経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

日本人の給料が上がらない根本原因 雇用と賃金の心理的硬直

明治大学政治経済学部教授 飯田泰之

日本人の給料はなぜ上がらないのか。長期雇用や転職市場の未整備などの制度・慣習に注目する論考は多い。それぞれ重要な要因ではあろうが、要因はそれだけだろうか? むしろ問題の本質はより文化的、または心理的な部分にあるのではないか。本稿では日本人の賃金「意識」に注目して考えたい。(雑誌『経済界』2026年1月号より)

飯田泰之 明治大学のプロフィール

明治大学政治経済学部教授 飯田泰之
明治大学政治経済学部教授 飯田泰之
いいだ・やすゆき 1975年7月東京都生まれ、98年3月東京大学経済学部卒業。2003年4月駒澤大学経済学部専任講師、07年4月駒澤大学経済学部准教授。13年4月明治大学政治経済学部准教授、22年4月より現職。

深まる労働市場のミスマッチ「学ぶ意識」の欠如

 長く停滞を続けてきた賃金が動き始めた。2025年度の春闘での賃上げ率は5・25%と連合が掲げた当初目標を超え、最低賃金上昇率は6・3%と過去最高を記録した(いずれも加重平均)。その一方で、賃金が物価上昇に追いつかない状況は続く。各業種・各業界から上がる深刻な人手不足状況に比すると、賃金上昇のモメンタムはまだまだ不十分だ。

 求人数を求職者数で割った有効求人倍率は全国平均で1・2(8月・季節調整値)である。売手市場であることは確かだが、年平均で1・6を超えた2019年に劣る。これは採用現場の人手不足実感とは少々異なるのではないだろうか。

 採用現場と統計の隔たりの原因は業種間の大きな不均衡にある。建設・採掘5・1、製品製造・加工は2・95(8月・常用・含むパート)、この他製造系・営業系職種の有効求人倍率は非常に高い。一方で、一般事務の倍率は0・32と1件の求人を3人が争う状態となっている。また軽作業(運搬・清掃・包装)でも0・7となっている。これらの低倍率職種が混在していることで、全業種平均の有効求人倍率が抑えられている。

 これから大幅に景気が回復しても、事務系職種の求人が増加する見込みは薄い。これは屋内軽作業職も同様だ。AI(人工知能)やDX、そしてロボティクスといった技術革新はむしろこれから本格化していく。

 日本の雇用市場では深刻なミスマッチが生じている。つまり今後縮小していく業種・職種への就業希望者が多すぎるのだ。その結果、働き手と企業の双方が労働市場に大きな不満を抱く結果となっている。

 その解消において、リスキリングによる業種転換は必須だ。ただでさえ高いとは言えない日本の公的教育支出であるが、成人への教育補助額の対GDP比は主要国中でも極端に低い。

 その引き上げが急務であることは当然だが、それ以上に重要なのが国民としての教育への意識である。勉強するのは高校(または大学)までという意識は根強い。

 日本人労働者の勤勉さ、真面目さは自身の職業に関連したものに限定される。例えば、経理事務職の労働者は経理業務への知識獲得には熱心であるが、新たな分野の学びには消極的だ。

 自身の専門分野を就職時、または就職後の早期に決定してしまう。そして専門分野の変更を避けようとする(「負け」・「恥」と感じる)心性は大きな技術変化が進行する現在において、経済成長の足枷だ。

 その一方で、経済学では価格は需給によって決まる。事務職が余っているならばその給料は下がり、不足する現場職や技術職の給料は上がるはずだ。直近では建設・建築職の大きな給与上昇が伝えられることが増えているが、同職の人手不足を解決するまでには至っていない。

 事務系職種の給与が下がりにくく、現場職の給与が上がりにくいのはなぜか。

 計量社会学研究では大規模アンケートを通じてさまざまな職業の威信値(社会的評価・価値)を算出する。日本では東京大学の「社会階層と社会移動調査研究会」のスコアが有名だ。

 威信値の上位には医師・弁護士やスポーツ選手などが並ぶが、一般的な職種では大卒比率が高い職種の威信値が高い傾向がある。これは専門職や高度技能職に限らない。事務職は高く、現場職のそれは低い。例えば、建設現場監督よりも事務員の威信値は高い。

 労働市場の現状と比較すると,現在、威信値が低い職種で人手不足が発生しており、高い職種で人が余り始めている。社会的な評価と経済的ニーズがかみ合っていないのだ。

 これに日本人・日本的組織特有の「賃金観」が加わることで、日本の労働市場は硬直化している。

過去の努力に払われるべき?「所得恩給論」の弊害

 SNSなどで繰り返し話題に上るのが「東大卒より○○の方が収入が高い社会はおかしいのではないか」といった指摘だ。○○の部分には、ホストなどの「夜職」や飲食店や零細企業経営者が入る。生涯所得やリスクを考慮しない暴論だが、この主張に感情的に同調する人は多い。これらの同調の根底にあるのが、「給与や収入は過去の努力への報酬である」という感覚である。これを筆者は「所得恩給論」と呼んでいる。

 企業はその労働者が現時点で企業の利益に貢献している、または将来の成長に資するから給料を払って雇い入れている。大学受験時の偏差値への「ご褒美」として給料を払うわけではない。
 労働者側は「過去の学歴・経歴」に見合った給与を求め、企業は「現在・未来の貢献」に基づいた給与を支払おうとする。むろん学歴・経歴はその人の能力を予想する重要な要素だが、職務能力や今必要とされている技能と学歴・経歴は必ずしも一致しない。

 所得恩給論が少なからぬ個人に浸透していることで、組織の意思決定としては、専門職でない高威信スコア職についても高めの給与が正当化されがちになる。つまり現時点での業績の貢献が薄くても、ニーズが少ないのに希望者が多いという状況でも、「大卒職だから給与は高いべきだ」という状況が維持されてしまう。

 この状況を打破するためには、あらためて給与は現在・未来の業績への貢献に対して支払われるもので、給与は職業威信の工程ではなく需要と供給で決定するものだという経済原則を労使間で共有理解するべきだ。

 さらに、現場職・技術職の職業威信の低さ自体も社会の変化に対応して変わっていく必要がある。25年度のノーベル賞受賞者の一人である、ジョエル・モキイアは「なぜ産業革命は中国ではなくイギリスでおきたのか」という問いに対して、技術職への敬意や現場と専門家の協力関係の有無を重要な分岐点であるとしている。経済メカニズムに合わせた賃金設定と合わせ、これからのニーズに応じた職業観の変化が新時代の日本経済の基礎となるのではないだろうか。