政治・経済

新薬の価格高騰が続いている。一時話題になったオプジーボは3千万円だが、アメリカでは2億円の新薬が登場した。そんな中、日本のアンジェスが開発した日本初の遺伝子治療薬が承認された。気になるその価格は60万円。あまりの安さに日本の創薬ベンチャーは意気消沈だ。文=ジャーナリスト/大谷洋司(『経済界』2019年11月号より転載) 

 

遺伝子治療薬「コラテジェン」の承認過程で見えた問題点

 

国産初の遺伝子治療薬の安さに市場は失望

 9月10日、画期的な遺伝子治療薬が、田辺三菱製薬を通じて日本で発売となった。

 大阪大学発の創薬ベンチャー「アンジェス」(東京都港区、山田英社長)が開発した、「コラテジェン」(一般名=ベペルミノゲン ペルプラスミド)という注射剤だ。製品化に至るまでの開発期間はおよそ20年、さまざまな困難を乗り越えて日の目を見た、初の国産遺伝子治療薬である。

 ところが、この晴れの日を2週間後に控えた8月27日、アンジェスの株価は急落した。朝日新聞が、コラテジェンの公定薬価が約60万円、推計患者数を掛け合わせると、年間市場規模は12億円程度(発売10年後のピーク時)という、厚生労働省の資料をスクープしたことが発端だった。

 コラテジェンを使う患者は、慢性動脈閉塞症という血管が詰まる病気から脚の血行が滞り、歩行困難になった重症の患者で、国内では1千人に満たない。

 一方で、医薬品の開発には10年以上の時間と100億円単位のコストがかかっており、薬価はある程度高くないと、少ない患者数では開発費は回収できないとされる。アンジェスの株価急落は、国が決めたコラテジェンの公定薬価は市場のコンセンサスよりも安かったために、投資家がこれを嫌気したのだ。

 これまでにない治療薬の場合、薬価は類似する既存薬と比較して設定することができないため、企業が申告する製造原価などの積み上げをベースに、その治療法の画期性や有用性の程度、市場規模などに応じたさまざまな補正加算を通じて、薬価に色を付ける手段が用意されている。

 しかしコラテジェンの場合、いずれの加算も認められなかった。

コストに見合わない国の価格設定

 理由は、アンジェスが「条件及び期限付承認」という、再生医療向け製品を対象として14年に新設された制度を利用してコラテジェンの承認を得たからだ。

 今後5年間でコラテジェンを投与された全例を対象に臨床評価を加え、有効性が確認できれば正式承認が下りるため、薬価は低く抑えられた。製品化が実現するまでは上場後も赤字経営は当たり前で、研究開発費をいかに工面するかが生命線のバイオベンチャーにおいて、年間売上高12億円は、アンジェスの今後の成長を支えるどころか、安定収益の屋台骨となるかどうかも微妙なところだ。

 重度の糖尿病に伴う脚壊疽などの適応拡大や、米国での開発計画が残っているコラテジェンには、将来的な市場拡大の余地はある。

 しかし、この後に続く日本のバイオベンチャーにとっても、コラテジェンが承認までたどった過程と、コストに見合うとは思えない国の価格設定は、「他山の石」では済まない現実的な問題をはらんでいるはずだ。

 今後、ベンチャーの事業意欲を殺いでしまいかねない、似たような事例が頻発するであろうことが想像される。

当局の手のひら返しで迷走資金繰りは常に綱渡り

 コラテジェンは、本来なら10年前に世に出ていたはずの薬だった。

 アンジェスは、「国内バイオベンチャー1.0」と呼ぶべき存在だ。大阪大学医学部の森下竜一教授らの研究成果を基に、1999年に設立されたメドジーンがその前身である。

 84年に日本で発見された、肝細胞増殖因子「HGF」が、コラテジェン開発の源流だ。HGF遺伝子を局所投与すると、その部位の血管新生を促すことを95年に突き止めたのが、阪大の森下教授である。 

 血管が詰まることで脚の血流が阻害され、最終的には組織が壊死してしまう重症虚血脚の治療に応用できるのではないかと考えたことが、森下教授がアンジェスを創業する出発点だった。

 しかし、この治療コンセプトを臨床試験で実証するのは困難を極めた。既存の代替治療として、閉塞した血管を薬物療法やバルーンカテーテルを通すことで押し広げ、重症化を防ぐといった、より早期段階で施す治療がある一方、コラテジェンの場合、そもそも下肢切断の一歩手前まで重症化した患者を一定数集め、この遺伝子療法が臨床的に有用な治療であることを、統計学的に証明しなければならなかったからだ。

 こうした事業リスクの高い治療法の実用化に手を出す大手製薬企業は、当時も今もほとんどない。

 2002年に東証マザーズに上場したアンジェスの場合、幸いにも共同開発プロジェクトとして資金を融通する企業として、当時の第一製薬(現第一三共)と提携することに成功したが、コラテジェンの開発が長期化する過程で第一三共の誕生に伴う開発資産の見直しがあった結果、アンジェスは09年に提携解消の憂き目に遭っている。コラテジェンを巡る田辺三菱とのパートナリングは12年(国内事業については15年)のことである。

