経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

海外でも愛される企業になるために― ゲスト 茂木友三郎(キッコーマン名誉会長)後編

キッコーマン名誉会長 茂木友三郎氏(右)と神田昌典氏(左)

キッコーマンが海外展開で成功した理由の1つに、現地に深く溶け込み、地域に貢献してきたことが挙げられる。今回は、米国の工場進出にあたっての茂木氏の経験にさらに踏み込むとともに、人材育成のポリシーなどについても語ってもらった。構成=本誌/吉田 浩 写真=森モーリー鷹博

工場建設では醤油を持って1軒ずつ説得に歩いた

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(もぎ・ゆうざぶろう)1935年生まれ、千葉県出身。58年慶応義塾大学法学部卒業後、野田醤油(現キッコーマン)に入社。61年米コロンビア大学経営大学院修了。79年取締役、95年社長CEO、2004年会長CEO。11年取締役名誉会長、取締役会議長就任。

神田 アメリカ工場建設では、どのような苦労があったのでしょうか。

茂木 当初、農地の真ん中に工場を造ることになって、やはり現地の人たちは反対派がたくさんいました。日本の聞いたこともない会社が、聞いたこともないものを造る工場を建設しようとしているとなれば、誰だって反対するでしょう。理解を得るのは、一筋縄ではいかなかったですね。

神田 そこでどういう工夫をされたのでしょうか。

茂木 コンサルタントとして呼んだコロンビア経営大学院時代の友人と私、あとは現地で契約した弁護士を含めた4人で、醤油の瓶を持って、1軒ずつ説明に歩きました。農家の集まりがあると聞くと、スライドを持っていって、説明会を開かせてもらったりもしました。

神田 それはどなたのアイデアだったのでしょうか。

茂木 地元の弁護士がそうしなければ駄目だと言ったんです。彼は醤油工場が公害を出さないことも理解していましたし、その地域が農業だけでは将来の成長が見込めないと考え、地域に貢献するためにも当社の工場が必要だと理解してくれていました。そのお陰で、郡議会や町議会でも承認が得られ、工場建設ができるようになったんです。

神田 茂木さんが示すビジョンにも賛同されていたからこそ、チームがそれほどの成果を上げられたのですね。

茂木 私やキッコーマンのビジョンだけでは駄目だったでしょうね。地域に貢献できること、それが一番のポイントだったと思います。

醤油がアメリカでも受け入れられる確信

神田 工場が完成した時のセレモニーでは、ハプニングがあったと聞いています。

茂木 工場完成時のセレモニーや地元ホテルでのパーティーなど、2日間にわたるイベントを開催し、約1万人の方々が来場しました。しかし、当日は悪天候で、竜巻や倒木まで発生したんです。お陰でセレモニー後のパーティー会場となっていたホテルに移動するための自動車がなかなか動かず、開始時間が遅れました。実は、工場の駐車場は未舗装の部分が残っていて、荒天でどろどろになってしまったんです。

 さらに、ホテルに行く1200人の招待客に加えて、地元の方が100人ほど追加でこられていたんです。さすがに断るわけにいかず、急きょ、席と料理を用意しました。

神田 それほど歓迎されるようになったのは、やはり1件ずつ足を棒にして訪問したことが大きかったのでしょうね。

茂木 最初は弁護士と相談して、地元の有力者を狙って訪問したのですが、そもそも醤油を知らないわけです。醤油瓶を持って、味見をしてもらって、何度も説明して、ということを繰り返しました。時間はかかりましたが、建設に着工する頃には、ほとんど反対する人はいなくなっていました。雨降って地固まるということわざではないですが、最初に強硬な反対があったことでかえって、地元の方々との関係を深めることができたのではないでしょうか。相互理解が進み、いろんな方々とのお付き合いもできました。

神田 醤油がアメリカで受け入れられるという確信を得たのはいつ頃ですか。

茂木 最初から受け入れられると思っていましたよ。コロンビア経営大学院に留学していたとき、地元のスーパーでインストアプロモーションをやったことがあったんです。肉を焼いて醤油を付けて食べてもらうのですが、これが好評でした。最初は怪訝そうな顔をしても、ひと口食べると笑顔になる。そして結構、醤油を買ってくれる。その経験があったので、醤油はグローバルスタンダードな調味料になると確信していました。だからこそ、工場を造って海外事業を黒字化しようと思ったのです。

アメリカの会社と思われるほど現地に溶け込んだ

神田 実は私、小学生の頃に御社の野田工場を見学に行かせていただき、感動した記憶があります。そういう地元の人を魅了する、地元の方々から愛されるということがなぜキッコーマンでは実現できているのか、そこをお聞かせください。

茂木 「よき企業市民である」ということでしょうか。これが伝わっているからこそ、愛される会社であることができるのだと思います。特にアメリカでは、「日本の企業ではなく、アメリカの企業である」という意識が必要です。工場には星条旗を掲げていますし、地元に貢献することを忘れない。その国、その地域のよき一員である、ということです。

