インタビュー
トップアスリートは逆境をどう乗り越えているのか――。2001年に世界選手権の短距離種目で日本人初の銅メダルを獲得し、12年に現役を引退してから、現在は執筆家、経営者としてセカンドキャリアを歩んでいる為末大氏に、これまで経験した逆境では何を考え、どう向き合ってきたのかを聞いた。文=森ユースケ Photo=山内信也 編集=唐島明子(『経済界』2021年5月号より加筆・転載)
為末 大氏プロフィール
為末 大氏は逆境をどう乗り越えてきたか
最もつらかったケガ
―― まず、「逆境」と聞いてどんな状況を思い浮かべますか。
為末 アスリートにとって一番厳しい逆境はケガです。特に、少し脚に痛みがあるかな……といった予兆などなく、突発的に起こってしまうケガの場合は、「なぜ自分が」「なぜ今なのか」とぐるぐる考え続けてしまいます。
―― 為末さんにとって、最もつらかったのはいつのケガですか。
為末 2008年の北京オリンピック出場がかかった、日本選手権の前に負ったケガです。一般的にアスリートのキャリア晩年では、小さな肉離れのようなケガが多いのですが、それが本番の約4カ月前と約1カ月前、立て続けに2回起きてしまいました。
「現実」を変えられなければ「認識」をコントロールする
―― そのケガをした時、どのようなことを考えましたか。
為末 アスリートは大体、「現実」を変えるか、あるいは「認識」を変えるか、その時々でそれぞれのバランスを調整しています。そしてケガの場合、体の状態という「現実」は変えられませんので、「認識」をどう変えていくかを考えなければなりません。
どれだけくよくよしても、「現実」は変わらないんです。アイシングをして、安静にして……とできることは決まっていて、焦って練習を続けてもオーバーワークになってしまいます。だから「認識」を変える。もし体をしっかりケアしていたのにケガをしたのなら、それはコントロールできなかったケガであり、考えても仕方がありません。
―― とはいえ、大事な場面であるほど、「認識」を切り替えるのは難しいのでは。
為末 本当に難しいですね。しかし、アスリートにとっては、実は肉体的なトレーニングよりも、その精神鍛錬の方が重要といっても過言ではありません。いくら頭の中でコントロール可能なものと不可能なものを分けて考えても、感情が追いつかないからです。
「なぜ自分だけ」「最後のオリンピックのチャンスだったのに、なぜ今なのか」「事前にできることはなかったのか」と情緒不安定になってしまいます。ふとケガの痛みが消える瞬間もあって、「明日は何事もなかったようになるのではないか」とありもしない希望を抱いてしまうんです。でも翌朝はやっぱり痛くて、絶望して、感情の振れ幅が大きくなっていきます。
―― 当時はどのくらいの期間で認識を切り替えられたのでしょうか。
為末 まず日本選手権の4カ月前にケガをしました。しばらくして気持ちが落ち着いたものの、1カ月前にまたケガをしてしまった。しかし、しばらくいろいろと考えながらグラウンドを走ってる時に突然、今できることをやるしかないなと、腑に落ちた瞬間がありました。
未来はコントロールできませんし、過去はなおさらコントロールできない。今、この瞬間しかコントロールできないのであれば、今日できることを淡々と積み重ねていくしかない。その結果がどうなるかを考えると空恐ろしいけれど、それについていろいろと考えても仕方ないという心境になった感じです。
重要な決断は朝にする
―― ある程度はうじうじ悩むしかない時期もあるということですね。
為末 私の場合はそうでしたね。ただ、振り返ってみると、不安が大きくなるのってだいたい夜なんです。不安な時ほど、解決するために何かをしたくなりますが、不安で視野が狭くなっている時の行動は、ろくな結果になりません。夜、不安にかられてつい体を動かしたりして、ケガを長引かせてしまったこともありました。
今思えば、重要な決断は朝にするべきでした。取りあえず寝て、冷静になった朝に行動することですね。「夜中にラブレターを書いたらダメだ」という話と同じです(笑)。不安な時こそ焦らず、朝、すっきりした状態でよく考え、気持ちが決まってから動くべきだったと思います。
体のコンディションが悪いと、不安が頭から離れなくなってしまいます。「ケガをした→困った→どうしよう」となる。しかし、「ケガをした→困った→ところで晩ごはんは何にしよう」と考えられるうちは健康です。逆境で悩む時こそ、おいしいものを食べて、寝て、気分を切り替えるのがいいかもしれません。
―― 為末さんは以前、逆境に強いアスリートについて「生活リズムを守れる人は強い」と仰っていました。
為末 いろんなアスリートの話を聞くなかで、「集中できない」「成績が上がらない」という問題の背景には、睡眠不足や不十分な食事など、体のコンディションが心理に影響することが多いと感じています。
北京オリンピックの4×100メートルリレーの銀メダリスト・朝原宣治さんは、生活リズムが安定した選手のひとりでした。朝原さんは夜飲みに行って、翌朝寝坊することもありましたが、いつの間にかいつもの生活リズムを取り戻しているんです。ここでいう生活リズムとは、決まった時間に睡眠を取ったり、栄養バランスを常に保つことではなくて、自分の生活のリズムを外から崩されないことです。リズムは人それぞれです。お菓子を食べることや友人と飲みにいくことが自分のペースならそれでいいんです。
いつでも寝られて食べられるヤツが強い
―― 為末さんにとって、ペースを守るために重要だったファクターは何ですか。
