創業110年以上の歴史を誇る吉本興業。そのビジネスの根幹はいつの時代も「劇場」にある。コロナ禍とSNSでエンタメが激変する今、祖業のライブ興行にどう向き合うのか。なんばグランド花月総支配人を兼任する奥谷達夫副社長に、伝統を守り未来を創る「現場の哲学」を聞いた。聞き手=佐藤元樹 Photo=上野貢希(雑誌『経済界』2025年10月号より)
奥谷達夫 吉本興業のプロフィール

おくたに・たつお 1969年、大阪府生まれ。関西大学社会学部卒業。92年、吉本興業入社、広報部配属。2012年、執行役員就任。14年、よしもとクリエイティブ・エージェンシー 取締役就任。16年、よしもとブロードエンタテインメント社長。19年、吉本興業副社長就任。
心を震わせたお笑いの現場
―― 奥谷さんはどのような経緯で吉本興業に入社されたのでしょうか。
奥谷 私は大阪で生まれ育ち、1980年代の漫才ブームの熱気を肌で感じながら、土曜の昼はテレビで『よしもと新喜劇』を見るのが当たり前の日常でした。ただ、お笑いはあくまで楽しむもので、仕事にしたいとは全く思っていませんでした。大学を卒業して就職を考えたとき、ふと「人生の大半を占める仕事で、本当に心が震えるようなドキドキできる時間が欲しい」と思ったんです。
そのとき、ブラウン管の向こうにあった吉本興業という会社が、他にはないエネルギーと予測不能な面白さを秘めているように感じました。
劇場に渦巻く熱気や芸人さんたちの本気でぶつかり合う姿に、他社にはない圧倒的な希少性と、自分を根底から揺さぶってくれる何かがあるんじゃないかと。それが全ての始まりです。
入社後、同期の多くが芸人と直接関わるマネージャーを希望する中、あえて広報を希望しましたら、会社の上の方から「変なやつやな」って言われましたよ。でも、お笑いのことに限らずそれ以外のカテゴリーのことにも触れていけるところに期待していたかと思います。
―― 現在は、副社長となんばグランド花月(NGK)の総支配人を兼任されています。支配人とはどのようなお仕事ですか。
奥谷 一言でいえば「看板商品の担当者」です。吉本の劇場には、本業のお笑いで商売をするNGK、若手育成の劇場、地域のファンとの接点となる劇場の3つがありますが、NGKはまさしく本業の中核。ライブを一つ一つ作るプロデューサーとは視点が異なり、支配人は「なんばグランド花月」という、吉本興業110年以上の歴史を受け継ぐ〝寄席・演芸文化の頂点〟である商品を、最高の状態で維持・拡大していく責任を負う仕事だと考えています。

―― NGKの看板でもある『よしもと新喜劇』は、どのように作られているのでしょうか。
奥谷 NGKの演目は、漫才、落語、コント、そして新喜劇、その全てが看板商品です。ただ、人気と実力を兼ね備えた漫才師でも、スケジュール的に毎日NGKの舞台に立つことは不可能です。
その点、新喜劇は、座長や演者が変わっても、365日、毎日無休で舞台に立ち続けてくれる。これは本当に大きな存在ですよ。しかも、毎週火曜日が初日で、翌週の月曜日が千秋楽というサイクルで、毎週全く新しい作品を上演しています。
これはもう座長を中心とした演者さん一人一人の才能の賜物ですね。
―― まさに職人芸ですね。すべての来場者に楽しんでもらうために、他に意識していることはありますか。
奥谷 私たちは普段、お客さまを3つの層に分けて考えています。①何よりお笑いを愛している「お笑いファン」、②普段そこまでお金と時間を使わないけどM-1などの賞レースは見ている「お笑いに関心がある層」。そして③お笑いのことはほとんど知らずご縁があってお越しいただいたという「完全なる新規層」です。家族や友達の付き添いで来られた方や団体旅行で来られた方が多いですね。
実はNGKは、①よりも、②や③の層の方が多いんです。
お笑いは、センスやクオリティを突き詰めすぎるほど、伝達と共感が難しくなって、理解できる人も少なくなりがちですよね。でも、私たちはそれではいけない。
NGKでは、まずは幅広くたくさんの方に楽しんでいただだくということが重要です。おじいちゃん、おばあちゃん、お子さまでも笑っていただけるような、分かりやすく楽しみやすい笑いも大切にしています。
お笑いの舞台は、ステージだけで完結するものじゃない。演者さんと客席が一体となって、一つの空気をつくり上げるエンターテインメントなんです。お客さまの笑い声やリアクションが演者に伝わり、それによって演目そのものが変化していく。まさに「生き物」です。その日、その瞬間にしか生まれない最高の「共感時間」を、ぜひ劇場で味わってほしいですね。
伝統を守り革新を続ける覚悟
