企業経営者の趣味と言えば、「読書」「ゴルフ」などが定番だが、意外に多いのが「落語」である。CDで聴いたり、足繫く寄席に通ったり、中には自ら落語会を開いて高座に上がる社長さんもいる。落語の何が経営者を惹きつけるのか、落語と経営の共通項とは何か、はたまた、落語の技術はマネージメントに活かせるのか。本シリーズでは、複数の噺家や経営者の取材を通じて、落語と経営の関係について考察していく。文・聞き手=吉田浩 写真=森モーリー鷹博
弟子入り後の「しくじり」により、昇進が大幅に遅れたという立川談慶師匠。前座修行の時代を「完全なマネージメントの失敗」と述懐する。
だが、そこで得たものは大きい。「しくじった後のリカバリーで個性が問われる」という落語家の世界は、完璧主義、効率主義に振れ過ぎた現代の企業社会が失ったものを思い出させてくれる。
今回も噺家ならではの視点で、仕事に活かせる思考法と企業社会の問題点について語ってもらう。
効率重視か?修行重視か?
―― 談志師匠はサラリーマン社会より理不尽だった?
談慶 そりゃ、理不尽なんてもんじゃないです。サラリーマンの理不尽には、みんなが効率よく行動すれば企業全体が潤うという理由がありますが、談志の場合は効率じゃない。「修業とは不合理と矛盾に対する忍耐力。お前の仕事は俺を快適にすることだ」と言うわけですよ。さらに、「俺がお前にここに居てくれと頼んでるわけじゃない」とも言われました。
入門したら落語や寄席の作法を教えてもらって、効率よく1~2年で前座修行を終えて、二つ目として好きな活動ができると思っていました。そしたら、「お前は俺に何をしてくれるんだ」と言うわけです。調べてみたら松下村塾がこの方針だったらしいんです。吉田松陰のところで大局的な世界観を教えてもらおうと入塾したら、塾生は「ところで君は僕に何をしてくれるんだ」と言われたらしいです。これは凄いな、教育の原点はここだなと。結局、問題は受け手にあって、受け皿を鍛えることが大事なんだと。
ただ、そこで失敗したからといってダメではなく、捉え方なんですよ。じゃあ、こうすれば成功したんだなと切り替えることはできるんですから。大事なのはそこだと思うんです。
―― 談慶師匠の著書には「テクニックより受け止め力」「アウェーでこそ真の話力が問われる」「間を制する者は会話を制する」等々、ビジネスパーソンに役立ちそうな要素が多数紹介されていますが、その中でも落語家から特に学べそうなことは何ですか。
談慶 一番大事なのは修行だと思うんですよね。自分は天才的な瞬発力はなくても、「談志が好きだ。落語がやりたい」といって、ストーカーみたいに談志に付きまとって、怒られることも前向きに捉えて拡大解釈してここまでやってきた人間です。誰もがしゃべりのプロになれるという見本なわけです。では、なぜ自分がここにいられるのかと言えば、修行ありきなんですね。修業というのは完全に受け止め力。受け止め方の作法だけ身に付ければ、誰もが1つの道でいっぱしになれるという体現者でもあると思います。
―― 一方で、寿司屋修行の期間は無駄、クックパッドを見て料理すればいいといった効率重視の風潮もあります。それについてはどう考えますか。
談慶 それは、言う人のキャラによると思うんですよね。自分のキャラに近いことしか人間はできないわけで、天才的な発想の人が効率重視を打ち出しても、そこは優劣の問題じゃないと思うんですよね。
芸人の世界でも、先輩にお茶を出してそれが何になるという意見もあるし、お茶出しに疑問を感じる人はやめればいい。2つの考え方が共存しても別にいいと思うんです。効率重視の考え方も修行重視の考え方も、両方のマーケットを開拓しているからいいと思います。
それが、現代の幅の広さとも言えるわけですよ。その意味で、談志は天才的な発想がある一方で、自分みたいなどんくさい人間を真打ちまで育ててくれたという部分で、「鋭」と「鈍」の両方を兼ね備えた人だったんじゃないでしょうか。
―― 談慶師匠は「独演会名人になるな」という主張もされています。ただ最近では、SNSの活用など、ある意味独演会名人になって固定ファンを増やすことが、企業にも個人にも重要になっている気もしますが。
談慶 もちろん自分のファンを作ることは大事ですが、志をどこに置くかではないでしょうか。二つ目になった時に談志に言われたのが、「ここに来ることを目的にするな、ここを積み上げることを目的にしろ」と。談志は売れることを目的にした人ではなかった。24時間落語のことを考えて、日々の積み重ねを目的にすれば停滞することはありません。
