今回のゲスト、樋口博美さんは、大阪でサンキという梱包の会社を営んでいらっしゃいますが、昨年、新たに三喜という別会社を設立、ダウン症の方を用務員に育成する事業に乗り出しました。そしてこの事業は、「金の卵発掘プロジェクト2016」女性経営者賞を受賞しました。この事業が樋口さんにとっては必然だったのです。
樋口博美氏プロフィール
ダウン症の方にも就職のチャンスがある
佐藤 樋口さんは「金の卵発掘プロジェクト2016」で女性経営者賞を受賞されました。樋口さんのダウン症の人たちを用務員に育成しようというプロジェクトは、ユニークでありながら社会的価値もあると、審査員も高く評価していました。
樋口 ダウン症の人は成長がゆるやかです。学習のスピードは遅いものの、さぼらない、精神が安定している、ひとつの取り組みに誠意と熱意を持てる、笑顔でこなす、思いやりがあるといった素敵な特徴を持っています。ところが日本にはダウン症に特化した教育施設はありません。そこで彼らの能力を伸ばす育成所をつくろうと考え、昨年6月に三喜という会社を立ち上げました。
佐藤 なぜ用務員なのですか。
樋口 用務員の仕事の大半は、清掃や草抜きなどの軽作業です。こうした仕事を一生懸命にやれるのがダウン症の人たちです。一方、用務員の多くは派遣で、高齢化が進んでいます。しかも若い人たちが好んで選ぶ仕事ではありません。学校や幼稚園、保育所の用務員だけでなく、企業用務員も深刻な人手不足に陥っています。そこでダウン症の方にも就職のチャンスがあると考えました。
養成所では3年間で用務員の基本的作業の訓練や部活などで芸術的な指導、さらには現場での実践的なトレーニングを行って、能力を伸ばしていく予定です。ダウン症の人は優しく穏やかですので、「ハリーポッター」に出てくるハグリットのような人材を育成できればと考えています。
佐藤 樋口さんはサンキという会社の社長でもあります。こちらはどんな会社ですか?
樋口 梱包業です。主にお菓子の梱包、詰め合わせを請け負っていて、120人ほどが働いています。
もともとは、両親が「三喜」という倉庫業を営んでいました。この会社は設立3年で倒産しましたが、この会社をやる中で梱包の仕事があることを知り、母が「サンキ」を立ち上げたのが50年前。その直後に両親は離婚、母はシングルマザーとして私を育てながら、会社を経営していました。私も幼い頃から仕事を手伝い、高校卒業後に入社しています。
佐藤 親孝行な子供だったんですね。
樋口 反抗した時期もありますが、母は絶対でした。「でも」「だって」なんて言うことも許されなかったし、母が次に何をしたいのかを常に考えるように教えられました。当時は世界で一番怖い存在が母でした。
佐藤 分かります。私も父にずいぶんと口答えしましたが、絶対的な存在ですから結局、従わざるを得ないということがよくありました。
樋口 でも私が27歳の時に母には引退してもらいました。
佐藤 お母さまはよく承知されましたね。
樋口 母が留守の間に勝手に会長室をつくり、「これからはここにいて」と半ば強引に(笑)。というのも、母のやり方では会社が続かないことが分かっていたからです。梱包の仕事量は毎日違うのに、仕事がなくても50人いた社員全員に出勤してもらっていました。経営的には仕事の量に合わせて、今日は20人、30人と調整する必要がありますが、母はそんなことは言えない。そこで私のやりたいようにやることにしたのです。
それからは必死です。母の右腕だった社員が一斉に辞めたこともありました。2代目は7年で会社をつぶす、というジンクスがあるそうで、とにかく7年は続けようと朝から晩まで仕事です。
佐藤 一度できあがったものを変えるのは大変です。長年にわたり染みついた慣行を変えるとなると大きな抵抗力が働きます。
樋口 一番大きな変革は、トレーサビリティを導入したことです。これはISOに準拠したもので、15分に1度、工場内の全ラインの全工程を記録しています。これにより、誰がいつどこで何をしているか、追跡が可能になったため、ミスが出てもすぐに原因を把握することができるようになりました。導入するのは大変でしたが、これによって取引先の当社への信用、信頼は格段に向上。社員にも責任感が生まれました。
ダウン症について勉強した高齢出産で得たもの
佐藤 障がい者雇用にも昔から積極的に取り組んでいるようですね。
樋口 実は私の母は、17歳の時に列車事故で両足の膝下を失っています。ですから障がい者を雇用するのは特別なことではありません。今では社員120人中20人が障がい者で、勤続25年を超えて大阪雇用開発協会から表彰された人も4人います。
佐藤 ところで、樋口さんには3人のお子さんがいるそうですが、一番下のお嬢さんはまだ小さいとか。
樋口 一番上は27歳、次が25歳、そして一番下が2歳です。
末っ子を産んだのは46歳の時です。高齢出産の場合、ダウン症のリスクが高まりますので妊娠中からダウン症についていろいろと勉強しました。その時思い出したのが、18歳でアメリカに留学していた時、ボランティアでダウン症の専門施設で運動会の手伝いをしたことでした。30年ほど前からアメリカには専門施設があった。それなのに日本には今でも専門施設がない。ダウン症の人は、きちんと教育をすればその能力を生かすことができます。それで用務員養成所を考えつきました。自分の高齢出産や10代の頃の体験が1本に結ばれたのです。
でもいざ会社を立ち上げても、本当に事業化できるのか不安でしたが、女性経営者賞が、「大丈夫だよ」と背中を押してくれました。本当に感謝しています。
佐藤 新規事業のアイデアもお子さんからのプレゼントかもしれませんね。
似顔絵=佐藤有美
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