経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

「高齢社会を迎えた日本は成熟した文化をつくるチャンスです」――五木寛之(作家)

高齢社会の日本では、今後団塊世代が一斉に退場する大量死の時代を迎える。そこでは葬儀の在り方も変わらざるを得ず、死が身近になったことで、むしろ宗教の存在もクローズアップされていくのでは、と五木寛之氏は言う。宗教と経済の歴史的な結び付きや、高度成長期の後に来る高度成熟期の存在まで、論考は広がる。

経済格差と共に健康格差も著しい日本の高齢社会

五木寛之

五木寛之(いつき・ひろゆき)1932年福岡県生まれ。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞。81年から龍谷大学の聴講生となり仏教史を学ぶ。ニューヨークで発売された『TARIKI』は2001年に「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門銅賞)に選ばれた。02年に菊池寛賞、09年NHK放送文化賞、10年『親鸞』で毎日出版文化特別賞を受賞。主な著書に『戒厳令の夜』『風の王国』『親鸞』『大河の一滴』『下山の思想』など。1月から「週刊現代」で大河小説『青春の門』を23年ぶりに再開。

現在は経済的な格差が激しいと言われていますが、日本のもう一つの問題は、高齢者の健康格差も著しいことがあります。日本人男性の平均寿命は約80歳、健康寿命は70歳くらいです。しかし、80歳を過ぎても矍鑠とし、海外旅行などを楽しみ元気に暮らしている人もいる一方で、70代を前に自分の足では満足に歩けなくなり、寝たきりで介護もままならず、年金を頼りにギリギリで生活している人も少なくない。高齢になると、生活の格差も露わになってきます。これらの人たちを一律に扱うことは難しく、一つの世代の中でどのように対処していくかは今後の大問題です。

とはいえ、今の日本には80代、90代でも元気なお年寄りがたくさんいることは事実です。アラウンド・ハンドレッドも珍しくなくなりました。そんな中で、約700万人いる団塊世代が高齢化を迎え、一斉に退場する大量死の時代がいずれ始まるでしょう。医療の発達などで老後の時期は長くなりましたが、10年や15年老後が伸びたとしても、いずれは退場して行かなければなりません。日本は世界に先駆けて人類が初めて体験する超高齢社会となり、大量死の時代を迎えるのです。これは露骨な言い方をすれば、大量の高齢者をどうするかという問題でもあります。日本は使用済み核燃料の問題と、大量死という2つの後始末の問題を抱えている。これをいかにスマートにヒューマンに乗り越えることができるかと、世界は固唾を飲んで見守っているのです。

数々の社会現象をつくり出してきた団塊世代が嵐のように過ぎ去った後に来る大量死の時代は、普通の葬儀では追い付かなくなることでしょう。既に葬儀にまつわるものは次々に簡略化の方向に進み、コストパフォーマンスを考える葬送になってきています。お坊さんもデリバリーする簡略な告別式や、無宗教の告別式などもますます増えていくことでしょう。葬儀や告別式も行わず、お墓も立てないというケースも出てきていますが、そもそもかつての日本では、お墓に墓標を立てない時代が長くありました。

大量死時代は死が身近になり宗教にあらためて脚光が

法然や親鸞などが現れた平安から鎌倉時代にかけては、地震や災害で同じように多くの人が亡くなりました。京都でも死骸は鴨川の畔に捨てるのが一般的でした。河原に累々と折り重なった死骸が、雨が降って大水が出たことで下流に流され、住民がほっとしたというような記録も残されています。当時は平均寿命も短く、死というものが身近にあった時代なのです。これからの大量死時代は、死を身近に感じ始めて、死んだら人はどこに行くのか、それを意識する萌芽が生まれてくるかもしれません。そこではあらためて宗教というものがクローズアップされてくるのではないでしょうか。

高齢社会は健康が重要なテーマで、あらゆるメディアが取り上げていますが、並行して宗教が老後を生きる上での精神的な支えであろうということで、個人の生き方としての信仰とか宗教との関わりが最近ことに注目されているのだと思います。3.11などの災害の問題は、経済的、社会的大問題であると同時に、心の問題でもあるのです。

人々の悲しみや心の痛みをどう癒すか。海外で誕生したグリーフケアということに携わる人たちが日本でも活躍するようになってきましたが、本来そうしたことは宗教が担って来た訳です。これを行う場として寺があったのに、今や葬祭儀礼の場になってしまっています。住職のいない寺も多くなっています。檀家がいないとか、寺の後継者がいないなどの問題もあり、寺の統廃合も致し方ないことだと思います。

実は宗教と経済は、基本的に密接に結び付いています。利子の問題がないと資本主義は成立しませんが、この利子を最初、宗教は認めませんでした。公認されるようになったのは、中世にバチカンが正式に認めた時までさかのぼります。だから経済は、経済の問題だけでなく、宗教の問題でもあるのです。

ロシアでは今、ロシア正教が存在感を示すようになっていますが、そのロシア正教の中で異端とされてきた宗派があります。俗にいう「スタロヴェール」といわれる人たちです。ソ連では1666年に大きな宗教改革があり、それに反対した人たちが旧教徒として分離し、このスタロヴェールになりました。

