時点で427・4万人と非常に順調に伸ばすことができていますが、いずれ横ばいになる可能性はある。そういう時のためにどうするかというのが今の課題です。U-NEXTは日本国内に特化したサービス。海外のサービスと比較してひとつ明らかに負けている点があるとしたら、国境を越えたユーザーの広がりがないところです。なので、今具体的なことを考えているわけではありませんが、長期的に見れば海外展開も考えるべきかと思っています。

―― U-NEXT以前にも動画配信ビジネスへの挑戦はされています。05年には、完全無料のパソコン向け動画配信サービス「GyaO」をリリースされました。ただ、YouTubeの猛追やリーマンショックによる影響もあり、09年にヤフーに売却。この時の経験が現在に生きている面はありますか。

宇野 「GyaO」 をスタートさせた頃は、インターネット上でコンテンツを楽しむような文化自体、あまり支持されていなかった時代でした。デジタルに懐疑的な人も多く、情報を盗まれるんじゃないかとか、もっと言えば「ネットは敵だ」くらいに考えている人もたくさんいました。そういう中でユーザーを集めるため、ある意味苦肉の策のような形で思いついたのが「完全無料」の広告モデルという特徴です。今のようなネット配信の時代を切り開いていくためには、当時はあのやり方しかなかったと思います。

 当時の技術やコンテンツホルダーさんとの関係が現在に生きている面ももちろんありますが、それ以上に、「GyaO」の経験がなければ、今のようなネット配信の時代はつくられていなかったと考えています。

経営者歴35年間で使命を感じた瞬間とは

宇野康秀 U-NEXT
宇野康秀 U-NEXT

―― 2023年、還暦を迎えられました。本誌23年2月号のインタビューでは、「熟年経営者としての新たなステージに向かう」とお話しくださったのが印象的です。

宇野 最初に経営者になったのは、1989年にリクルートコスモスの仲間たちとインテリジェンス(現パーソルキャリア)を創業した時なので、もう35年前になりますが、経営者としてどう在るかという真ん中の部分はそんなに変わっていない気がします。当時から「自分は経営者になるために生まれてきたんだ」くらいに思っているところがあって。事業家としていろいろな事業を作って広げていくことが世の中の進歩につながる。これが自分の生まれてきた意味だという思いは今も持ち続けていますね。

 唯一変わったところがあるとしたら働き方でしょうか。昔はかなりブラックな働き方をしていましたけど、今はその時に比べるとゆるくなっています(笑)。 

―― 「自分は経営者になるために生まれてきた」と感じた明確なタイミングはありましたか。

宇野 二度あります。一度目はインテリジェンスを立ち上げた時。リクルート系出身だから人材サービスをやろうとは考えていたのですが、具体的に何をやるのかはっきり決めていなかったんです。ただ当時たまたま読んでいた新聞に未来予測のような記事があって、20年後にはこれだけ人口が減るんだみたいなことが書いてあった。その頃は終身雇用が当たり前の時代で、人材の流動化を促す機関は国がやっている職安くらいでしたが、これからは民間企業でもそういう職のインフラが必要になると直感した時、これは自分が天から与えられたミッションだと思いました。 

 二度目は父から大阪有線放送社を引き継いだ時ですね。もともと有線放送のケーブルを張るために無断で電柱を利用していたことが問題になり、会社の信用の面でもある意味大きくマイナスの状態。これを正常化させ、事業を広げていくことが自分の使命だと思いました。

―― 結果、宇野さんが引き継いで約1年で正常化を果たしました。

宇野 父が余命3カ月と宣告され、日々容態が悪くなっていく中で会社を継ぐよう言われたのですが、父が亡くなる前最後に私にかけた言葉が「10年間は何もするな」ということでした。何もしなければ会社はどうにかもつはずだと。そう言い残して死んでいったのですが、結局父が亡くなってすぐその言葉を裏切って、正常化に着手しました。正常化は成し遂げられたので結果的には良かったですが、父が見ていたら「何やっとんねん」と思ったかもしれません。

 インテリジェンスは、みんなでつくった自分たちの会社だという思いで経営していましたが、U-NEXT HOLDINGSはそうして父から受け継いだ会社が母体なので、相当長い間「親父の会社をやっている」という意識があったんです。そこからいろんな事業を導入したり売却したりを繰り返して、ある意味誰のものなのかよく分からなくなってるみたいな(笑)。ただその中で、自分を含む経営陣が、その時々でやるべきだと考えることをやっていく。そんな互助会みたいなものがU-NEXT HOLDINGSだと思っています。

宇野康秀の後継はいらない。次のHD社長に望むもの

―― 現在、グループ内の時期経営幹部を育成するための教育プログラムとして、「未来塾」を開始しています。宇野さんの後継者もここから誕生するかもしれません。

宇野 もちろんそういう人材を探す目的もあって始めたプロジェクトです。先日1期生の卒業式がありましたが、まずはグループ内で経営者を目指す人の存在や、その志を発見できたこと自体に意味を感じています。

 「経営者になりたい人、手を挙げて」みたいな形だと、手を挙げられる人はそんなに多くないでしょうし、自分の中で明確に「経営者になりたい」という思いを固めることも簡単ではないと思います。未来塾というプロセスを作ったことで挑戦したい人が手を挙げやすい、そういった人がお互いに刺激し合える場所ができたことで、本当に経営者を目指したい人を発掘しやすい環境をつくれました。

―― 1期生の卒業を経て、宇野さんの中で後継者に対する考え方は変化しましたか。

宇野 それは変わっていないですね。いずれ引退することを考えた時に、私は「宇野康秀の後継者」は必要ではないと思っています。これまでも、社内でどう経営をリードしていくかよりも、チームをどう作り上げるかを意識してやってきたので、組織がしっかりできていればある意味社長は誰でもいいような面があるんです。学級委員長のような感じで、経営陣としての組織をつくれる人であればいい。

 とにかく、この会社で事業をやっていきたいという思いを純粋に強く持っている人に経営者になってほしいですね。

―― 会社として、今後目指していきたい姿はありますか。

宇野 1兆円企業を目指す中で、もともとBtoB事業をメインでやっていたこともあり、われわれのグループを一般に広く知っていただけているかというと、そうではないと思うんです。グループとして次のステップに行くためには、事業を伸ばすことと両輪でブランディングも強化していかなければならないと思います。商号変更に伴ってCMもやっていますので、世の中にしっかり当社を知っていただいて、その上で事業を伸ばしていく必要があると考えています。

―― 宇野さん自身のこれからの夢はありますか。

宇野 正直ないんですよね。今まで生き急ぎすぎちゃったところもあって、やってみたいことは一通りやった気がしていて。もちろん経営への意欲を失ったわけではないし、トライアスロンに挑戦したり、自分の趣味から発展して映画製作をやっていたりもするのですが、トライアスロンでは世界大会に出ましたし、映画も『流浪の月』で日本アカデミー賞も取りましたし。

―― 普通の人3人分くらいの密度の半生ですね。

宇野 今は逆に、ちょっと落ち着かないとなと思っています。時間を無駄に過ごしたことがなくて、常に自分で自分を追い込んできたので、少しはゆったり自分を見つめ直す時間が必要かもしれないですね。