経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

貫啓二・串カツ田中社長が語る経営者にとって大事なこと 

圧倒的に稼げる人とそうでない人との違いは何なのか。事業における成功と失敗の分かれ道はどこにあるのか。本シリーズでは、幾多の修羅場をくぐりぬけてきた企業経営者たちを直撃し、成功者としての「原点」に迫っていく。

貫啓二・串カツ田中社長プロフィール

貫啓二・串カツ田中社長

(ぬき・けいじ)1971年生まれ、大阪府出身。トヨタ輸送に勤務した後、27歳で独立。大阪にショットバーを開く。その後、大阪にデザイナーズレストランと東京に京懐石の店を開き繁盛させるも、リーマンショック後の不況で業績が悪化。倒産寸前に陥ったが、ショットバー時代に知り合った田中洋江氏(現串カツ田中副社長)の実家にあった串カツのレシピを再現し、「串カツ田中」をオープン。大逆転を果たす。2016年東証マザーズ上場。直営店、FC合わせて166店舗を展開(2017年11月時点)。

貫啓二・串カツ田中社長の生い立ちと起業までの歩み

江上 貫社長は、どのようなご家庭で育ったんですか?

 町工場に勤めていた父親と、母親と兄が1人です。大学を出て良い企業に入るのが幸せといった教育をずっと受けてきたんですが、残念ながらあまり勉強はできませんでした。小さい時は人見知りで、親が他人に僕を紹介するとき「この子は大人しくて」と言われるのが嫌で、ずっとコンプレックスでした。いじめられるまではなかったのですが、人生を変えたいなとは思っていました。でも、小学校5年生ぐらいから急に性格が変わって、クラスのリーダーみたいな存在になりました。中学生の頃もやんちゃで、いつか上に登ってやろうと言う気持ちが常にありましたね。

江上 独立される前は、トヨタ自動車のグループ会社に勤められていたそうですね。

貫 トヨタ輸送という会社に9年半勤めていました。

江上 サラリーマンの時は、どんな仕事をされていたんですか?

貫 物流の会社なので、トヨタ流のカイゼン活動などに従事していました。生産された車を配車したり、カンバン方式の時刻表を組んだり、営業をやったり、仕事はすごく楽しかったですね。ですが、決まった人生を送るのが嫌で、何かしたいなとは思っていました。仕事に不満もなく順調でしたが、自由に生きたいという気持ちがすごく強かったです。

江上 私の顧客の中には、以前は大企業にいたという方が多いのですが、共通しているのは独立する前の準備といいますか、前職の時に手を抜いていないことです。サラリーマンの時にきっちり成果を出して、ビジネスに対する考え方などの土台を作っているのですが、貫社長はどうでしたか?

 僕の場合はあまりビジネスという感覚がなくて、仕事をするのが当たり前というか、負けたくないと思ってやっていました。後に独立して苦しかった時に、前の職場の方が助けてくれたことがありましたが、適当に働く奴だと思われていたら助けてくれなかったでしょうね。

江上 独立した経緯は?

貫 23歳で結婚して子供もいて、お金もないのでやりたいこともなかなか自由にできなかったんです。それでは面白くないので、土日にクラブイベントを開いたり、バーベキューをやったり、当時は社会人サークルと呼んでいましたが、今で言う婚活パーティみたいなことを趣味でやっていました。トヨタの仕事とは少し感覚が違って、自分で企画して、集客して、お金を稼ぐということにワクワク感がありました。SNSもない時代だったので、携帯1本で知り合いに電話して、顧客リストを手書きしてと大変でしたが、こういうのが一生の仕事になったらいいかなと。それで独立して大阪でショットバーを立ち上げたんですが、地獄でした(笑)。

江上 一人でお店を立ち上げたんですよね。あまり流行らなかったんですか?

 オープンして、一、二日でこれはまずいなと感じました。イベントで知り合ったお客さんはいましたが、イベント好きとお酒好きはまた違いますからね。最初は来てくれても、すぐに来なくなるだろうなと。財務戦略も相当下手でした。結構カッコいい店だったんですが、常にお金がないギリギリの状態でしたね。串カツ田中を始めたのは、それから10年後です。

串カツ田中の原点となる田中副社長との出会い

江上 ショットバー時代に、今の串カツ田中副社長の田中洋江さんに出会ったそうですが。

 田中は僕の友人が客として連れてきたんですが、彼女はお酒が好きだから、忙しい時にアルバイトさせてくれと言われて「いいよ」と。田中がアルバイトに来た時に、今後事業をどうしていくのかと聞かれて「考えてない」と答えたら、それは絶対まずいと叱られました。僕は本当にノープランだったんですが、田中は広告代理店に勤めていたのでトレンドに詳しかった。「ちゃんとやらないとこの店相当まずいよ」と言われて、とりあえず将来の夢みたいなものを書き出していったんです。それで、「3年後に大阪でナンバーワンのデザイナーを使って有名店を作る」と決めました。事業計画というより、夢を書いていった感じですね。

