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持続可能な成長のために証券業界がすべきこと―鈴木茂晴(日本証券業協会会長)

大和証券グループ本社の社長、会長を歴任し、現在は日本証券業協会会長を務める鈴木茂晴氏。経営者時代に実行したさまざまな施策は、「働き方改革」が叫ばれる今の時代を先取りしたものとも言え、仕事に真摯に向き合いながらも人生を謳歌したいという自らの姿勢を反映しているようにも見える。鈴木氏の思想と歩んできた道のり、そして業界団体トップとしての今後の挑戦について、神田昌典氏が迫る。構成=吉田 浩 Photo=森モーリー鷹博

鈴木茂晴氏プロフィール

鈴木茂晴(日本証券業協会会長)

すずき・しげはる 1947年生まれ、京都府出身。慶応義塾大学卒業後、71年大和証券入社。秘書室、人事部、経営企画室などを経て、2001年専務取締役。04年6月大和証券グループ本社取締役兼代表執行役社長に就任。11年取締役会長兼執行役、大和証券代表取締役会長就任。現在は同社顧問。17年日本証券業協会会長に就任。

鈴木茂晴氏の歩み

営業、秘書、アメリカ留学、それぞれの場所を楽しむ

神田 鈴木会長のプロフィールを拝見すると、学生時代は水泳や柔道、大学の時には音楽もされていて、本当にいろんなことを経験されています。一転して就職後は、証券業界一筋で、今は証券業協会の会長職も務められています。大和証券に入社した頃、現在の姿をイメージされていたのでしょうか。

鈴木 全くないですね。正直、会社を辞めようと思ったこともあるんです。それでも、長く続けさせていただいて、今がある。自分の性分なのでしょうが、あまり細かすぎず、深刻になりすぎないところが良かったのかもしれません。入社後は4つの店舗で働き、そのまま営業職で勤めあげるだろうと思っていました。当時の証券業の営業は、まさに鉄火場なんて言われていて、人によっては厳しいと感じたかもしれませんが、私にはそれが楽しくもあった。本当にこの仕事で生きて行くのだろうと思っていたんです。

ところが、ある日突然、秘書室に異動だといわれて、いきなり会長秘書です。細かいことは苦手だし、向いていないと思いましたが、必死に1年、2年とやっていくと、それはそれで楽しくなる。秘書が天職ではないかなんて思い出すんです。でも、それから3年後に今度はアメリカに行けと。先物取引を始めるので、アメリカで勉強をしてこいというわけです。このアメリカが楽しかった。30代で行ったのですが、これが20代だったら、帰ってこなかったでしょうね。

神田 営業で複数の店舗で成績を収め、秘書室を経験してアメリカに勉強に行く。まさに将来の幹部候補、経営者候補としてのキャリアにも見えますね。

鈴木 後から見るとそう見えるだけで偶然ですね。アメリカにいるとき、7~8カ月目くらいに「いつ帰ってくるんだ」と人事から言われました。当時は楽しくてしょうがなかったので「1年もいないのにまだ帰らない」と答えたのですが、すぐに年末がやって来て、周囲の日本人や外国人はどんどん帰国していく。なんだか淋しくなって、「帰ります」と突然、連絡を入れました。

帰国後は一度、国際部に配属になったのですが、なぜか急きょ、法人担当になりました。当時、資産運用をやるのは中堅企業ばかりで、大企業はリスクがあるのでやりたがらない。法人担当の先輩たちはずっと中堅企業を担当していて突然配属された私は、成績が上がらない大企業を担当することになりました。まいったなと思っていたら、業界で損失補てん問題が大きくなって、企業が運用そのものをやらなくなってきました。

すると、大企業の需要が高いファイナンスが花盛りになったんです。それで成績が上がって、引受の部長にまでなりました。振り返ると、運が良かったんですね。

自分のキャリアより部下のキャリアに手厚く

神田 いろんな部署で結果を残し、時代の流れにも乗ったのは、運が強いだけでなく、運を味方につけるだけの実績を積んできたからではないでしょうか。

鈴木 会社の中にはいろんな部署がありますが、どの部署にもその道一筋という人がいるものです。引受の部長になった時には、入社以来ずっと引受をやっているという部下もいました。歴代の部長もほとんどは叩き上げで、他の部署からやって来た人間なんていない。引受業務の知識については、全くかなわなかったですね。

でも、若い頃に営業を経験してきているので、こんな商品だ、サービスだと部下が提案してきても、それが売れるかどうかという勘が働くんです。発行体はそれでいいかもしれないけれど、お客さまは買わないよ、と。そういうところは武器になりましたね。

神田 その道のプロがいるような場所に、自分自身は経験も知識もない状態で異動になって、どんな部分に注目していくのですか?

