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ライブドアショック を振り返る 一大社会現象を起こした堀江貴文氏の功罪

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十数年前、日本一有名な経営者として、その姿をメディアで見ないことのなかったライブドアの堀江貴文。プロ野球参入を訴え、総選挙にも打って出る。しかしテレビ局買収に失敗し、その1年後に逮捕され、経営者としての人生は終わりを告げた。しかしその影響は、今なお続いている。(経済界ウェブ編集部)

堀江貴文氏とライブドアが一世を風靡するまで

珍味の堀江貴文と主食の三木谷浩史

 「堀江君は面白いけれど、言ってみれば珍味。けっしてメーンディッシュにはなれない。メーンディッシュになるのは三木谷君のような人だよ」

 これはITベンチャーの兄貴分的存在の経営者から、2003年頃に聞いた言葉だ。

 当時の堀江は、経営破綻した無料プロバイダ「ライブドア」を譲受し、自ら立ち上げた「オン・ザ・エッヂ」→「エッヂ」の社名をライブドアに変えたばかり。既に東証マザーズに上場は果たしており、起業家として注目されるようになっていた。

 とはいえ冒頭の先輩経営者の言葉にあるように、当時はまだ際物扱いだった。

 ところが04年、近鉄バファローズがプロ野球からの撤退を表明したのをきっかけに、ライブドアは球界参入を表明、その時から堀江の名前は全国区となっていく。ライブドアの新球団構想は、途中から楽天が加わったことで、一段と盛り上がりを見せる。結果、珍味の堀江は財界応援団をバックに持つメーンディッシュの三木谷浩史の前に屈するが、この無謀ともいえる戦いは、堀江ファン拡大につながった。実際、『稼ぐが勝ち』等、堀江が出す本は軒並みベストセラーになったほか、堀江を表紙に起用した雑誌は空前の売れ行きを記録した。

 堀江は翌年には総選挙に出馬、郵政民営化に反対し自民党を離党した亀井静香に勝負を挑んだ。結局、この時も堀江は敗れるが、常に強い者に向かっていくドン・キホーテ的なその姿勢は、若者を中心に圧倒的支持を受ける。今のZOZOの前澤友作同様に、その一挙手一投足に注目が集まった。

堀江貴文氏逮捕でライブドアショックが幕開け

 堀江の最大の魅力は、本音をオブラートで包まず本質をズバリと言い当てるところだ。

 例えば堀江の言葉で最も有名になった「お金で買えないモノはない」。この言葉の本質は、「お金ほど客観的な評価はない」というもの。情実や忖度など、あいまいなもので意思決定がされるより、お金に置き換えて考えたほうが、公正な決定が下せるという意味だった。このようにキャッチーな言葉を操る堀江を、多くの若者は自らの代弁者として支持した。

 しかし06年にニッポン放送の株を取得し、当時その子会社だったフジテレビの支配をもくろむと、潮目が変わった。

 それまでは「面白い変な奴」として堀江の存在を許していた日本のリーダーたちが、堀江は既得権益をおびやかす「危険分子」とみなすようになった。

 堀江にしてみれば放送とインターネットの融合は必然だった。しかし、長らくお茶の間の主役を独占していたテレビ側の人間は、新興勢力に飲み込まれる恐怖感から政財界を巻き込んで徹底抗戦する。

 結果、堀江はフジテレビ買収に失敗するが、それだけでは終わらなかった。

 06年1月16日、東京地検特捜部によるライブドア本社や堀江の自宅の家宅捜査によってライブドアショックの幕は開いた。容疑は風説の流布など証券取引法違反で、1月23日に堀江は逮捕され、11年には最高裁で懲役2年6カ月の実刑判決が確定、堀江は収監される。

 堀江の逮捕によって急成長を続けてきたライブドアは空中分解、今でもライブドアはLINEポータルサイトとして名が残っているが、会社名は消滅した。

 堀江は東京地検特捜部による捜査を「国策捜査」として強く批判しつづけた。その是非はともかく、一連の騒動ではっきりしたのは、日本社会の変革への及び腰の姿だ。

堀江貴文氏の逮捕とライブドアショックが及ぼした影響

堀江叩きに象徴される日本社会の病巣

 アメリカでは00年にプロバイダ大手のAOLがメディアコングロマリットのタイムワーナーと合併している。これは結果的にはうまくいかず、その後、合併も解消されるが、新勢力と旧勢力のバトンタッチは比較的スムーズに運ぶ。アメリカの時価総額上位10社に、10年前の上位10社が1社しか残っていないのも、新陳代謝の速さを物語る。

 ところが日本では一度できあがった体制は、なかなか崩れない。ネットとテレビの融合にしても、かつてはソフトバンクの孫正義がテレビ朝日買収をしかけ、楽天の三木谷もTBSに触手を伸ばすが、いずれもうまくいかなかった。

 エスタブリッシュメントの三木谷でさえ受け入れられなかったのだから、異端児の堀江が拒絶されるのも当然だった。

 現在、堀江は経営の第一線から離れているものの、民間ロケット開発に取り組み、北海道で実験を行っている。このロケット開発にしても、アメリカではイーロン・マスクを筆頭に複数の起業家が宇宙ビジネスに参入、実用化が目前に迫っている。

 ところが日本の場合、いまだ三菱重工の独占状態にあり、そこに堀江が出資するインターステラテクノロジズが徒手空拳でチャレンジしている程度で、実用化ははるか遠い先だ。その意味で、堀江が逮捕された10年前と状況はほとんど変わっていない。

 先日、トヨタ自動車とソフトバンクグループ(SBG)が提携を発表したことを受け、天下のトヨタがベンチャーにすり寄ったとの記事を多く見かけたが、SBGは既に創業から35年がすぎた。

 創業者の孫にしても60歳を超え、一時は真剣にバトンタッチを考えたほどで、ベンチャーと呼ぶことはできない。その意味で、現在、日本発で世界を動かそうという野心を前面に出す若手起業家は残念ながら見当たらない。

萎縮してしまったベンチャー経営者たち

 それどころか、ライブドアショックは若い経営者の心を萎縮させてしまった。ベンチャーが知名度を上げる手っ取り早い手段は、経営者が宣伝塔になることだ。しかし目立ち過ぎた堀江が逮捕されて以降、若手経営者はおしなべて貝になり、派手なふるまいを慎むようになった。

 堀江がプロ野球参入を発表した時の年齢は、まだ31歳だった。それでも大衆を味方につけ、社会にムーブメントを起こした堀江を見て、世の中を動かすことに年齢は関係ないとの期待を抱かせた。だからこそ、その挫折は、「やはり現状を変えるのは無理なのか」という深い失望感を与えた。希望が大きかった分、失望はより深かった。

 その意味で、ライブドアショックは、日本の活力を確実に奪う結果となった。

 堀江は最近でもメディアやメールマガジンなどを通じて発信を繰り返し、インフルエンサーとしての役割を演じている。もしライブドアショックがなかったら、堀江は、そして日本経済はどうなっていたのだろうか。(敬称一部略)

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