私は1965年にソ連に行った時に、イルクーツクの郊外でシベリア抑留兵士の日本人墓地に行きました。その時に、墓地の周辺にずらっと並んでイコンを売っている人たちがいました。黒い服を着て物乞いの老婆のような人たちがお皿を置いて、お布施を求めていました。通訳に彼らはどういう人たちなのかと尋ねたら、このスタロヴェールだと教えてくれました。別名ラスコーリニキとも言い、ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフはここから来ています。社会主義国家なのに、そういう人たちがいることに驚きました。スタロヴェールは現在のロシアの人口の3分の1くらいを占め、この人たちはロシア革命ともつながっています。昔の宗教は社会の大きな変革とも密接に関係してきた証左です。

社会の変革期ということで言えば、日本は高度成長期を経て、今や高度成熟期に向かっているのだと思います。この2つの間にはタイムラグがあるようです。イタリアなど海外の例を見ても、ものすごい高度成長があって、それが停滞する中で、ルネサンスが起きています。ところが成長期には必死に山を駆け上がっているので、足元にばかり目が行き、その先に来る成熟期を考えることができません。

高度成長期を経た後には高度成熟期が待っている

私は『下山の思想』という本を書きましたが、登ったものはどこかで必ず下りになります。高度成長が終わって高度成熟に入っていくのだから、それは希望に満ちたハーベストタイムでもあるのです。低成長を恐れる必要はありません。いよいよ高度成熟の実り多き時代を迎えると思えば、希望も湧いてくるでしょう。成長が一段落ついて、その中で付加価値を生み出して行こうというのが成熟の時代です。

では付加価値とは何かといえば、文化的価値ということです。例えば日本のトヨタ、日産、ホンダの車と、メルセデス・ベンツ、BMW、アウディ、ポルシェのドイツ車の1台当たりの利益率を見ると、後者の方が3~5倍くらい高い。日本車は故障も少なくて走りもいいのに、何が違うかというと、付加価値の部分の違いだと思います。

メルセデスとは、ダイムラー車のディーラーを経営していたオーストリア=ハンガリー帝国の領事でありユダヤ系ドイツ人の富豪の愛娘の名前です。アウディの「フォーリングス」と呼ばれる4つの輪を組み合わせたエンブレムは、設立に参加した4社の団結を象徴するものです。BMWのロゴマークは、黒く縁った円の中央を十字によって4等分し、点対称に青と白に塗り分けたデザインです。円と十字はかつて航空機エンジンメーカーだったことにちなみ、飛行機の回転するプロペラを表したイメージが確立しました。バイエルンの白い雲と青い空をイメージしているそうです。ポルシェにはフォルクスワーゲンを設計した技術者フェルディナント・ポルシェ博士の存在があるというように、それぞれに物語があります。

ところが日本車各社のエンブレムは、社名をモチーフにしていることは分かっても、そこからは歴史やレジェンドなどが感じられません。スカイラインGTRが有名ですが、他の日本車メーカーにも、それぞれエピソードはたくさんあるのに、その物語を膨らませて、製品の上にかぶせるところまでは至っていないように思います。日本は明治、大正のころから、安いものを作り続けてきましたが、これからは単にいいものを安く提供するモノづくりだけではダメで、ヒューマンな物語やドラマを作って行かなくてはいけないでしょう。5のものを5で売るのではなく、10にも20にも付加価値を付けていくことです。

低成長時代こそ成熟した文化をつくり上げるチャンス

これがうまいのは、やはり歴史に裏打ちされたヨーロッパです。フランスにはルーブル美術館があり、ベルサイユ宮殿やエッフェル塔があり、観光都市パリがあります。イタリアもローマやフィレンツェ、ミラノなどの遺産で食べているようなものです。

先日、考古学の研究のために明日香に行く機会がありましたが、大勢の観光客で賑わっていました。周りを見回しても大したものはないのに、なぜ多くの人が集まるかというと、ここから万葉集が生まれ、古事記が生まれと物語があるからです。一木一草にまで伝説が染み付いているのです。古のある日、石川女郎(いしかわのいらつめ、奈良時代の大伴安万呂の妻)が、この道を髪を振り乱して走ったのだとか、この先には大津皇子(おおつのみこ、飛鳥時代の皇族)の墓があるなどと思いながら見ると有り難みが出てくるものです。そういう物語があるから人はそこに行くのです。付加価値や成熟とはそういうものだと思います。日本人は、なぜかこうした付加価値に関心がありません。低成長の時代は、成熟した文化をつくるチャンスです。イメージ戦略が大事なのです。

政府はクールジャパンということで、原宿のファッションなども海外に売り出して行こうとしていますが、豊かな物語を作り出して行かないと心に響かないと思います。高齢社会イコール成熟社会です。今後、日本では労働人口が増えることはないのですから、人口が減少する中で、高度成長と高度成熟の間にあるタイムラグをうまくつかみ、次なる成熟の時代につなげていく取り組みが大切です。そう考えれば、人口減少も高齢社会もバラ色とは言えないまでも、悲観する必要はないと思うのです。(談)

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