スポーツトレーニング法の主流“体幹”に着目
「スピードやパワー、体の使い方については今まで全く手を付けていなかった。米国の速いプレーにぶっちぎられる姿がなくなるようにしたい」
そんな抱負を述べたのは女子サッカー日本代表(なでしこジャパン)の監督・高倉麻子である。
高倉といえば16歳で代表デビューを果たし、女子サッカーが初めて五輪に正式採用された1996年アトランタ大会にも出場した、いわば日本の女子サッカーの草分けだ。
その高倉がなでしこを再建するにあたり、まず手を付けたのが「走り」の部分だった。
都内の体育館での候補合宿に、見覚えのある顔があった。陸上短距離界を長きにわたって支えた朝原宜治である。
高倉のオファーは「なでしこの選手たちの足を速くしてよ」。要するに「走り」の改善である。
臨時コーチとして参加した朝原の教えはどれもシンプルだった。
「骨盤を安定させろ」
「前のめりになるな」
どんな狙いがあったのか。
朝原の説明。
「体の中心部分や基礎的なところがきちんとできていれば、後は皆さんのいろいろな練習にも生きてくる。そのためにはまず、体幹や股関節など大きな箇所、中心から体を動かす。体の末端に力が入るのは、あまり良くない。“手首、首、肩、足首に力が入らないように”と伝えました」
今でこそ“体幹トレーニング”はスポーツの世界におけるトレーニング法の主流だが、かつてはそうではなかった。
朝原は“体幹”を重視したトレーニング法を取り入れた先駆者のひとりだろう。
私が初めて彼にインタビューしたのは、彼が大学4年の時だ。10秒19という100メートルの日本記録を打ち立てていた。
「昨年(93年)の冬あたりから、走る際に最も大切なことが分かってきた。それは丹田に全神経を集中するということ。丹田はヘソ下数センチのところにあり、そこに重心があると意識している。この位置はできるだけ小さく限定した方がいい。すると走りが固まってくるんです」
朝原は36歳で迎えた北京五輪の400メートルリレーで銅メダルを獲得した。
実績は言葉に説得力を与える。朝原の「どう体を使えば効率良く重心を前に運べるか」という説明に、選手たちは真剣に耳を傾けていた。
プレー中の「走り」を研究し、実践することで黄金時代を築き上げたチームがある。V9の巨人だ。
監督の川上哲治がコーチとして招聘したのが64年東京五輪の陸上十種競技に出場した鈴木章介だった。
それまで、野球界には「野球の走りと陸上の走りは別物。習っても役に立たない」という偏見があった。
そうした旧弊を打破した川上は、当時の野球界には珍しい進取の気性を持ち合わせた人物だった。
手付かずの部分ゆえに「のびしろがある」と判断
実際、どんな効果があったのか。V9初頭、“エースのジョー”と呼ばれた城之内邦雄は、こう語っていた。
「鈴木さんは東京五輪の十種競技に出ただけあって指導ぶりが理路整然としていた。当時の巨人の選手はキャッチャーの森祇昌さんを除いて皆、足が速かった。王貞治さんや長嶋茂雄さんも速かった。キャンプで鈴木さんは、よく徒競走をやらせていました。
65年に鈴木さんが来るまで、調子が悪くなると、王さん、長嶋さんはよく打ち込んでいた。鈴木さんが来てからは、打撃練習の前にしっかり走り込むようになった。もう、体からボンボン湯気が出るくらい汗をかいているんです。あの走り込みが良かったんでしょうね。王さんが三冠王を獲ったのは、その後ですから」
話をなでしこジャパンに戻そう。2011年ドイツW杯優勝、12年ロンドン五輪銀メダル、15年カナダW杯準優勝と短期間で輝かしい実績をつくったなでしこも、16年リオデジャネイロ五輪はアジア最終予選で敗退するなど、このところ精彩を欠いている。
前監督の佐々木則夫はその理由を、こう述べている。
「ドイツW杯後、ロンドン五輪と世界大会で本当に各国のレベル、個の質も技術も上がってきた。以前はアバウトだった戦術が非常に密になってきました。若い選手たちはすごく成長しているが、今も世界レベルにあるかと言えばなかなか厳しい」
なでしこ再建のための一丁目一番地はどこか。高倉が基本ゆえに見過ごされてきた「走り」に着目したのは、手付かずの部分ゆえ、「のびしろがある」と判断したからだろう。
「サッカーばかりやるより、違うところからの勉強や気づきが大事。それがきっかけでサッカーが伸びることは往々にしてある」
広い視野を持つ女性監督の手腕に期待が集まる。(文中敬称略)
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