マネジメント

埼玉県秩父市にあるベンチャーウイスキー。社員数20人の小さなウイスキー会社だが、ここでつくられた「イチローズモルト」は、2年連続で世界一の評価を得た。会社設立からまだ14年。蒸留開始からわずか10年での快挙である。なぜ秩父の小さな蒸留所がこれほどのウイスキーをつくることができたのか。

 

世界的な品評会で世界最高賞を受賞したイチローズモルト

 

ベンチャーウイスキーの肥土伊知郎社長

 日本のウイスキーづくりは、1923年の寿屋(現サントリー)山崎蒸留所完成から始まり、29年には初の国産ウイスキー「白札」(現在の「サントリーホワイト」)が発売された。寿屋創業者・鳥井信治郎と二人三脚でウイスキーづくりに励んだ竹鶴政孝は、その後、大日本果汁を設立し余市蒸留所(北海道)を建設、これがのちのニッカウヰスキーとなる。

 以来、国産ウイスキーは事実上、サントリーとニッカの独占状態にあった。かつては存在した2社以外の蒸留所も、ウイスキー市場が縮小するに従い撤退に追い込まれた。ところがここ数年、日本各地に新たな蒸留所が誕生している。例えば北海道厚岸にある「厚岸ウイスキー」は、今年2月に初めてのウイスキーを出荷した。このほか、静岡市、滋賀県長浜町、鹿児島県南さつま市などでもウイスキーが仕込まれており、市場に送り出される日を待っている。

 各地でウイスキーがつくられるきっかけになったのが、埼玉県秩父市に蒸留所のあるベンチャーウイスキーの存在だ。ここでつくられたウイスキー「イチローズモルト」は、世界的なウイスキー品評会「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)2017」のシングルカスクシングルモルト部門で世界最高賞を受賞した。そして今年は、ブレンデッドウイスキーリミテッドリリース部門で世界一に輝いた。それもあって、現在イチローズモルトは出荷する端から売れて行き、入手困難な状況が続いている。

 

イチローズモルトを世に出した肥土伊知郎氏の思い

 

 ベンチャーウイスキーは2004年に肥土(あくと)伊知郎氏によって設立された。

 肥土氏の実家は埼玉県で造り酒屋を営んでおり、羽生市にウイスキー蒸留所も持っていた。肥土氏は大学卒業後、サントリーに就職するが、28歳で実家に戻る。しかしほどなく家業が経営危機に陥り、他社の支援を仰がざるを得なくなる。その条件が、羽生蒸留所の原酒400樽の廃棄だった。

 当時はウイスキー市場が毎年減少しており、支援企業にしてみれば、売れないウイスキーなどお荷物でしかなかったのだ。しかし肥土氏にしてみれば、丹精込めた原酒を廃棄するなど到底飲める話ではなかった。

 「ウイスキー市場が縮小しているといっても、それはペットボトルに入っているようなウイスキーが焼酎に負けたから。丁寧につくった個性あるウイスキーを求める人はそれほど減っていなかった。さらには01年にニッカの『余市シングルカスク10年』が世界一に選ばれ、それをきっかけに日本のウイスキーの評価が上がっていった。それもあってどうしてもこの酒を世に出したかった」(肥土氏)

 そこで肥土氏は原酒を預かってくれる先を探し、そのうえでベンチャーウイスキーを立ち上げ、この原酒を瓶詰し、「イチローズモルト」と命名して売り出した。

 肥土氏自らウイスキーバーを回り、最初に仕込んだ600本を2年かかって売り切った。そして次につくった2本目のウイスキーが、WWAを主催する『ウイスキーマガジン』誌上で、日本のウイスキーとして最高点を獲得、評価は一気に高まり、売れ行きも伸びた。そこで肥土氏は次のステップへと踏み出した。

 

秩父の自然で熟成させた「イチローズモルト 秩父ザ・ファースト」

 

なかなか手に入らないイチローズモルト

 樽の大きさにもよるが、一つの樽からだいたい200本のウイスキーができる。羽生でつくられた原酒は400樽あったため、これを瓶詰するだけでも、しばらくはビジネスを続けることはできたはず。しかし肥土氏は、羽生蒸留所の「遺産」に頼る道は選ばず、07年に秩父蒸留所を建設、新たなる原酒づくりに取り組み始めた。資金調達の壁にもぶつかったが、最後は「秩父でウイスキーをつくりたい」という熱意が多くの人を動かした。

