2021年初旬に発覚した半導体不足は、その後も解消するめどが立っていない。それどころか、世界の半導体製造そのものが停止する危機に直面している。というのは、22年3月8日に米3M社のベルギー工場が、ポリフルオロアルキル物質(Poly Fluoro Alkyl Substances、PFAS)の一種である、フッ素系不活性液体(商品名フロリナート)の生産を停止したからである。本稿では、フロリナートの生産停止が半導体産業に与えるインパクトについて詳述する。(雑誌『経済界』2022年7月号より)
1枚のウエハ上に1千個程度同時に半導体集積回路を製造
図1を用いて半導体製造の概略を説明する。直径20~30センチメートルのシリコンウエハ上に、絶縁膜や各種メタルなどの薄膜を成膜し、そこにリソグラフィ技術により感光性材料レジストで回路パタンを形成する。その後、エッチングによって薄膜を加工し、不要になったレジストを除去して洗浄する。
このように、薄膜成膜、リソとエッチの微細加工、洗浄などを30~50回位繰り返すことにより、1枚のウエハ上に、1千個程度同時に半導体集積回路を製造している。
ドライエッチング装置と温度制御
上記のエッチング工程には、プラズマを用いるドライエッチング装置が使われている。そのドライエッチング装置においては、微細なパタンを形成するために、年々、ウエハの温度制御の重要性が増してきている。その温度制御の原理を、図2を用いて説明する。
ドライエッチング中は、プラズマからの熱がウエハに流入してくるため、何もしないでいると、ウエハの温度が上昇し、エッチング特性が変動してしまう。そのため、あるエッチング特性を維持するためには、ウエハの温度を一定になるように制御する必要がある。
そこで、チラーという装置を使って、静電チャックと呼ばれるウエハステージの裏面から、ある温度の冷媒を流し、これを循環させることによって、静電チャックの温度を一定に保つようにしている。この冷媒に、3M社のフロリナートなどが使われている。
また、静電チャックとウエハの物理的接触だけでは、ウエハの温度コントロールが不十分なため、ウエハと静電チャックの間に、He(ヘリウム)ガスを流して、熱伝導の効率を上げている。Heは空気やエッチングガスより軽く、分子運動速度が速いため、ウエハと静電チャックの間を行き来して熱伝導の役割を果たしている。
以上のように、ドライエッチング装置の静電チャックでは、チラーで循環する冷媒とHeガスによって、ウエハをある一定の温度に制御している。そして、その温度帯域は、100℃近い高温からマイナス40℃の極低温まで幅広いため、目的の温度ごとに最適化された冷媒が必要となっている。
そしてこの冷媒は循環して使っているものの、少しずつリークするため、リークした量を補充しながら循環を行っている。すなわち、半導体工場では、ドライエッチング装置の稼働のために、チラー用冷媒を安定的に調達する必要がある。
チラー用の冷媒の世界シェア
ここで、ドライエッチング用の冷媒の世界シェアを見てみると、3M社が80%を独占している(図3)。その3M社は、今回生産停止したフッ素系不活性液体のフロリナートの他に、フロン代替製品として、フッ素化合物の構造の一部を改変したノベックという製品を販売している。それぞれの世界シェアは、フロリナートが約50%、ノベックが約30%と推測している。そして、このノベックは、3M社の米国工場で生産されており、今のところその生産に問題はない。
また、3M社以外では、ベルギーに本社があるソルベイ社が、ガルデンという冷媒を販売しており、世界シェア約20%を占めていると推測される。なお、ソルベイ社のガルデンはイタリア工場で生産されており、この生産も今のところ問題はない。
要するに、3M社のベルギー工場の停止により、世界のドライエッチング装置のチラー用冷媒の約半分が突然消滅してしまったことになる。ちょっと考えただけでも、この影響の深刻さがお分かりいただけるのではないだろうか。
稼働中の半導体工場の混乱
通常、半導体工場でのドライエッチング用冷媒の備蓄量は最大3カ月程度である。よって、今まで3M社のフロリナートを使っていた半導体メーカーは、備蓄が無くなる前に代替品を調達しなければならない。その選択肢は、3M社のノベックかソルベイ社のガルデンしかない。
しかし突然、世界のチラー用冷媒のパイが約半分になってしまったわけだから、そこに半導体メーカーの注文が殺到することになる。信頼できる筋からの情報によれば、ソルベイ社には、到底さばききれないほどの注文が来ているという。また、韓国の某メモリメーカーは、ソルベイ社が生産するガルデンの全量を買い占めたいと言ってきたという。
したがって、第1の問題は、世界のチラー用冷媒の絶対量が不足しているため、代替品の冷媒を調達できなかった半導体メーカーでは、ドライエッチング装置が動かなくなるということである。それはつまり、半導体工場が停止してしまうことを意味する。
第2の問題は、代替品として、3M社のノベックまたはソルベイ社のガルデンを調達できたとしても、ドライエッチング装置の所望の温度帯域にフィットしない可能性があるということである。例えば、極低温のマイナス40℃に静電チャックの温度を制御したいのに、高温用の冷媒を調達しても、使えないということになる。
そして、問題はこれだけではない。
新増設する半導体工場が動かない
昨年21年以降、半導体メーカー各社が、巨額の設備投資を行って、半導体工場の新増設を計画している。22年の設備投資の予測値は、TSMCが440億ドル、Samsungが360億ドル、Intelが280億ドル、SK hynixが139億ドル、Micronが115億ドルなどとなっている(図4)。また、これに加えて、各国・各地域が、半導体製造を強化しようとして、多額の補助金を支出しようとしている。
したがって、今後、世界中で半導体工場の新増設が行われることになっている。そして、これらの半導体工場には、途轍もない台数のドライエッチング装置が導入されることになる。
ところが、米Lam Research、東京エレクトロン、米Applied Materials、日立ハイテクなどがドライエッチング装置を製造し、世界に4~5社あるチラーメーカーがチラーを供給しても、そのチラーに使われる冷媒の確保が極めて困難な状況である。つまり、半導体メーカーが工場を新増設し、それぞれの工場に数百台~1千台規模のドライエッチング装置と、それと同数以上のチラーを導入しても、冷媒を調達できなければドライエッチング装置は動かないのである。そして、その可能性が極めて高いと言わざるを得ない。
窮地に立つ日本半導体メーカー
筆者が入手した情報によれば、日本では、生産停止となったフロリナートの代替品である3M社のノベックの使用が許可されていないという。もし、これが事実なら、キオクシア、ソニー、ルネサス、その他パワー半導体メーカーなど、日本メーカーの選択肢は、ソルベイ社のガルデンしかないということになる。つまり、日本の半導体メーカーは、より厳しい事態に直面していると言える。
このように、3M社のフロリナート生産停止の影響は極めて甚大である。もしかしたら、本誌が発売される頃には、あちこちで半導体工場の稼働が停止しているかもしれない。となると、より半導体不足に拍車がかかることになる。事態はあまりにも深刻である。
湯之上 隆(ゆのがみ・たかし)
1961年生まれ。静岡県出身。京都大学大学院(原子核工学専攻)を修了後、日立製作所入社。以降16年に渡り、中央研究所、半導体事業部、エルピーダメモリ(出向)、半導体先端テクノロジーズ(出向)にて半導体の微細加工技術開発に従事。2000年に京都大学より工学博士取得。現在、微細加工研究所の所長として、半導体・電機産業関係企業のコンサルタントおよびジャーナリストの仕事に従事。著書に『日本「半導体」敗戦』(光文社)、『「電機・半導体」大崩壊の教訓』(日本文芸社)、『日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ』(文春新書)。