 今、オランダでも工場が稼働していますが、こちらではオランダの企業であることを意識するようにしています。働いているのも、大多数は現地で採用した方々です。日本から派遣するスタッフは最小限にする。アメリカの工場で、アメリカの方々が醤油を造り、アメリカで販売している。これはもうアメリカの会社ですよね。

神田 アメリカに進出した頃は、まだ戦争の記憶も残っている時代です。そうしたことは影響しなかったのでしょうか。

茂木 それはなかったですね。日本を敵国だと思っている人はほとんどいませんでした。戦後、アメリカと日本がお互いにいい関係を築いてきたということでしょう。これは当社に限らず、アメリカに進出した日本企業の多くが同じことを感じていると思います。

 実は、今から15年ほど前にワシントンポストの東京支局長の取材を受けたのですが、その支局長は東京に赴任するまで、キッコーマンはアメリカの企業だと思っていたそうです。それを聞いてうれしくなりました。ワシントンポストで働くエリートまで、キッコーマンをアメリカ企業だと思いこんでいた。日本に本社があるけれど、それぞれの国で受け入れられてきたと実感できました。

成長するには挑戦的に、難しいことに取り組む

20161220KANDA_P03神田 アメリカに存在しなかった醤油を持ちこみ、最初は赤字続きで黒字化したのが昭和50年とのことですが、軌道に乗ったと感じたのはいつ頃ですか。

茂木 アメリカ進出当初から、赤字ではありましたが、売り上げは伸び続けていたんです。醤油という商品は爆発的に売り上げが伸びるということはありませんが、着実に伸びは示していました。それが工場への投資を含み、黒字化したのが昭和50年だったということにすぎないんです。コンスタントに伸びていたので、必ず黒字化する確信はありました。

神田 長く海外で仕事をして、国内事業も担当されることになって「日本企業のここは改善しなければならない」と思われたことはあったのでしょうか。

茂木 悪いところとは言いませんが、改善すべき点はあると思いました。まず、海外で働いている人は、挑戦的です。そもそも日本人が海外で働くことには困難が付きまといます。その困難に向き合っていると、自然と挑戦的にならざるを得ない。そういう厳しい環境で頑張っている。

 ところが国内で働いていると、キッコーマンは有名企業でシェアも高い。誰だって、醤油のことを知っている。自然とおっとりとしてくるんです。だから社長に就任した際、「挑戦的になろう」と最初に宣言しました。挑戦的になるにはどうすればいいかというと、難しい仕事に取り組むことです。そこで、醤油関連商品である、つゆやたれの開発に取り組みました。総務省の家計調査によると、つゆ・たれへの1世帯当たりの支出が、平成6年に醤油を上回り、つゆやたれなどの商品開発が不可欠だと考えていました。つゆ・たれメーカーは当社のお得意先でしたので、社内からの反対もありましたが、消費者本位に立ち、消費者が欲するものをつくることが大切だと考えたのです。

神田 茂木さん御自身は単身留学されて、言葉の壁にぶつかりながらもそれを乗り超えられました。ビジネスでもアメリカ工場建設、黒字化という大きな実績を残されています。その後に続く人たちは、どうやってグローバルマインドを身に付けていったのでしょうか。

茂木 まず、優秀な社員をとにかく海外に行かせることです。それも3年などの短期ではなく、少なくとも7~8年、できれば10年くらいは行ってもらう。優秀な社員には、若い頃からそういう経験をして、勉強してもらうことが大切です。これを繰り返しましたが、今まで人材不足に悩んだことはありません。優秀な社員を大事に囲うのではなく、可愛い子には旅をさせろではないですが、どんどん海外に送り出して責任ある仕事を任せる。そこにこだわってきました。あとは、現地で採用した社員も、同じように優秀な人には責任ある仕事を任せることです。

神田 茂木さんの経験を踏まえて、今の子どもたち、特に小学生に教えたい、伝えたいのはどんなことでしょうか。

茂木 世界史ですね。特に世界史の中での日本を見てほしい。歴史を学ぶというのは、将来を展望する上で欠かすことができない、大切なことです。これからの日本人は、グローバルに活躍することが当然のように求められます。そうなると世界の歴史を知ることは、今以上に大切になってくると思います。

 

(かんだ・まさのり)経営コンサルタント、作家。1964年生まれ。上智大学外国語学部卒。ニューヨーク大学経済学修士、ペンシルバニア大学ウォートンスクール経営学修士。大学3年次に外交官試験合格、4年次より外務省経済部に勤務。戦略コンサルティング会社、米国家電メーカー日本代表を経て、98年、経営コンサルタントとして独立、作家デビュー。現在、ALMACREATIONS 代表取締役、日本最大級の読書会「リード・フォー・アクション」の主宰など幅広く活動。

アメリカに醤油を根付かせた若き日の挑戦—神田昌典×茂木友三郎(前編)

 
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