鈴木 専門性が高い部署だと、基本的に優秀な人材が配属されています。ところが、いくら専門性が高くても特化しているので、何度かやると飽きてしまって、同じことのくり返しになる。優秀な人材ほど、そうなるのが早い。すると、仕事が面白くなくなるんです。

そこで、そういう連中には「3年は頑張ってくれ。その代わり、3年後には好きな部署に異動させる」と話しました。そして、すぐに人事に相談に行く。その時、海外に行きたいという部下がいたので、たまたま帰国していたロンドン支店長をつかまえて直談判したこともありました。

神田 部下一人ひとりにそれをやるのは大変そうですね。御自身のキャリアには無頓着に見えますが、部下には手厚い。

鈴木 優秀な人には活躍してもらわないといけませんから。同じ世代の優秀な人が、同じ部署に固まっていることもありました。すると出世も順番待ちになる。だったら、早いうちに分散させて、それぞれ活躍してもらったほうがいいですよね。

鈴木茂晴氏の哲学と社内改革

出世するよりも人生を愉しむほうを優先

神田 若い頃はかなりハードワークをされていたと聞きました。実際、どのくらい働いておられたのですか?

鈴木 若い頃は私だけでなく、みんな朝早くから夜遅くまでが当たり前でした。でも、今から思いかえすと、効率は良くなかった。昼寝したり、喫茶店でさぼっていたり、そうでないと体を壊していたはずです。それくらい、いわゆる勤務時間は長かった。見た目の時間は長いけど、密度は薄かったですね。

神田 過去の鈴木会長の発言で興味深かったのは、100人の顧客を回れる営業と、3人しか回れない営業では、100人回れる営業のほうが成績も上がるし、成長もするという発言です。当たり前のことかもしれませんが、鈴木会長は、本当に100人の顧客を回っていたのだろうなと思いました。

鈴木 さすがに100人は回っていませんよ(笑)。でも、当時、できる営業は1人でも多くのお客さんを回ろうとしていました。若い頃に言われたのは、「優秀なセールスマンは相場がヘタ」だということです。

相場がうまい営業は、お客さまに利益を出すのでお客さまとの関係が長く続く。だから新規開拓をしない。相場がヘタだとそうはいかないので、いつも新規開拓をしている。そうこうしているうちに失敗していた株も上がり始めてなんとかなったりする。結局、多くのお客さまに会うセールスのほうが優秀だというわけです。

神田 面白いですね。ちなみに鈴木会長から見て、最近の証券業の営業は昔と変わりましたか?

鈴木 最近の営業には無口な人が増えた気がします。わたしの頃は、営業といえば立て板に水のごとく喋ったものですが、必ずしもそれがいいということではないんですね。無口な営業相手だと、お客さまが話す。聞き上手になるんです。結局、喋るのが得意な人も無口な人も、自分の特長を生かしていくんですね。

神田 ちなみに鈴木会長が、自分は出世して経営者にまでなれそうだと感じられたのはいつ頃でしょうか。

鈴木 そういう自覚はないんです。出世も同期トップではありませんでしたし、出世よりも遊んでいたかった(笑)。もちろん、出世すればお金をたくさん貰えるので、それを遊びに使えるなとは思っていましたが、その程度です。

今でこそ、お陰さまで社会的にも経済的にもそれなりの満足ができる立場に恵まれたと思うのですが、本来は社会的地位よりも、楽しく人生を送る方が優先です。偉くなっても、楽しくないのは嫌ですね。まず、人生を謳歌したい。

鈴木茂晴と神田昌典

女性社員のモチベーションを高め19時退社を徹底

神田 2004年に社長になられたとき、女性役員を何人も登用されて話題になりました。また、残業は極力やめて、7時前には帰るように社内制度を改革されたそうですね。

鈴木 社長になって、支店を回った時、頑張って働いている女性社員をたくさん見ました。結果も出しているのに、男性社会のせいで評価されず、出世も遅い。それではモチベーションも下がってしまいます。優秀な戦力なのに、会社はそこに戦力があると認めていない。これではダメだと思いました。