そうやって毎日考えていると結構叶っていくものでしたが、ある時運転資金が1500万円ほど足りない状況になったんです。金策に困っていたら、トヨタ時代に僕をすごくかわいがってくれた元上司が、退職金を全額貸してくれるということがありました。その時は「ああ、仕事を頑張ってきて良かったな」と思いましたね。僕と言う人間を信頼してくれていないと、貸してくれなかったでしょうから。

江上 一生懸命やっていると、誰かが見ているものですね。

 それまでマネージメントもチームづくりもしたことがないので、その部分でも苦労しました。ただ、自転車操業状態ではありましたが、お客さんがどんどん入る有名店にはなってきていたので、突き進んでいく感じでした。

江上 田中副社長は、当時から串カツの店をやりたいと仰っていたそうですが。

 田中は串カツの店が沢山ある西成区の出身で、彼女の父親が実家で作っていたという串カツの話をしながら、串カツの店をやりたいとずっと言い続けていました。僕は田中に串カツの店を食べ歩かされて、旨いのは分かったけど「串カツかあ」と、今一つ気持ちが乗らなかった。

その頃、大阪では最先端のデザイナーズレストランをつくる一方で、東京では京懐石の店を開いて、それが当たりました。でも、京懐石の店は料理長の地位が高く、コントロールが難しかったので下のスタッフがどんどん辞めていきました。そういう点でマネージメントって難しいなと思いましたね。もう少しお客さんの顔を見ることができて、誰かに頼らない仕事ができないかなと考えていたところに、リーマンショックが起きてすべてがダメになったんです。

奇跡的に見つかったレシピと串カツ田中の出店

貫啓二

「奇跡的に串カツのレシピを見つけた」と語る貫啓二・串カツ田中社長

江上 串カツのレシピが見つかったのはその頃でしたよね。

 10年間ずっとあると言っていた、田中の父親が書いたという串カツのレシピがどうしても見当たらなくて、自分たちで試作をしても全然上手くいかなかったんです。会社が潰れそうになったので、田中に大阪に帰るための引っ越しの準備をさせていたらそのレシピが奇跡的に出てきました。リーマンショック直後の2009年10月のことです。

どうせ店も半年持つか持たないかの状態でしたから、10年間やりたいと言い続けてきたことを最後にやろうかと。それまでの店は一等地ばかりに出店していましたが、お金がないので住宅街の安い物件を居抜きで、自分も大工仕事をして、ヤフオクで厨房機器などを安く仕入れて。そうやって串カツの店を出したらドカンと当たったんです。

江上 すぐに月商800万円ぐらいまでになったんですよね。

 本当に異様なぐらいお客さんが来ました。僕以外は大学生のアルバイトさんだけで、彼らを仕事終わりに食事に引き連れて、まあ食事と言ってもラーメン屋とかファミレスなんですが、大将みたいな感じで「人生とは」とか「仕事とは」みたいな話をよくしていました。マネージメントを意識していたわけではないですが、そうしているうちにアルバイトの子たちの熱量が上がって繁盛店として育っていきました。その辺りからチーム作りみたいなものを学んでいきました。

串カツ田中の企業理念

貫啓二

串カツ田中の企業理念について語る貫啓二社長

江上 串カツ田中の一号店が人気になった後、どのように拡大していったのですか?

 店が予想以上に当たって、半年に一店舗ぐらいのペースで出店できるようになりました。それまで大阪と東京で飲食店経営をやってきたし、串カツ屋は職人技も要らない仕事だったのですが、今思うとやり方が下手で、かなり適当でしたね。

一店舗目を開いた時に知り合いの飲食店の役員さんがお祝いに来てくれて、その時に「君のところの企業理念は何か?」と聞かれました。「企業理念のない会社が成長したためしはないよ」と。こちらは「何ですかそれ?」といった感じです。何のために働くのかと聞かれてもお金を稼ぐためぐらいしか思い浮かばなくて。では、スタッフはなんのために働くのか、などいろいろと答えに詰まってしまった。

それで気になって「企業理念」をネットで調べると、「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という稲盛和夫さんの有名な言葉があった。それで今のとは少し違いますが、最初の企業理念は「お客様の笑顔を1人でも多く生むことにより社会貢献し利益を得、全従業員の物心両面の幸福を追求する」としました。すると、会社がガラッと変わったんです。企業理念があっても、ただ飾っているだけなら意味がありませんが、「企業理念ってなんや?」と思いながらも、僕がそれに従って行動しようとするようになったので。

江上 自分自身が変わると会社が変わるというのは深い話ですね。

 「全従業員の物心両面の満足」ということで、物はお金で買えるけど心はどうするか、とかいろいろ考えるようになりました。大阪のお店は売却して串カツ田中一本に絞ったのですが、やり甲斐と休みが両方ないと従業員は疲弊するので、4店舗目から完全週休二日にしました。4店舗目くらいからはみんなで慰安旅行に行くことにして、旅行先も毎年スケールアップしていて、少しでも良くしていくことを意識しました。それも企業理念に「従業員の物心両面の幸福」というのがあったからです。

