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商品も経営スタイルもソニーは常に「モルモット」

井深大(右)、盛田昭夫のコンビで成長したソニー

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井深大(右)、盛田昭夫のコンビで成長したソニー

天才・井深大を支えた盛田昭夫

 前稿で見てきたように、ソニーは誕生からの70年間で、数多くのヒット商品を世の中に送り出してきた。評論家の大宅壮一に「モルモット」と揶揄されながらも、究極のポジティブシンキングによって、それをバネにし、さらなる成長を遂げてきた。その歴史は、戦後日本経済の復興の足跡と重なる。しかもソニーの行動は、他社の企業行動にも大きな影響を与えている。

 2人の創業者、井深大と盛田昭夫は戦時中、軍需電子機器の開発で出会った。戦後、井深の研究内容を描いた新聞コラムを盛田が目にし、2人は再会、1946年に東京・日本橋の白木屋ビルの一角で東京通信工業を設立する。翌47年には本社を東京・北品川に移す。2006年に現在の品川駅港南口(住所は港区港南)に本社を移すまで、北品川はソニーの代名詞でもあり、ここからあまたのソニー製品が生まれていく。

 50年には日本初のテープレコーダー、55年には日本初のトランジスタラジオが誕生する。それぞれ開発には苦労したが、井深の執念がそれに勝った。当時のソニーは町工場に毛の生えたような存在だったが、こうしたユニークな製品により、その存在を知られるようになっていく。

 ソニーがテープレコーダーを開発したことで、社に出入りするようになったのが、のちにソニー社長になる大賀典雄だった。大賀は当時東京芸大声楽科に在学中であり、プロの声楽家を目指していた。大賀の持論は「批評能力は表現能力に勝る」。テープレコーダーに記録した自分の歌を聞けば、もっとうまく歌えるようになるはずだと考えたのだ。ただし、当時の音質のレベルは低い。大賀はソニー製品の品質の向上が自分の役に立つと考え、頻繁にソニーを訪れるようになり、やがてはアドバイザーとして報酬も受け取った。その後、大賀はベルリン音楽大学に留学し首席で卒業、プロのオペラ歌手として活躍するが、経営の才もあると見込んだ井深と盛田は、大賀を口説き落とし、ソニーに引っ張り込んだ。54年のことである。

 盛田は大阪大学工学部出身で戦争中は海軍技術中尉だったエンジニア。しかし井深と出会ってからは、開発は井深に任せ、サポートに回った。学生時代から天才発明家として知られた井深の才能を発揮させるには、それが最善と考えたのだろう。資金調達や営業を一手に引き受け、井深が心置きなく開発に専念できる体制をつくりあげた。「テープレコーダーやトランジスタをつくっている時、後始末は盛田君がやってくれるという安心感があったから、僕は好きなことをやっていればよかった」という井深の言葉が残っている。

ハードとソフトに両輪経営の功罪

20161220MORMOT_P02 ソニーの功績のひとつに、国際化にいち早く取り組んだことが挙げられる。60年には他の電機メーカーに先駆け、米現地法人ソニー・アメリカを設立、62年にはニューヨーク五番街にショールームを開設した。これは銀座にソニービルが誕生する4年前のことだ。また61年には日本企業としては初めてアメリカで上場、当時の為替で14億4千万円を調達した。63年に盛田は家族を連れてアメリカに移住。メディアに積極的に出ることで「アメリカでもっとも有名な日本人」となる。これも、ソニーブランドの認知度を高めるための戦術で、のちにウォークマンが大ヒットした時には、ヘッドホンを耳に踊る盛田が『TIME』誌の表紙を飾っている。

 ソニーを語る上で「ハードとソフトの両輪経営」は欠かせない。これが今のソニーを世界で唯一無二の存在にしている。ソニーがCBSレコードと合弁で音楽産業に進出したのは68年のことだった。89年にはコロンビア映画を買収し、映画にも参入。こうした蓄積が、94年にプレイステーション発売によってゲームビジネスへとつながっていく。

 バブル期にはソニーだけでなく他の電機メーカーも映画産業にかかわった。松下電器(現パナソニック)はユニバーサル映画を傘下に持つMCAを買収、東芝はワーナー・ブラザーズに出資した。しかしいずれも今は手放している。

 ソニーだけがソフト部門を持ち続けていられるのは、ソフトの分かる人材がいたためだ。井深も盛田も大の音楽好き。2人がソニーに招いた大賀はプロの声楽家だ。特に大賀は、CBS・ソニー誕生と同時に同社に転じ、専務、社長を歴任、設立10年で日本一のレコード会社に育て上げた。この実績をもとに大賀は82年にソニー本体の社長に就任した。

 しかしこの「ハードとソフトの両輪経営」は、それは、その2つを熟知する経営者を見つけることが困難だという、新たなる問題を生む。大賀の社長在任期間は13年の長きにわたったが、それは後継者探しに難航した結果でもある。結局、ヨーロッパ駐在時代に映画監督のルイ・マルらと親交のあった出井伸之氏が社長に抜擢され、次のトップは米3大ネットワークのひとつCBSの社長経験もあるハワード・ストリンガー氏、そしてCBS・ソニーに入社した平井一夫氏へとバトンが渡る。しかし、出井氏以降、市場を席捲するヒット商品はあまり生まれていないのは皮肉というほかはない。

カンパニー制と執行役員制

 冒頭に「ソニー=モルモット論」について触れたが、それほどまでにソニーは世の中に存在しない商品を送り出し、新しい市場を開拓してきた。そしてこれは商品に限った話ではない。

 94年、ソニーはそれまでの事業部制を改め、カンパニー制へと移行した。各カンパニーのプレジデントには、10億円まで自由に決済ができるといった具合に権限を委譲、これにより意思決定のスピードアップを狙った。

 今ではカンパニー制を取り入れた企業は珍しくないが、すべてはソニーから始まった。もっともそのソニーは、カンパニー制では手ぬるいと、分社化に踏み切り、成果を上げている。今後ソニーにならって、社内カンパニーを分社化させるところが相次ぐかもしれない。

 執行役員制もソニーが最初だった。それまでの日本企業は、経営の監視役である取締役と執行役を同じ人間が務めていたが、これを分離することによってコーポレートガバナンスを強化することが目的だった。今では執行役制を導入することは極めて当たり前となった。

 こうした経営形態の変革は、ソニーの国際化の進展と無縁ではない。ソニーの社外取締役には昔から外国人経営者が名を連ねているし、逆にソニーのトップも海外の社外取締役を務めている。そこでコーポレートガバナンスの潮流を知り、ソニーに導入するという流れがある。

 
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