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リクシル、ミスミから韓国エンタメ界に入った理由 ハン・ヒョンロック HYBE JAPAN

ハン・ヒョンロック HYBE

3度のグラミー賞ノミネート歴を持つBTS、昨年のNHK紅白歌合戦に出演したSEVENTEEN、LE SSERAFIM 、NewJeansなどの所属芸能事務所を傘下に持つ、韓国大手エンタメ企業HYBE。その日本本社を育ててきたハン・ヒョンロック代表に、エンタメ業界に入るまでのキャリアについて聞いた。聞き手=小林千華 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2024年5月号より)

ハン・ヒョンロック HYBE JAPAN 代表取締役兼CEOのプロフィール

ハン・ヒョンロック HYBE
ハン・ヒョンロック HYBE JAPAN 代表取締役兼CEO
1983年、韓国生まれ。2010年、慶應義塾大学法学部卒業後、韓国に帰国。新韓銀行など金融業界での勤務を経て13年、リクシルコリア入社。戦略企画室長を経てリクシル本社へ。14年、リクシルLHT経営戦略グループリーダー就任。17年ミスミに入社し、同年、アジア企業体部門長就任。19年、Big Hit Entertainment(現HYBE)入社。20年、Big Hit Solutions Japan(現HYBE JAPAN)代表取締役兼CEO就任(現任)。

キャリアの決め手は「人」エンタメ界に入った経緯

―― ハンさんは、2010年に慶應大学を卒業後、19年にHYBE韓国本社の前身であるBig Hit Enter

tainment(以下Big Hit )に入社するまで、主に製造・流通業界でキャリアを積まれていました。エンタメ業界に入るまでにどんな経緯があったのでしょう。

ハン 大学卒業後すぐ韓国に戻り、金融業界でキャリアをスタートしましたが、その後、お世話になっていた恩人から声を掛けられてリクシルの韓国法人に入社しました。戦略企画室に入り、事業や戦略、財務、工場での品質管理や生産など、いろいろな部門で広く経験を積みました。

 私は日本語ができたので、日本本社とのやり取りは私が先に立ってすることが多かったのですが、その中で「本社に来てみないか」と声を掛けられたのが、日本に戻ったきっかけです。私は住宅の窓やドアなどの建材を製造するハウジングテクノロジー部門で、経営企画に携わることになりました。

 また、日本で働いている間、経営人材を育成するNPO、ISLに入って経営を学び始めました。そうして1年ほどたった16年、リクシルの社長交代があったんです。組織も変わることだし、新しいチャレンジをしようと思って、転職を決めました。

―― それでミスミに入社することになったのですね。

ハン 実はその前に、とある外資系企業への転職が決まっていました。ところが、そこに入社するほんの3日前、ISLのファウンダーである野田智義氏にあいさつしに行くと、「いや、日本企業でもっと経営を学ぶべきだ。ある会社に連絡しておいたから、明日社長に会いに行きなさい」と言われて。その会社がミスミでした。翌日、言われた通りミスミの社長に会いに行くと、その場でオファーレターが出されたんです。

 ミスミに入社を決めた理由は、野田氏のパッションとそれに応えてくれたミスミの誠意です。3日後に別の企業に入社が決まっている私に、「そんなの俺は認めん、いいから話だけでも聞きに行け」と強引に別の企業を紹介するなんて、普通はそんなことしないじゃないですか。また会社としても面接プロセスをきちんと踏まず、当日にオファーレターを出すのもあまりないことだと思います。でもだからこそ、それをしてくれた彼と会社に応えるのが人としての仁義というか、あるべき姿だと感じた。そこで、既に入社が決まっていた企業には平謝りして、ミスミに入社しました。

 ミスミでは、タイ、インドネシア、ベトナムなど、主に東南アジアの国々を飛び回る生活をしていました。それまでの経験を生かし、倉庫の移転プロジェクトから競合他社の分析まで、何でも屋みたいにさまざまな仕事をしましたね。

 そして3年働いた頃、韓国の一番親しい友人の一人から電話があったんです。「そろそろ婚活しようぜ」と。

―― 婚活ですか。

ハン 当時30代半ばでしたが、確かにその頃はほとんどプライベートの時間が取れていませんでした。「このプロジェクトが終わったら、また東南アジアのどこかの国に、何年か駐在するんだろうな……」などと考えていたところで。

 冗談っぽくプライベートの話もしましたが、友人から「君に合いそうな企業が韓国にあるから」と言われ、ミスミには「退職理由:婚活」と書いた退職願を出しました。役員面談でも社長面談でも「婚活のために?」とけげんな顔はされましたが、ともかく韓国に戻ろうと。