 肥土氏はサントリー出身だが、配属は営業で、酒づくりとは無縁だった。羽生蒸留所の最後でかかわったとはいえ主体的なものではなく、その後スコットランドでウイスキーづくりを学ぶが、経験はほとんどないに等しかった。そこで頼ったのが、「オーセンティック(正統派)なやり方」(肥土氏)だった。

 「ウイスキーづくりには長い歴史があります。その間にいろいろなアイデアが出て今日に至っている。それなのに私が思い付きでつくったところで過去は超えられません。そこで伝統的なやり方をいかに再現できるかにこだわりました。例えばモルティング(製麦=大麦の発芽と乾燥)も専門業者に頼まず自分たちで行い、麦汁の発酵槽はステンレスではなくミズナラの樽を使う。木の発酵槽は乳酸菌が住み着くため風味がよくなるとも言われています。あるいは原酒の貯蔵庫の床はむき出しの地面にし、空調設備をつけず、秩父の自然の中で熟成させることにしました」(肥土氏)

 最初の仕込みは08年2月。それを樽の中で熟成させる。スコットランドでは、「ウイスキーと呼ばれるのは3年以上熟成させたもの」というルールがある。秩父蒸留所でつくられた原酒もそれにしたがった。そして3年後に誕生したのが「イチローズモルト 秩父ザ・ファースト」だ。

 「樽で貯蔵する前の原酒をニューポットと呼びます。その段階で『悪くない』とは思っていましたが、どうなるかは時間がたってみないと分からない。でも3年たって、テイスティングしたところ、『これは行ける』と」(肥土氏)

 その自信は7400本という第1号ウイスキーの発売本数にも表れている。羽生蒸留所のモルトをつかった最初のウイスキーの出荷数量は600本。それを2年かけて売り切った。それと比較すると7400という数の大きさが分かる。ところが価格1万円のこのウイスキーは、予約だけですべて売り切れた。肥土氏のつくる新しいウイスキーへの期待はそれほど大きかった。

 期待を裏切らなかったことは、このウイスキーが専門誌などで軒並み高評価を得たことが証明する。そして前述した2年連続の世界一により、イチローズモルト人気はさらに高まった。その結果、今ではどの商品も品薄状態が続いている。「1本仕入れるのがやっと。だからお客さまには1人2杯までと決めています。多くの人に飲んでほしいですから」(イチローズモルトを提供している都内のウイスキーバー)。

 ベンチャーウイスキーでも、これまで2日で3仕込み(1仕込みにつき原酒2千リットル)だったものを、スタッフを増やし2日4仕込み体制とし、生産量を増やしている。しかし熟成に時間がかかるため、しばらく我慢するしかなさそうだ。

 

円熟味を増すイチローズモルトへの期待

 

 イチローズモルトにとって幸いだったのは、83年の37.7万キロリットルをピークに30年以上減り続けていたウイスキー市場が、2007年の7.4万キロリットルを底としてここ10年拡大し続けていることだ。

 その要因は08年にサントリーが「角ハイボールキャンペーン」を行い、ハイボールがブームとなったことと、14年のNHKの朝ドラ「マッサン」で、竹鶴政孝と国産ウイスキーづくりにスポットが当たったことが大きい。中でも「マッサン」によって、ウイスキーづくりが芸術であることを知る人が増え、これをきっかけに多くの人がウイスキーのおいしさに目覚めた。そしてこの人たちが、個性あるウイスキーを楽しむようになった。イチローズモルト人気の背景にはこうした土壌があった。

 イチローズモルトで特筆すべきは、秩父で蒸留を始めてからまだ10年しかたっていないことだ。ウイスキーは樽の中で熟成されることでまろやかになり風味が増す。ということは、今でさえ高評価のウイスキーが、20年、30年と熟成の時を重ねることで、さらに円熟味を増す可能性が高い。

 肥土氏は「あと20年たったらどんなウイスキーができるか楽しみでしかたがない」と言うが、それは多くのウイスキーファンの思いでもある。

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