大阪府が8月、国家戦略特区制度にもとづく「特区民泊制度」から「府内7市町が離脱の意向」との調査結果を発表した。寝屋川市も同様の方針を示している。積極的に推進してきた吉村洋文府知事も「新規受付を一時停止すべき」と表明した。方針転換の背景には何があるのか。文=ジャーナリスト/小田切 隆(雑誌『経済界』2025年11月号より)
民泊施設の95%が大阪府に集中する理由
民泊は、個人や事業者がマンションや戸建てなどの住宅の一部または全部を、希望者に対しお金を受け取って宿泊サービスを提供する事業だ。
3つのタイプがあり、特区民泊はそのうちの一つ。ほかには「民泊新法にもとづく民泊」「旅館業法にもとづく簡易宿所」がある。
特区民泊は、国家戦略特別区域法にもとづき、国家戦略特区に指定された特定のエリアに限って規制を緩和した民泊。制度が始まったのは2015年で、増え続けるインバウンド(訪日客)の宿泊の受け皿を増やすことを目的としていた。特徴は参入のハードルが低く、安定して収益を上げられる点だ。
民泊事業を始めるにあたっては、簡易宿所の場合、旅館業法にもとづく許可を受ける必要があり、ハードルが最も高い。
特区民泊は都道府県知事へ認定を申請しなければならないが、簡易宿所よりは難易度が低い。最も簡単なのは新法民泊で、オンラインで届出をするだけでいい。
営業日数は、特区民泊は簡易宿所と同じく制限がない。新法民泊は年間180日以内と定められている。
一方、特区民泊には1回当たりの最低宿泊日数があり、原則2泊3日以上となっている。1泊2日では違反となる。中長期で訪日客らを泊めることが前提となっている。簡易宿所、新法民泊は1泊2日以上からOKだ。
運営に関しては、特区民泊は国家戦略特区の指定を受けているエリアの中だけOKだが、他の2つは全国で運営することができる。
法律上の分類では、簡易宿所は「ホテル・旅館」、特区民泊と新法民泊は「住宅」という扱いだ。
政府の資料によると、今年6月30日現在、特区民泊を手掛けている自治体は、首都圏では東京都大田区、千葉市、関西圏では大阪府、大阪市、八尾市、寝屋川市。このほか、新潟市、北九州市も手掛けており、全国の施設数は合計で6899。1万8913居室、3949事業者(うち個人は1442人)となっている。
このうち大阪府と府内の各市によるものは、6567施設、1万8132居室、3676事業者(うち個人は1333人)。施設ベースでは95%が大阪に集中している。なぜここまで集中しているのだろうか。
まず、旺盛な訪日客の宿泊需要に対応する必要があったからだ。
大阪には関西国際空港という「玄関口」がある。道頓堀や通天閣といった観光スポットも数多くあるだけでなく、京都や奈良、神戸など人気の高い観光地へのアクセスも良好だ。それだけに、訪日客にとっても日本の都市の中で特に人気が高い。足元では2025年大阪・関西万博への観光需要も追い風となった。
宿泊需要の高まりを既存のホテルや旅館だけではまかないきれない状況が続いており、特区民泊はその有効な補完手段として期待された。
また、特区民泊への参入のハードルは低い。物件を賃貸して賃料を取るより、民泊として料金をとった方が稼げる。大阪にはオフィスビルや商業施設だけでなく住宅も多く、空き家やマンションの空室も少なくない。多くの物件オーナーが民泊運営に乗り出すことになった。
7月の参院選では民泊廃止の主張も
だが、こうしたメリットがあるにもかかわらず、足元で特区民泊をめぐる状況は大きく変化している。吉村知事が新規受け付け停止を発言したり、寝屋川市など一部の自治体が離脱を検討したりしている。
背景の一つは、今年7月20日に投開票が行われた参院選で外国人問題がクローズアップされたことだ。
外国人の観光客や居住者の増加に伴い、ごみの分別や騒音、近隣住民とのトラブルなどが社会問題化している。そんな中で行われた参院選では、違法な外国人の取り締まりを主張した政党が議席を伸ばし、後手に回った自民党や公明党が惨敗したのは周知の通りだ。
その参院選中、大阪選挙区では、特区民泊を外国人問題に絡めて「槍玉」にあげる候補者が次々と現れた。
