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若者のクルマ離れに抵抗する豊田章男・トヨタ自動車社長の意地とプライド

若者のクルマ離れが言われて久しい。「18になったら免許を取って、社会人になったらクルマを買う」時代は遠い昔。今では「クルマは目的地に運んでくれればそれでいい」――そんな風潮に一石を投じるのがトヨタ自動車。その背景にはクルマを愛してやまない豊田章男社長の存在がある。文=関 慎夫

モータースポーツにトヨタがこだわる理由

トヨタ自動車社長 豊田章男氏

豊田章男・トヨタ自動車社長

間もなく東京モーターショーが開幕する(10月27日~11月5日・東京ビッグサイト)。今年のテーマは「BEYOND THE MOTOR」。「これまでのモビリティの価値を拡張していく」という意味だそうだ。一足早くドイツで開かれたフランクフルトモーターショーは、電気自動車(EV)一色だったが、東京モーターショーの場合は、社会の中でのクルマの新たな可能性を、出展各社が競い合う。

東京モーターショーは、日本の自動車メーカーにとって2年に一度のお祭りだ。ここに出品するコンセプトカーなどを通じて、メーカーごとの未来戦略を探ることができる。このモーターショーを盛り上げるために、9月ぐらいから各メーカーは、クルマに関するさまざまな話題を提供し始めている。

9月19日、トヨタ自動車は東京・晴海の「メガウェブ」で、「GR」の発表会を開いた。GRとは「GAZOO RACING」の頭文字を取ったもので、トヨタのモータースポーツを意味している。昨年までトヨタのモーターレースは、「トヨタレーシング」「レクサスレーシング」といった具合に、レースによって分かれていたが、今年4月、統合され社内カンパニーとして独立した。トヨタのすべてのモータースポーツは、GRカンパニーが統括する。

今年、トヨタはWRC(世界ラリー選手権)に18年ぶりに復帰したが、さっそく2戦目で優勝を果たすなど、実績を残している。WRCには「ヤリス」(日本名ヴィッツ)で参戦しているが、この日の発表会では、ヴィッツのGR仕様車など、そのままレースに使えるほどのハイスペックな車種を販売すること、販売にあたっては独自の販売店網をつくることなどが発表された。

少し前までは、モータースポーツといえばホンダの代名詞だった。それが今では完全にトヨタが取って変わった。その力の入れようは、この日の発表会の最後に、出席予定者には名前のなかった豊田章男社長が登場したことからもよく分かる。

「クルマの歴史は既に100年が経過し、大きな変革期を迎えている。われわれは次の100年も、クルマは楽しい、単なる移動手段やコモディティではない。ファン・トゥ・ドライブなんだとこの先100年後もやれるように戦っていく」と豊田社長は語っていたが、この中に出てきた「コモディティではない」という言葉は、最近、豊田社長がよく使うフレーズだ。

GR発表会の1カ月半前、トヨタはマツダとの資本・業務提携を発表した。その内容は両社が出資しあうと同時にEVなどの共同開発をするというものだった。この会見でも豊田社長は、「クルマをコモディティにしない」と宣言している。

自らレーシングドライバーとしてハンドルを握る豊田社長らしい言葉だが、実はこの言葉は、このまま放置しておくと、クルマは単なる移動手段になってしまうとの危機感の裏返しでもある。

死語になってしまったトヨタのセールストーク「いつかはクラウン」

かつてクルマに乗ること、クルマを所有することはステータスだった。どんなクルマに乗っているかで、その人の性格まで知ることができた。さらに言えば、トヨタのセールストークであった「いつかはクラウン」は、多くの人の夢だった。最初にエントリーカーを購入、買い替えるごとにランクアップしていって、最後はクラウンに乗る。これは昨日より今日、今日より明日、豊かになるという高度成長時代を体現していた。しかし今やそんな思いでクルマを選んでいる人がどれだけいるだろうか。初めて乗ったクルマが軽で、そのまま軽に乗り続けている人はいくらでもいる。その人たちにとって、クルマは目的地に着くための道具にすぎない。