―― 長年興行を続けてきた中で「変えていくもの」と「変えないもの」を教えてください。
奥谷 変えないものは、「お客さまに満足していただくこと」、これに尽きます。その結果として、「また来たいと思っていただく」。
具体的にいえば、いつ行っても絶対に面白いという状態をお客さまに提供し続けること。これがわれわれの商売の根幹であり、絶対に変わらない部分です。
変えていくものは、その「変えないもの」を継続するために、改めていくべきこと全てです。
たとえば、ライブ配信ニーズが高まれば、それをできる体制を強化する。チケットの買い方が時代に合わせて変わっていくなら、旧来の紙チケットだけでなく、新しいチケッティングシステムを導入していく。お客さまの満足度を最大化するためなら、どんな事でも変えていく覚悟があります。
―― コロナ禍は、劇場運営にとって大きな試練だったと思います。NGKではどのように乗り越えたのでしょう。
奥谷 緊急事態宣言による閉館は、まさに存亡の危機でした。再開後も、客席を大幅に減らし、アクリルパネルを設置するなど、徹底した感染対策に苦心しました。特に大変だったのが、出演者が多い新喜劇です。発熱者が出るたびに休演せざるを得ず、その45分間を埋めるために急遽他の芸人さんをアサインする、という綱渡りの日々でした。この時期は「安全」「収益」という相反する課題と向き合いながら、笑いのウエーブが起きない客席に、演者もわれわれももどかしい思いを抱えていました。
しかし回復期に入ると、客層に変化が見られました。当初、来場にはまだ慎重なご年配の団体客の戻りが遅く、個人のお客さまが中心になりました。個人客は「この芸人さんが見たい」という目的意識が明確なので、客層が若返り、賞レースで活躍するような、芸風の尖った芸人さんが受け入れられやすい傾向がありましたね。この時期、ライブ配信も一気に加速し、特に若手や地域の劇場にとっては大きな支えとなりました。
そして今、ようやく戻ってきてくださった団体客に、コロナ禍に劇場を支えてくれた個人客が加わり、コロナ前よりも多様で熱気のある客席が生まれています。この経験を生かして、生の舞台で生まれる笑いや一体感がいかに尊いものかを、皆が再認識できた。それがいちばんの収穫かもしれません。
ネットが灯したファンの熱狂 その光は劇場を照らす
―― SNSや動画サイトが普及したことで、お笑いの届け方も変化しています。その中で、これからの時代における劇場の役割をどう考えますか。
奥谷 芸人さんの商売の根幹は、ファンをいかに増やすかという点に尽きます。そのファン獲得の方法が、ネットの普及で劇的に変わりました。
ネットがもたらした最大の変化は、私は「立候補権」の民主化だと考えています。かつてテレビや雑誌への露出は一部の芸人さんに限られた権利でしたが、今では誰もが自ら発信し、ファンに直接アピールできる。この変化は、特にニッチな芸風の芸人さんにとって大きな追い風です。以前なら「ファンが少なすぎてビジネスにならない」とされたマニアックなネタでも、ネットを通じて世界中から共感者を見つけ出し、熱狂的なコミュニティを形成できるようになったのです。
そして、そうやってネットで熱狂したファンは、最終的に「この芸人さんを生で見たい」という強い思いを抱き、劇場に足を運んでくださる。つまり、ネットと劇場は対立するのではなく、ファンを育てて劇場へ誘う、相互に良い影響を与え合う関係なんです。
だからこそ、誰もが発信者になれる時代において、私たちのような企業の役割も重要になります。「組織にいるからこそ得られる付加価値」、つまり芸人さんの活動をさらに多角的に加速させることや、あらゆる側面で安心していただくサポート体制こそが、これからのエンタメ企業の魅力であり続けると考えています。
―― 奥谷さんがこれまでで最も忘れられない公演はありますか
奥谷 それはもう、無理問答みたいな答えになりますけど、「最新のもの」ですよ。といっても、目新しいものがいい、という意味ではありません。単純に「一番最近見たもの」、つまり昨日の記憶がいちばん鮮明で、刺激的で感動する、ということです。
ただ、特定の公演ではなく、この仕事をしていて幸せやなと感じる瞬間はたくさんあります。それはお帰りの際にお客さまが、わざわざ私たちスタッフに「ありがとう」「めっちゃおもろかったで」って声をかけてくださる時ですね。お金を払っていただいているのはこちらなのに、こんなシンプルに「ありがとう」という言葉が飛び交う場所って、なかなかないんじゃないでしょうか。芸人さん、スタッフさん同士のコミュニケーションでも日常的に飛び交う言葉です。
そういう場にいられることが、僕が入社当時に求めていた1番のドキドキであり、喜びですね。