為末 いろいろありますが、圧倒的にインパクトが大きかったのは睡眠です。8時間は寝ないと調子が悪かったと思います。今は息子に合わせるので夜10時に寝て、朝は6時に起きています。
私は一時期、新興宗教にハマる人たちの心理に興味を持って、いろんな本を読みあさったことがありますが、宗教にハマる前の特徴として、かなり高い確率で睡眠不足がありました。睡眠不足の状態って、やはり何かが弱っていて洗脳されやすいと考えられる。アスリートでも、ケガすると怪しい整体師に行くっていうパターンも少なくありません。
―― がん患者が民間療法にハマってしまう状況に近い気がします。
為末 そうかもしれませんね。心境としてはよく分かります。何かを盲信したいし、すがりたくなる。大変な時、誰かが「これで大丈夫」って言い切ってくれると、すごくほっとするんです。
―― そうならないためにも、睡眠は極めて重要だと。
為末 アスリート時代もそうでしたが、結局いつでも眠れて、食べられるヤツが勝負強いんです。
人生を分ける大勝負がくる1週間前に、布団に入って、豪快に眠れるかどうか。これは世間一般でも同じだと思いますが、強いプレッシャーを受けている状況でも眠れるかどうかは大きいですね。
―― 為末さんは、プレッシャーがあってもすぐ眠れるタイプでしたか。
為末 いや、私はかなりプレッシャーの影響を受けやすかったです。ケガをした時もオリンピック本番の前も眠れませんでした。コーチをつけずにトレーニングする期間もあったので、誰かと話して解決することも難しくて。
―― 確かに、不安が押し寄せた時に相談する相手がいないのは非常に厳しい状況ですね。
為末 そうですね。ただ、経営者は孤独ですよね。最近、経営者の方とお話しすることがありますが、自分ひとりで決断するしかないという経営者の方々の心境を少し理解できるので、良い経験だったと思います。
「全力を出し切った」言葉の裏にある葛藤
―― 振り返って「ああすればよかった」「こうすればよかった」と後悔する人もいます。後悔しない日々を送るためには何が大切でしょうか。
為末 最も重要なのは、最後まで「全力を出し切った」と思えるか否かではないでしょうか。例えば「喉が乾いた」という時、その日の午前中だけ水を飲んでないくらいなのか、あるいは砂漠で3日間さまよって水を飲んでないくらいなのかの間には、大きな違いがあります。
同様に、アスリートが「勝ちたい」と言う時、どちらの喉の乾きに近いのか、グラデーションがあります。恥ずかしくない順位で終わればいいと思って試合に臨むのか、それとも本当に1位を狙っているのか。
陸上競技では諦めたかどうかを微妙にごまかすことができてしまう。表面的にファイティングポーズを取っていても、内心では負けを受け入れることを、選手同士なら見て分かってしまいますが、他人から分からないようにすることはできます。その気持ちで引退すればその傷は生涯残り、一生後悔することになります。
為末 大氏がスポーツ教育事業で目指すこと
―― 「全力を出し切った」と思えるために必要なことは何ですか。
為末 まず、自分の期待値を下げることです。スポットライトを浴びていた時期があると、その時の自分を本当の自分だと錯覚しやすく、そこを期待値として設定してしまいますが、スポットライトを浴びているのは一時的なものです。自分は立派だと思わずに、「所詮そんなもんだ」と期待値を下げ、自分を見つめ直すと、本来の自分の性質が見えてくるはずです。
私はサッカーの中田英寿さんと同世代で、「アスリート=カッコいい」というイメージが強かった時代です。事務所も同じでしたし、あこがれもあり、自分もそうありたいと思っていた時期がありました。でもよく考えてみれば、スマートに見えたのはアスリート人生の最後の1、2年だけです。私は広島の片田舎から出てきていて、人間そんな急に変わらないだろう、自分のベースはドタバタキャラだったはずだと。なんかしぶとくて、なんだかんだ実践して、失敗しながら学習して、やってきただろうって。
そこで引退後、自分のスタイルを思い出してからは、もう1回、ドタバタ劇をやるんだと決め、講演でも何でも、声がかかったものはスケジュールさえ合えば何でも引き受けてきました。
―― 為末さんは、現役だった10年には「アスリートが社会に貢献する」を掲げて「アスリートソサエティ」を設立し、12年に引退してからのセカンドキャリアでは講演活動やメディア出演などさまざまな挑戦をしてきました。そして18年にはスポーツ×テクノロジーに関する事業を行うDeportare Partnersを設立しています。そのドタバタのスタイルでこれから何をしたいか、目標を教えてください。
為末 「育て合う社会」を作ることができないかとスポーツ教育事業に取り組んでいます。スポーツ界では、先生と生徒、教える側と教えられる側が明確に分かれていて、上意下達の構造になっている傾向が強くあります。それをフラットにすることを会社の事業にできないかと試行錯誤しています。
例えば、緊張という現象についての理解は、スポーツよりも音楽のほうが進んでいます。スポーツでは緊張して指先が震えたりしても、それほど微細な動きをしないので、勢いよく腕を振ったりすることで緊張をごまかすことができます。しかしフルートなどの演奏では、唇がちょっと震えると音が出なかったり音程が変わったりしてしまいます。
では、音楽の世界では緊張とどう対峙しているかを、スポーツの世界にも紹介できるのではないか。そういうファシリテーターのようなことをできないかと考えています。相互に影響を与え合う形をつくりたい。個人的には、誰かを中心となして形作られるオンラインサロン的なものへのアンチテーゼでもあります。