企業の力は規模だけで決まるものではない。むしろイノベーションを起こす力は、決断が早く小回りの利く中小企業こそ発揮しやすいものだ。本シリーズでは、そんな中小企業を分析することによって、企業がイノベーションを起こすために必要な条件、そしてどんな行動が必要なのかを提示していく。
新しい技術で業界刷新を試みる
旧態依然とした業界の体質に風穴をあけるのは容易なことではない。しかし、イノベーションを起こすには、タブーとされてきたことに勇気を持って立ち向かうことも必要になる。
ステップボーンカットという新しいヘアカット技術を開発し、特許を取得。この技術を国内外に広め、今、世界の美容界から注目を集めているTICK-TOCKにも、かつては業界の風習にしばられ、技術を公開できずにいた時期があった。公開に踏み切ってからも、周囲から猛烈なプレッシャーを受けたという。
それでも信念を貫いたことによって、アジア地域を中心に支持者が急増し、いまや日本の美容界そのものへの評価や、美容師の地位の向上にも貢献しているのである。
日本の美容界は、技術のマンネリ化、料金のダンピング、少子高齢化による客数の減少といった課題を抱えており、1980年代から30年間、市場規模は縮小こそしていないもののほとんど変化がないという。
特にカット技術に関しては、ビダル・サスーンが考案したサスーンカットが、ほぼ60年間、ほとんど変化なく継承されてきている。ところがこのサスーンカットは、西洋人のために開発されたもので、日本人には合わない。しかも施術に時間がかかり、お客様にも美容師にも負担が大きい。
TICK-TOCK代表取締役の牛尾早百合(SAYURI)さんが開発したステップボーンカットは、髪の量感を自在に調節して、日本人の骨格も西洋人に劣らずきれいに見せることができる。多くの人が望むように、顔を小さく卵型に、首を長く見せる効果もある。
顧客に喜んでもらえるので、技術料は高めに設定できる。施術時間も短くて済むので、従来より大きな利益を確保できる。当然、美容師の収入も増えるので、定着率も向上する。
いいことづくめのステップボーンカットだが、SAYURIさんは当初、これを25歳で神戸に構えた自分の店でのみ提供していて、ほかの美容師やヘアサロンに公開しようとは考えていなかった。
その考えを変えたのは、2010年ころのこと。専門誌『HAIR NEWS MAGAZINE』に1年間にわたって連載した記事を1冊の本にまとめようとしていたとき、日本の美容界の保守的な体質を再認識することとなり、業界の活性化のために自分の技術が役に立つのではと思い至ったからだった。
『FOR JAPANESE HAIRDRESSERS 日本の美容師たちへ』が刊行され、世界6カ国13都市で発売になったのを機に、SAYURIさんはステップボーンカットの公開に踏み切った。これに先立ち、特許を出願し、2013年に取得している。
技術者の教育・支援プログラムを確立
ステップボーンカットが誤って理解されることは、最も避けたいことだ。そのため認定制度を確立して技術者をランクづけし、禁止事項なども細かく規定している。
技術者を養成する機関として、TICK-TOCKではステップボーンカット・アカデミーを開設。SAYURIさんのヘアサロンで技術を習得したスタッフが講師となって、ステップボーンカットの指導に当たっている。ここにはシンガポール、インドネシア、中国などの美容室チェーンのスタッフが数多く受講に訪れているという。
技術者を認定するのは、SAYURIさんが代表を務める一般社団法人日本小顔補正立体カット協会。現在、協会の認定を受けて正式に導入しているヘアサロンは国内外を合わせて約550店に上る。
ステップボーンカットを施すには、技術のほかに、専用のローション、シザー(はさみ)が不可欠だ。TICK-TOCKではそれらを合わせて提供している。
それまで、そういった技術や関連商品を販売するのは専門メーカー、ディーラーに限られていた。美容師がヘアサロンのお客様以外を対象にビジネスをすることはタブーとされていたため、一部からは反発もあったという。しかしこれも、ステップボーンカットの普及のためには、越えなければならないハードルだった。
また、2016年3月には、世界中から5万人の美容師が集まる「インターナショナル・ビューティー・ショー・ニューヨーク」において「ステップボーンカット体感セミナー」を実施。ラスベガス、ロサンゼルスでもセミナーを開催した。
こうして関西発の新技術は、アジア、アメリカ、そしてフランスなどヨーロッパへも広がりを見せている。短期間でグローバルなブランディングを実現しているステップボーンカットだが、顧客が待ち望んでいた技術であるだけに、一過性のブームには終わらず、パラダイムシフトを成し遂げる可能性が高い。
やがて東京に逆上陸し、国内市場を席捲する日も近いかもしれない。
新しい価値の創出ポイント
実は日本人には合わないサスーンカットを、60年間脈々と受け継ぎ、提供してきたという日本の美容業界。新しい技術が生まれても、旧態依然とした体質に風穴があかなければ、多くの顧客がその恩恵にあずかることはできなかった。
TICK-TOCKの功績は、画期的な技術を生み出したことに加え、果敢に業界の体質変革に臨んだことにあると言える。
(かんだ・まさのり)経営コンサルタント、作家。1964年生まれ。上智大学外国語学部卒。ニューヨーク大学経済学修士、ペンシルバニア大学ウォートンスクール経営学修士。大学3年次に外交官試験合格、4年次より外務省経済部に勤務。戦略コンサルティング会社、米国家電メーカー日本代表を経て、98年、経営コンサルタントとして独立、作家デビュー。現在、ALMACREATIONS 代表取締役、日本最大級の読書会『リード・フォー・アクション』の主宰など幅広く活動。
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