自分が串カツ田中を育ててきたというより、串カツ田中が経営で大切なことを教えてくれたと思っています。常に試練を与えてくれるし、手を引いてもらっている感覚ですね。経営が上手くない僕でも、串カツ田中は伸びていくからそれに自分が追いついていくしかないんです。

串カツのイメージを守るためにスピード展開

江上 苦労を10年された後の成長のスピードがすごいですよね。

 苦労はしていますが、意外と用心深い方なんです。

江上 私の顧客の経営者でも用心深い人が多いです。年配の方はよく、本当のお金持ちは50歳を過ぎてからだと言います。若い時にお金を掴んでしまうと、驕りが出て大体おかしくなる。それまでにどれだけ体験を積んで、人の気持ちが分かるようになれるかが大事だということです。

 飲食業界にも若い経営者は多くいますが、金遣いが荒い人を見ていると、羨ましいのが50%、可哀想にという気持ちが50%ですね。早く成功しすぎると、落ちることへの恐怖が長いだろうなと思いますし(笑)。

江上 フランチャイズの導入については、どうやって勉強されたのですか?

 本を読むのも得意ではないし、勉強は特にしていないです。できれば直営で全部やりたかったのですが、串カツ田中を模倣する店が出てきたので、これは急がなければいけないと思いました。これが焼き鳥屋だったらA店がダメならB店となりますが、東京で胸焼けがする串カツを売られたら、「串カツは胸焼けする食べ物だ」と思われてしまう。だから、最初に僕らの串カツを食べてもらうためにはスピード展開するしかない。それなら、フランチャイズの手法を取ればできるなと。アルバイトでもオペレーションできて儲かるからフランチャイズにするという気持ちは全然なかったです。

串カツ田中が5店舗ぐらいの時から業界から注目されだして、そのころになると飲食業界の仲間も増え、SNSも普及していたので、紹介を貰ったりして成長が加速しました。勉強という意味では、「太陽の会」という飲食業界オーナーの勉強会にも参加しました。

貫啓二社長から経営者へのメッセージ

江上治と貫啓二

「社会を意識して仕事をすることが大事」という貫啓二・串カツ田中社長。左は江上治氏。

江上 その会は今もあるんですか?

 あります。飲食業の発展を理念に掲げて、もう11年目ぐらいになる勉強会です。ゲスト講師を呼んだり、自分たちの評価制度などを出し合ったりして勉強しています。特に、入って1年くらいの時に聞いた鳥貴族の大倉忠義社長の講話の影響で、自分の経営がどんどん変わっていきました。

江上 大倉社長の言葉で、特に印象に残ったものはありますか。

 たくさんありますが「上場してもしなくても、いつでも上場できる会社にしておくことが大事」というのが特に響きました。最初に聞いた時にはあまりピンとこなかったのですが、串カツ田中が50店舗ぐらいになって上場を目指し出した時、すぐにその言葉の意味が分かりました。上場基準に達するために、ガバナンスやコンプライアンスなどに取り組んで行くうちに、企業が成長するのに必要な要素が全てそこに入っていることに気付いたんです。たとえば法令順守の点1つを取っても、スタッフに良い環境を作りたいと言いながら、アルバイトに有給休暇を与えるといった部分にまで完璧な意識は及んでいなかったですしね。教育や採用にもお金をかけるようになって、安定的に成長するための基盤ができました。

江上 まさに串カツ田中が教えてくれたということでしょうね。若い経営者に向けてメッセージを送るとすればどんなことですか。

 経営者かどうかにかかわらず、仕事が嫌だという気持ちがあるとしたら、それは思い込みではないかと思うんです。先日、勉強会で「もし警察に捕まったら、懲役刑と禁固刑のどちらが良いか」という質問をされました。禁固刑は朝昼晩の飯は食えるけど部屋から一歩も出られない。一方、懲役刑は労働しなくてはならない。すると、多くの人は労働がしたいと考えてしまうんですね(笑)。さらに、「誰でもできる仕事と難易度が上がっていく仕事のどちらがしたいか」と聞かれて、それなら成長できる仕事のほうがいいなと。

人間には成長欲求があって、社会とつながることで生きがいを感じています。社会と一番繋がることができるのは仕事です。仕事が辛いもので、遊びが楽しいものという概念を取り払わないと人生は豊かにならないと思います。これは、うちの会社にずっといろという意味ではなく、アルバイトさんにもよく言ってることです

江上 仕事があるから休みも嬉しいということですね。メリハリやギャップは必要です。

 考え方を変えるだけだと思うんです。社会というものを意識して仕事をすることが大切なのではないでしょうか。

(えがみ・おさむ)1億円倶楽部主幹・オフィシャルインテグレート代表取締役。1967年生まれ。年収1億円超の顧客を50人以上抱えるFP。大手損保会社、外資系保険会社の代理店支援営業の新規開拓分野で全国1位を4回受賞、最短・最年少でマネージャーに昇格し、独立。著書に16万部突破『年収1億円思考』他多数。

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