―― そこでHYBE(当時Big Hit)に入社されたわけですが、なぜそれまでのキャリアとは全く異なる世界に飛び込んだのでしょう。

ハン ひとつは、韓国エンタメ業界の中で起きていることを知りたいと考えたためです。当時韓国のあらゆる産業の中で、前年比輸出額が伸びている業界といえば、K-POPや韓流ドラマなどのKコンテンツ系、つまりエンタメ業界か、化粧品などビューティー業界でした。韓国で伝統的に強い産業である造船や半導体業界にあまり元気がなかった中、すごい勢いで成長しているこれらの業界で、一体何が起きているのか知りたかったのがひとつの理由です。

 もうひとつは、HYBE創業者のバン・シヒョクに会ったことです。彼は別の韓国芸能事務所でプロデューサーとして経験を積んだのち、独立してBig Hitを創業。BTSをプロデュースした人物です。バンは私よりずっと経営の知識を持っていて、とてもロジカルな人でした。この人の下でなら、自分がこれまで積んできた経験を生かしながら働けると思ったことも、入社を決めた理由です。そう考えると、私はキャリアの大半を人とのご縁で決めてきました。

―― 入社は19年と、コロナ禍直前ですね。

ハン まさにそうです。当時まだバンが社長だったので、いわゆる社長スタッフチームの一員として入社しました。その頃はちょうど、われわれのチームで企業体制の見直しを行っていた時期でした。それまで、日本や米国といった海外の拠点は全て韓国本社の下についていて、日本での公演や商品製作を行うチームも、韓国本社の意思決定のもと動いていました。でも新たに、海外拠点を含む本社体制を取り、韓国本社、日本本社、米国本社として、それぞれ経営、PR、公演から商品製作・販売まで独立した機能を持たせるという構造を作ったのです。

 私の話に戻すと、日本本社を立ち上げるにあたり、やはり現地の言語や文化を知っている人間が代表に就くべきだろうということになりました。そこで日本本社の代表として、20年4月に日本に舞い戻ったのです。

 エンタメ界は確かに私にとっては新しい業界でした。でもここでの事業にも、アーティスト商品の企画・製造・販売、Eコマースなど、製造・物流業界と通じる部分はありますし、「自分たちにどのような強みがあって、顧客にどのような付加価値を提供できるか」という経営の本質も同じです。それに、他業界から来たからこそ、エンタメ業界では当たり前の商慣習にも疑問を持ち、改革にチャレンジできると思っています。

日本本社として国内企業との協業も宿題

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―― 日本国内での大きな取り組みとしては、昨年行われた男性グループSEVENTEENのドームツアー開催にあわせて、各地公演連動型イベント「THE CITY」を開催しました。

ハン これは、公演開催前後に、会場周辺の施設や飲食店などでイベントを開催し、ファンの体験をさらに拡張させるために企画したものです。THE CITYは22年、BTSの公演にあわせて米ラスベガス、韓国釜山で成功した実績があり、同年に日本でも初めて開催しました。

 2度目となる昨年は、公演会場に近い埼玉/東京、名古屋、大阪、福岡の5カ所で開催。プログラム展開にあたっては、計30社以上の地元企業に参画していただきました。例えば、埼玉・ベルーナドームでの公演前後に行った、渋谷・REYARD MIYASHITA PARKでのフォトスポット設置や館内BGMジャック、三井アウトレットパーク入間でのフォトスポット設置、プレゼントキャンペーンなどには、三井不動産さまが参画。また、東京メトロさまにも参画していただき、駅構内での広告展開、オリジナル24時間券や限定ブロマイドの販売を行いました。

―― 協業先の企業にもメリットがあるということですね。

ハン K-POPファンの熱量は非常に高く、公演には遠方から訪れる人が多くいます。その方々がとんぼ返りしてしまうのは、とてももったいないこと。もっとその地域で楽しんでもらえる余地があるはずです。

 ただ、ドームなど大規模な会場でのコンサートには、商品購入のための長い列がつきものですよね。ファンは商品購入のために早朝から列に並んで、夕方からの公演に備えることも少なくない。これが地域周遊を妨げる要因のひとつでした。

 しかしHYBE傘下の芸能事務所に所属するアーティストの公演では、商品販売は事前にデジタルプラットフォーム「Weverse」上で商品選択から決済までを済ませてもらい、会場では指定時間に現物との引き換えを行うのみとしています。これにより、商品購入に必要な公演当日の待ち時間を大幅に減らすことができました。

 そこでできた可処分時間をTHE CITYの周遊に使っていただくことで、ファンの体験の質向上と、周辺地域への集客が両立させられます。実際昨年のTHE CITY後は、これまでのさまざまな協業と比べて最も高いレベルの反響がありました。

 日本本社として、国内のさまざまな企業と協業することや、日本の地域活性化に貢献することは、ひとつの宿題です。パートナー企業と一緒に国内で共同の取り組みをするのもありえますし、一緒に海外に出ていくのも面白いと思います。今後、ファン体験の質を高めるための実験をたくさんしてみたいという考えもあるので、われわれのビジネスモデルやノウハウを、もっと各方面にオープンにしながら成長していきたいです。