私の若い頃のように夜遅くまで働くことが基本になっていると、女性は活躍できない。それで7時には帰れと声を上げました。先ほど話したように、夜遅くまで働いていても、昼間の効率が悪いだけだったりします。

言い始めたころは「どうせ口だけの号令だろう」と現場は思っていたようです。そこで、こちらも本気だと示すために、何度でも言い続ける。残業が多い支店には支店長に電話を入れて注意する。すると「どうやら本気らしい」となってくる。徐々にではありましたが、7時前退社は浸透しました。自然に昼間の効率が上がるし、仕事のやり方そのものも変わったようです。

鈴木茂晴氏が証券業協会長として取り組むこと

神田 鈴木会長がいくところ、いつも変革を起こしているという印象です。今は証券業協会の会長になって、これからどんな変革を考えているのでしょうか。

鈴木 たくさんありますが、大きく2つの課題に取り組もうと思っています。

1つ目は、18年に始まる「つみたてNISA」の普及です。今、お客さまの投資が増えていない背景には高齢化もあるのですが、投資での成功体験が少ないということも挙げられます。若者にはそもそも投資の経験が少ないし、もちろん投資で成功した経験もない。そんな若者が将来、投資しようとは思わない。だから、1万円、2万円から始められる「つみたてNISA」で小さくてもいいので成功体験をしていただくことが必要です。「つみたてNISA」ですぐに市場が潤うとは考えていません。将来のための市場づくりなんです。

次に、SDGs(先進国を含む国際社会全体への持続可能な開発目標)への取り組みです。これは15年に国連が採択したものですが、「誰も置き去りにしない」ことを確保しながら世界の貧困や飢餓に終止符を打ち、不平等と闘い、地球環境を守るということに対し、証券業界でできること、持続的に貢献できることに取り組んでいきたい。例えば、グリーンボンド、ウォーターボンド、ワクチン債といったものにお金を集めるファイナンスができれば、貢献することもできます。これは、ビジネスとして持続可能なものになるはずです。また、働き方改革、そして女性活躍支援も行っていきます。

それから教育支援にも取り組みます。まだ具体的になっていませんが、母子家庭、父子家庭などで教育が十分に行きとどかない環境にある子どもたちの問題に対し、専門委員会を作って対策を検討していきたいと思っています。これは私が一番やりたいと思っていたことです。

神田 国連が採択したSDGsと証券業界がどう結び付くかと思っていたら、かなり具体的なのですね。今、世界で話題のインパクト投資を日本の証券業界全体で取り組んでいくということですね。

鈴木茂晴と神田昌典

鈴木 証券業界も自分たちのことだけを考えていていい時代は終わりました。持続可能であるためには、利益を出すだけではなく、利益を社会に還元していくことも欠かせません。

神田 意地が悪い方に「奇麗事だ」と言われたりしませんか?

鈴木 そうならないようにするんです。絵空事ではなく、実現していく。証券業協会で話をすると、他の証券会社の経営者も、ほとんどが同じ意見ですね。

神田 最後の質問ですが、子どもの頃の自分に本を1冊送るとすれば、どんな本を送りますか?

鈴木 今、時代小説が好きでよく読んでいます。この歳になると、日本という国の歴史は世界でも有数の豊かさだと感じます。ところが、学校教育では暗記一辺倒になっていて、歴史が面白くない。これはもったいない。子どものうちから歴史をたのしめるような環境、本を手に取れるようにしてあげたいですね。

神田 そうした興味の幅広さが、新しいことにチャレンジする鈴木会長の原動力なのかもしれませんね。

(かんだ・まさのり)経営コンサルタント、作家。1964年生まれ。上智大学外国語学部卒。ニューヨーク大学経済学修士、ペンシルバニア大学ウォートンスクール経営学修士。大学3年次に外交官試験合格、4年次より外務省経済部に勤務。戦略コンサルティング会社、米国家電メーカー日本代表を経て、98年、経営コンサルタントとして独立、作家デビュー。現在、ALMACREATIONS代表取締役、日本最大級の読書会「リード・フォー・アクション」の主宰など幅広く活動。

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