志の輔師匠からは、「会場を満杯にしても、会場に来なかった人にメッセージを送ってるか」と言われました。会場に入れなかったお客さんに声を届けるのが、会を大きくするコツだと。これが、志ということになると思います。
―― 企業でいえば、潜在顧客にメッセージを送っているかということでしょうね。
談慶 そうです。それがローカルで終わるのか、メジャーになるかの違いだと思います。
事業成功の鍵は「マメさ」と「打算」
―― 落語家のみなさんはある意味個人事業主なわけですが、その立場から事業を成功させるためには何が重要だと思いますか。
談慶 マメさ、、、、ですかね。地方に行くと、弟子の役目として楽屋への頂き物はすべて名前と住所を聞いて、談志に渡します。旅から帰ってくると、談志は疲れていても全員に礼状を書いていました。その積み重ねです。
自分がワコールにいたころ、エリアマーケティングを行うと、市場規模が小さくてもかなりの売り上げを記録している店がありました。そこは地道にお客さんにバースデーカードを送ったり、その人にふさわしい手書きのメッセージを添えていたり地道な積み重ねを行っていたんです。談志の姿勢にもつながりますね。
―― 談志師匠は筆マメだった?
談慶 筆マメだし、電話魔でした。用事が終わると弟子に電話ボックス探させて、相手にお礼の電話をする。向こうからすれば、談志が電話をよこしてくれたと喜ぶわけです。俺が手紙を書けば喜ぶだろうとか、どう動けば効率的かをちゃんと計算していた人です。あれは多分、国会議員をやったからでしょうね。議員になる前からやってはいましたが、どうすれば票に結び付くかというのをちゃんと考えていました。
―― (笑)。
談慶 そういう打算も大事だと思うんですよね。それをどう自分らしくアレンジして、印象を良くしていくか。僕らの負い目でもありますが、落語は別にあってもなくてもいいもの。明日から仕事がなくなるかもしれない。談志は「もし明日から仕事がなくなったら、前座のお前が貰ってくる1万円や2万円の仕事を奪うからな」と言ったんです。「だから安直に俺に教えを乞うな」と。仕事に対する大事な姿勢を教えてもらったと思います。
馬鹿を受け入れる社会の凄さ
―― 過労死やパワハラが問題になる今の企業社会をどう見ていますか。
談慶 まじめ過ぎちゃうんじゃないですかね。ワコールでも、以前は「鬼十則」とほぼ同じ文言を朝礼で唱和してたんですよ。でも、僕らのころは言葉を比喩として受け止めていた。今は例えば、「仕事は死んでも離すな」を本当に死んでも離しちゃいけないみたいに受け止めて、シャレが効かないんです。
鬼十則は比喩表現なのに、鬼のように仕事しろの「ように」が抜けちゃってるんです。部下に指示を出すほうもそうだし、まして新人はシャレが効かないから真に受けちゃう。僕らの修行のように、教えるほうも教わるほうも「これはお互いに修行だぞ」という共通認識があれば、もっと柔らかくなると思うんですよね。完璧を求めちゃうと失敗が許されない。修業にしくじりはつきものですから、しくじりはいいんです。でもしくじった時にどうリカバリーするかで個性が出るわけです。
そんな世の中だからこそ、落語家が高座で喋る話が求められる部分があるのかもしれません。僕らにとっては追い風ですけど。
―― そういう意味で、日本人はもっと落語を聞いたほうがいいんでしょうね。
談慶 今、与太郎論の本を書いています。落語の与太郎が馬鹿なことをするのも凄いけど、それを受け入れる社会も凄いわけです。もしかしたら、与太郎は全人類の馬鹿さ加減を受け止めているキャラクターかもしれない。談志は落語を「人間の業の肯定」と言いました。人間の駄目な部分を認めるのが落語だと。もっと言えば、「人間はみんな馬鹿なんですね」と言ってるのが落語じゃないかと。
落語が持っているのは、人間という弱者への限りなく優しい目線。良い企業や経営者にもそれがあります。人間の弱さ、欲望にマーケットがあることを熟知して、そこにフォーカスしている。それが落語と経営の共通項じゃないかと思います。
立川談志最後の弟子が学んだ「多面的な見方と真っすぐな目」立川談吉
談志を怒らせた慶応卒サラリーマン出身落語家の「2つのしくじり」立川談慶①
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