日本でクルマの大衆化が始まったのは、1960年代初めにトヨタ「パブリカ」、日産「サニー」が発売されてからのことだ。大衆車とはいえ、パブリカの価格は38万9千円。当時の大学初任給が1万3千円、サラリーマンの平均年収が25万円前後であることを考えると、現在価値に換算して600万円。年収をはるかに超える金額だけにそう簡単に手は出せなかった。だからこそ、クルマを持つことがステータスだった。

ところが今では軽自動車なら70万円前後、ヴィッツでも一番下のグレードなら120万円で手に入るように、エントリーカーなら年収以下でいくらでも買うことができる時代だ。これはメーカーの不断の努力の成果である。そのお陰で今では日本には約8千万台のクルマが走っている。3人に2台、つまり1家庭当たり複数のクルマを所有していることになる。

しかし普及すれば普及するほど、反比例するようにクルマはステータスとしての価値を失った。もちろん今でもクルマ好きは多い。しかしあまり興味を持たない人でもクルマを購入するようになった分、全体の中でのクルマ好きの比率は低下し続けた。そこに、EVや自動運転、さらにはシェアリングエコノミーの波が押し寄せている。クルマを持たなくても、またクルマに乗っても運転をしないで移動することが可能になりつつある。

しかも高齢者によるアクセルとブレーキの踏み間違いや高速道路の逆走などの事故が多発している。その一方で、先日の東名高速での嫌がらせ運転のような死傷者の出る事件も起きている。自動運転ならば、こうした事故や事件を防ぐことができるため、社会的にも推奨されるようになるのは間違いない。そして自動運転の精度が上がれば上がるほど、高齢者でなくてもこうしたクルマを選ぶ人は増えていく。人間は楽な方、便利な方を選ぶ生物だ。それが科学技術の進化をもたらしてきた。この流れは必然だ。

最近、50代、60代の人とクルマについての話をすると、ほぼ同じような答えが返ってくる。

「クルマに10年乗るとして、次のクルマは自分にとって最後に乗る可能性が強い。だからもう少し買い替えるのを我慢して、自動運転車が出てくるのを待ちたい。もしその前に今のクルマがダメになったら、カーリースでしのぐつもり」

この世代の若い頃は、まだクルマへの憧れがあっただけにクルマ好きの人たちは多い。でもこの人たちでさえ、次は自動運転車というのだ。そして今の若い世代の運転に関する興味は極めて薄い。つまり今後国民の圧倒的多数は、自動運転車を選ぶことになる。そこにはトヨタの提唱する「ファン・トゥ・ドライブ」は存在しない。

トップ企業ゆえのトヨタのジレンマ

「A地点からB地点までボタンを押せば移動できますという、いわゆる無人運転に関しては、われわれはやりません」とは、スバルの吉永泰之社長が本誌のインタビューに答えた時のもの。スバルはアイサイトに代表される安全支援車には力を入れているが、あくまで運転するクルマをつくり続けるという。「運転することが好きで趣味はドライブですと言える人たちです。その人たちがドライブを楽しんで、帰りに疲れてもクルマが支援してくれる。そういうクルマをつくり続けます」。

しかしこれはスバルのように、世界販売台数が100万台という小規模な企業だからできること。トヨタのように販売台数が1千万台を超える企業はマスを相手にしなければ存続することはできない。しかしトップメーカーとしてクルマ好きの期待には応え続けたい。それがトヨタのポジションだ。

もちろんトヨタも自動運転車に対する研究は熱心だ。NTTや米画像処理エンジンメーカー、NVIDIAと手を組み、実用化寸前のレベルにある。その気になれば、現在、他メーカーが出しているレベルの自動運転車を市場に送り出すことも可能だろう。

それでも今のところ、「20年に高速道路での自動運転実用化を目指す」と自動運転を積極的にはPRしようとはしていない。むしろ自動運転が普及する今のうちにクルマ好きを増やしておきたいというのがトヨタの本音だ。冒頭に紹介したGRの取り組みなどはその最たるものだ。

「クルマは下駄ではない。クルマに乗ることはかっこいいこと」――トヨタは必死に訴え続ける。これは世界のトップメーカーとしての誇りであり、同時にクルマが大好きな社長を持つ会社の意地でもある。マスでありながらもエッジにこだわるトヨタならではの挑戦が始まった。

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