レベル4、5の自動運転が実現すれば、運転者の不注意という概念がなくなり、交通事故は激減するはず。しかしそのためには慎重な法規制の策定が不可欠だ。交通事故などの被害者弁護を専門とする弁護士の髙橋正人氏が、政府による議論の現状を解説する。構成=小林千華(雑誌『経済界』2025年1月号巻頭特集「自動運転のその先」より)
法規制の議論は大詰め。安全な社会実装の実現なるか
2023年、政府は自動運転レベル4、5の実現に向け、法規制の検討会を立ち上げました。私はデジタル庁が中心となるサブワーキンググループ(以下SWG)の構成員に任命され、23年12月からの会合に参加しています。完全自動運転が実現すれば交通事故は圧倒的に減るでしょうが、その前に慎重な議論が必要です。
これまで大きな論点のひとつだったのが、交通事故が起きた際、責任をどこに問うかという点です。現行法は運転者がいることを前提に定められていますが、自動運転車には運転者がいないため、制度の見直しが必要です。
当初自動車メーカーは、「プログラムに欠陥があって事故が起きた場合でも、一律に刑事責任の免責を認めてほしい」と主張していました。理由は「開発意欲を維持するため」。しかし、事故被害者や遺族がこんな制度を受け入れられるはずがありません。医療の世界でも、医師や看護師によるミスで事故が起きれば、刑事責任を問われる可能性があるのは当然のこと。既に自動運転化が進んでいる航空業界でも、不具合が起きればメーカーが責任を負います。自動車メーカーだけに刑事免責を認めるのは、治外法権とも言うべきことです。結果、SWGではこれを認めない方向で結論付けられました。
現時点では、自動運転車が遭遇しうるあらゆる場面を想定した「保安基準」を定め、自動車メーカーにはそれを順守したプログラムを構築させる方向で議論が進んでいます。保安基準に則って、プログラムがミスなく組まれた上で起きた事故であれば、メーカー側の責任が問われる可能性は低くなります。
しかし、この保安基準を完成させるのも簡単ではありません。現在人間の運転者がさまざまな場面で行っている細かい判断を全て想定し、山のようにある交通事故の事例やその判例を組み込んで、あらかじめ操作を指定しなければならないのです。穴があれば事故が起き、人命が失われる可能性もあるのですから、慎重な策定が必要でしょう。海外でも同じような議論はされているはずですが、日本は欧米などよりも道幅が狭く、歩行者と車の行き交う交差点もずっと多いので、より深刻に考える必要があります。
歩行者優先の現行法。あらゆる事故を予見できるか
例えば、道路交通法第38条第1項前段の規定について。横断歩道では、横断しようとする歩行者または自転車が「いないことが明らかな場合を除き」、車は横断歩道の直前で停止できるような速度で進行しなければなりません。「いないことが明らかな場合を除き」ですから、横断歩道の入り口に歩行者がいて渡る意思があるのかどうか分からない場合や、横断歩道付近に駐車車両や電話ボックスなどの障害物があり、その陰から歩行者などが横断してくるかもしれない場合は、すぐに止まれるような速度で走行しなければなりません。また、既に横断歩道を渡り終えた歩行者が、突然引き返してくることも考えられます。それでも日本の道交法は「歩行者優先」が大原則ですから、車側が配慮しなければならないのです。
画像は、横断歩道の付近に生垣があり、この陰にベビーカーの脚がほんの少し見えている状況です。自動運転車のセンサーでこの生垣やベビーカーを認識し、即座に減速の判断をさせなければいけないのです。生垣側にセンサーを取り付けるという発想もありますが、国内にこうした箇所が何万カ所あるかを考えれば、実装は現実的ではないでしょう。とにかくこれらのケースを想定したプログラムを組まないで事故が起きれば、メーカーの設計担当者に予見可能性・結果回避義務違反等があったとみなされ、刑事罰を科せられる可能性があるのです。
議論の状況を見ていると、こうした論点を政府や自動車メーカーがどこまで想定・対策しているのか疑問です。メーカー側も今後は、交通事故の判例に詳しい弁護士、もっと言えば交通課の警察などと今以上に連携を深めて開発に取り組むべきです。
保険制度も変化する。事故補償は誰がすべき?
もう一つ、自動運転の実現で大きく変わるのが自動車保険です。
今は自動車の所有者や運転者が保険に加入するのが当たり前です。しかし、レベル4以上の自動運転車による事故の場合、乗っていた人に責任があるとは考えづらくなります。代わりに、システムの不具合が原因と認められた場合などに備え、自動車メーカー側が加入できる保険商品が増えるでしょう。完全自動運転が実現すれば交通事故は大きく減るはずなので、自動運転車1台あたりにかかる保険料も今より大幅に下がると考えられます。そうなれば、メーカーが自社の販売した自動運転車の保険料を負担することも可能なはずです。
ただもっと言えば私は、自動運転社会の実現は車の所有者、歩行者を含む国民全体の利益に関わることですから、事故補償は国がしてもいいのではと考えます。そうすれば、刑事免責制度の議論でメーカーが危惧したような、開発意欲が削がれる事態も防げますから。
SWGでの議論を経て感じるのは、みんな科学を妄信しすぎではないかということです。私は理学部出身ですが、だからこそ新技術には、常にどこかに穴があるかもしれないと考えて向き合います。科学に詳しい人ほどそうではないでしょうか。安全な自動運転社会をつくるため、政府も自動車メーカーも、もっと実務に詳しい法律専門家や警察の意見を汲んで、目指すべき方向性を見つけてほしいと思います。(談)