ある自民党候補は、「将来の移住につなげるため、経営管理ビザを取得して民泊を運営している外国人がいる」と指摘し、特区民泊の「廃止」を主張。特区民泊の旗振り役だった日本維新の会の候補も「規制すべきところは規制すべき」と訴えた。
大阪の住民感情も悪化している。
6月、大阪市此花区の200室以上ある新築マンションが全室、特区民泊の施設として使われる計画が判明。周辺住民の一部が「説明不足だ」などとして反対の声を上げる事態に発展した。マンションの民間事業者は、6月末の開業を目指して大阪市保健所に認定を申請していたが、住民らは約2万1千筆以上の反対署名を集め、市保健所に提出した。
特区民泊の開業要件には、部屋数の上限はない。だが、認定の申請前に周辺の住民に対し、特区民泊の施設として運営されることを適切に説明しなければならないとされている。
今回、こうした「適切な説明」がないとして住民側が反発したわけだが、特区民泊をめぐって今後、同じ問題が全国で噴出する可能性がある。
大阪の各自治体の「特区民泊への対応をやめたい」という意向は、こうした流れの中で大阪府が調査を行い明らかになったものだ。
調査対象は全43市町村のうち、大阪市、堺市の2政令市と7中核市を除く34市町村。都道府県と政令市、中核市は施設認定などを行う権限がある。一方、調査対象とした市町村は府が窓口で、交野市以外の33市町村で特区民泊が行われており、34市町村のうち、泉大津市、茨木市、島本町など7市町が「全域で新規の申請を受け付けず、特区への対応を終わらせる」と回答した。
岸和田市、豊能町、千早赤阪村など20の市町村は「これまで通り実施」。泉南市、忠岡町、田尻町、太子町の4市町は、住居地域では新規に受け付けず、商業地域などに限り行う。未定は河内長野市、高石市の2市。交野市はもともと実施していない。これとは別に、今回は調査対象とならなかった中核市の寝屋川市もすでに「離脱」を表明している。
吉村知事は8月29日、「市町村の意見を大切にする」と述べ、国と調整を進めていく考えを示した。
また、吉村知事は7月にも大阪市の横山英幸市長に対し、「特区民泊の新規申請の受け付けを停止すべきだ」と提案した。その理由として「ラグジュアリーホテルなどが充実し、特区民泊は一定の役割を果たした」と説明している。
宿泊施設不足解消も増えた住民とのトラブル
今後、大阪の「特区民泊熱」はどんどんしぼんでいくことだろう。国内の他のエリアにも、同様の動きが広がる可能性がある。特区民泊からの離脱が進むエリアにはどんな経済的な影響が出るのだろうか。
特に影響が大きいのはホテル業界や不動産業界とみられる。
ホテルをはじめとする既存の宿泊施設は、 特区民泊の施設が減ることにより競争が和らぎ、稼働率や宿泊料金の上昇につながる可能性がある。加えて、既存のホテルをはじめとする宿泊施設の経営が安定し、収益性が向上することが期待できる。
一方、観光客の宿泊の選択肢は減ることになり、利便性が下がって、長期的に観光客が減少するリスクも考えられる。さらに、特区民泊が担っていた安価な宿泊需要を既存のホテルが吸収できなければ、市場全体の収縮につながっていくだろう。
また、不動産業界に関しては、民泊として使われていた物件が通常の賃貸物件として市場に戻るので、賃貸住宅の安定供給につながる。
ただ、民泊事業で収益を上げていた不動産オーナーは収入が絶たれたり減ったりし、民泊向けに投資されていた不動産の価値が下落する可能性がある。
地域社会全体へのメリットとしては、民泊施設を原因とするトラブルが減り、住民の生活環境や地域の治安が改善することが考えられる。住民の満足度が上がれば、地域全体の活性化につながっていくだろう。
一方、デメリットとしては、 宿泊客が減少することで、周辺の飲食店や小売店、観光関連事業の売り上げが減少してしまうことが考えられる。
特区民泊は、宿泊施設不足の解消に大きく貢献したが、近隣住民とのトラブルといった新たな課題も生み出した。いわば、来日外国人が観光したり住んだり働いたりすることの「明」と「暗」の2つの側面を端的に象徴していると言える。
