地域の文化や気候などの影響を受けるインドの伝統的衣服
外国人旅行者にとって、インドの強力な魅力のひとつは人々が身に付ける色彩豊かで多様な衣装だ。
インドの明るく色彩豊かな伝統的衣装は、何世紀ものあいだ旅行者を魅了してきた。インドの衣服スタイルは、村ごと都市ごとに違う。
インドの衣装という遺産は、伝統に恵まれ、色鮮やかで魅力的だ。独創的な織物の掛け布により生み出される大胆な色使いは、現代の他のどの民族衣装とも違い、人々の心をとらえる。
インドの伝統的衣服は、地域の文化、地域の気候および農村部や都市部の環境の影響を受けている。
衣服の選択は、主にその人が住む場所の社会や文化で決まる。社会の影響は、規則や規制などの公式なものや、慣習やファッションなどの非公式なものがある。公共の場や宗教的な場所では、インドの衣服の作法は、肌の露出および透明な服やタイトな服を着ることに対して抑制的だ。インドの衣服のほとんどは、暑い天候の地域には理想的な綿から作られている。
インドの伝統的衣服、サリーの成り立ち
古代には、インドの人々は主に綿の服を身に付けていた。インドは綿が栽培された最初の土地であり、それは紀元前2500年のハラッパー時代(インダス文明)だ。
アーリア人の時代までには、女性はサリーと呼ばれる一枚の長い布をさまざまな方法で身に巻きつけて着ていた。サリーは、単に布を意味するサンスクリット語から来たものだ。
サリーが最初に使われたのは、紀元前600年のヴェーダにおいてだった。裕福な女性は絹のサリーを身に付けていたが、ほとんどの女性は綿のサリーだった。男性も、ドーティーと呼ばれる通常白色の1枚の長い布を身に着けていた。また男性は、長い布をターバンとして頭に巻いていた。
歴史を通じた進化したインド人の衣服
インド人の衣服スタイルは、歴史を通じて常に進化してきた。
古代のヴェーダ語には、葉っぱで作った服の記述がある。11世紀の歴史的な書物には、染色して刺しゅうを施した衣装について触れている。これは、ヴェーダの時代に洗練された衣装作り技術が発展していたことを明らかにするものだ。
紀元2世紀にはインド南部で絹を作り、衣服を仕立てて、それをローマ帝国が輸入していた。絹の布は、香辛料と並んで、古代インドの主要な輸出品のひとつだった。縫い物による衣服は10世紀前に発展し、15世紀には世に広まった。
独立闘争の象徴となったインド男性の服装
インド独立後、インドの衣服スタイルはグローバル化を経験した。見た目は地域特有というより、国際的だ。人々は、英国植民地時代に、伝統的衣服から、より英国的なスタイルを取り入れた衣服に変わった。
衣服は、インド独立闘争の象徴となった。とりわけ、男性の衣服は独立闘争中にすっかり変わった。男性は、英国の支配が及ぶまでは聞いたこともなかったシャツやズボンなどの衣服を身に付けなければならなかった。伝統的なオフィス向けの衣服がインドに導入されたが、それにはインドの気候のせいで全く人気のなかったスーツやネクタイなどが含まれていた。
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