山田英・アンジェス社長

新薬について説明する山田英・アンジェス社長

 

日本の創薬ベンチャーを取り巻く構造的な問題とは

 

当局の手のひら返しで迷走資金繰りは常に綱渡り

 開発長期化から第一三共が手を引いた理由は、規制当局の承認が得られず再試験を余儀なくされたためだ。アンジェスは08年にコラテジェンの国内申請に踏み切ったが、厚労省の外局で医薬品などの承認審査を手掛ける医薬品医療機器総合機構は、有効性を示すデータが不十分だとして、その承認を見送っている。

 医薬品の承認審査は企業の薬事申請があって初めてスタートするものではなく、臨床試験の段階から外部専門家を交えた綿密な企業――当局間の協議が繰り返され、申請段階ではほぼ承認に向けた道筋はついていることが多い。コラテジェンのケースでも、アンジェスが臨床試験を通じて用意したデータで審査可能という判断が当局側にあったからこそ、薬事申請に至ったと考えられている。

 にもかかわらず、総合機構が手のひらを返して承認を下さなかったのは、創薬ベンチャーが手掛ける未知の治療法のリスクとベネフィットをジャッジするうえで、当局側のノウハウが追い付いていなかったという評価が専らだ。

 1年ほど、アンジェスと総合機構の押し問答が続いた模様だが、結果として同社は10年9月にコラテジェンの申請を取り下げ、追加の臨床試験を実施する方針を表明。そこからさらに10年近い開発期間と、莫大な追加コストの融通を迫られ、常に資金繰りに悩まされることになったアンジェスが、「条件及び期限付承認」という規制当局としても試行錯誤中の新制度を利用してコラテジェンを再申請したのは苦肉の策に近いものがあった。事実、まだこの制度を通じて正式承認に至った医薬品などは存在しない。

 実際、アンジェスの直近19年12月期、つまり今期の第2四半期報告書には、「継続企業の前提に重要な疑義を生じさせるような状況」が明記されており、運転資金は常に綱渡りという実態が透けて見える。

 それでもコラテジェンの発売により、アンジェスは次のステージへと向かう。

 同社は今年、「19年に黒字化を達成し、25年に売上高500億円達成」という従来のマイルストーンを撤回し、新たな経営計画を策定中だ。9月9日に同社が開いた記者会見では、今後3年間で厚労省から求められた200例の症例調査を済ませ、正式承認をめざす方針が説明された。

 有効性のデータ次第では薬価の引き上げが容認される可能性も、同席した森下教授の口から示唆されたものの、適応拡大や海外での事業化はそれからの話になると予想される。アンジェスが「継続企業」として成長軌道に乗れるかどうかは、依然としてコラテジェンが投資家の期待を満たす大型製品に育つ見通しが立つのを待たなければならない。

一貫性のない創薬ベンチャー育成政策

 「遺伝子治療」は、世界的なブームを迎えつつある医療分野だ。しかし、やや定義の広い遺伝子治療のフィールドでは現在、コラテジェンのように注射で患部に直接遺伝子を送り込む医薬品としてではなく、患者から採取した血液に必要な遺伝子を注入・培養し、再び体内に戻すやり方が主流になりつつある。今年5月に日本でも、特定のタイプの血液がんを対象として保険適用となったノバルティスファーマの「キムリア」が、その嚆矢である。

 「CAR-T細胞療法」と呼ばれるキムリアは、患者から採取した白血球に、がん細胞を攻撃するよう遺伝子操作を加え、患者の体内に戻すという、半オーダーメードの治療である。1回の治療でがんが寛解(がん細胞が体内から消失)する効果が期待されるため、数カ月、数年間の継続投与が当たり前で、副作用に耐えられず患者が脱落していくケースも多い薬物療法の世界に革命をもたらそうとしている。

 しかし、キムリアが広く知られるようになったのは、その高額な薬価が理由だ。18年に発売となった米国での価格は、なんと5千万円。日本でも3349万円という史上最高額の薬価が付いた。

 同じような遺伝子治療は血友病などの分野でも開発が進んでおり、5月に米国で承認を得た、小児難病である脊髄性筋萎縮症に対する「ゾルゲンスマ」に、ノバルティスは212万ドル、日本円で2億円超という法外な薬価を設定した。

 キムリアやゾルゲンスマといった超高額な遺伝子治療に数千万円から数億円という薬価が認められた事実に比べれば、コラテジェンの薬価60万円、年間売上高12億円という数字はいかにも卑小だ。しかもキムリアと違い、治療の画期性や市場の小ささは考慮されていない。

 大手製薬企業を含め、高リスクの医薬品開発に資金を用意するエンジェル投資家の不在、新しい治療に付随するリスクと便益の評価ができない規制当局のノウハウ不足、そして画期的な新規療法に薬剤費を出し渋る逼迫した医療費財源は、どれも日本の製薬ベンチャーを取り巻く構造的な課題だ。

 一体、国は国内創薬ベンチャーを経済成長の担い手として育てたいのか、それとも医療費膨張の潜在的な敵として排除したいのか。一貫性のない政策が示しているのは、アンジェスが味わった塗炭の苦しみが、特殊なケースにとどまらないということだ。

 

 
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