筆者はかなり世界中のホテルやリゾートに足を運んだが、いつも心に残っていたのはインドネシアのバリ島「フォーシーズンズ・ジバラン湾」のヴィラだ。完全にプライヴェートな広々としたヴィラでジバラン湾の絶景に面した自分達だけのプールが付いており、村長という係が付いて細やかに面倒をみてくれた。日本では西の「俵屋」、東の「あさば」と言われてるようで、両方とも体験し、確かに素晴らしかったが、「フォーシーズンズ・ジバラン湾」ほどの感銘は受けなかった。しかし、今回、それらを凌駕するほどの体験をした。伊豆高原の坐漁荘である。ヴィラに付いているのはプールだけではない。源泉掛け流しの風呂まで付いていた。(国際ジャーナリスト 戸田光太郎)
日本人より日本文化と歴史に詳しい台湾巨大企業グループのトップ
坐漁荘のオーナーは台湾人の葉信村会長で、失礼な言い方にはなるが、会長にとってホテル業は彼の持つ巨大コングロマリットの、余儀のようなものだ。
葉会長は単なる旅館のオーナーではない。1993年に立ち上げた巨大な企業の創立者である。そのCIVIL GROUPが擁するのは建設業、百貨店業、浄水システム、不動産開発、投資コンサルタント、そして最後にホテル管理コンサルタントが来る。主流のビジネスではないのだ。
にも関わらず、葉会長は毎月、ここABBA RESORT IZU坐漁荘に隣接した別荘に一週間宿泊する。CIVIL GROUPの各部門の長が、葉会長からの決裁を仰ぐ為に分刻みの会長のスケジュールから数分を頂こうと争奪戦を繰り広げている中で、会長は異国日本の小さな旅館業に1/4もの時間を割いている。
恐らく台湾で超多忙な葉会長をインタビューするのは不可能に近いだろうが、年に12回来日して1週間滞在する葉会長をインタビューすることは台湾で追いかけるほど難しくはない。おっとりした初老の台湾人男性、葉会長は強烈な日本贔屓の方である。普通の日本人より日本文化や日本の歴史に通じている。
どうしてなのか?
中国語の通訳は日本人秘書の原田明子氏が請け負ってくださったが、秘書も兼ねている原田氏が用事で席を外すと、英語で意思疎通が出来た。
「台湾の本当の歴史は、日本の半世紀に亘る統治下、これによって始まったのだと思います。私の生まれた台湾の南部、屏東、こちらは現在台湾の総督である蔡英文さんの出身と同じですが、屏東は親日家が多いと思います。蔡英文は豪商の娘さんでしたが、私は平凡で質素な公務員の家庭に生まれました」
確かに台湾の蔡総督は、日本の統治時代に関してこう発言している。「日本人にも誤りもあったが、台湾に対する貢献もあった」
総督は日本語を三年間勉強し、たびたび日本を観光で訪れてもいる。
新潟とのつながりで深まった日本と台湾の縁
さて、葉会長に話を戻そう。
そもそも旅館に関わったのは巨大企業の会長として、また熱烈な日本国のファンとして、2010年に新潟の月岡温泉に宿泊して魅了されたのが発端だった。
ところが、2011年3月11日に東日本大震災が起こり、すぐに葉会長は日本に200万元の義援金を赤十字を通じて送り、更に計画していたCIVIL GROUPの20周年記念イベントを新潟で行うことを決めたという。
台湾の社員500名を何台もの飛行機で日本に運び込み、バスで新潟に移動させ、「義と愛の20周年大会」を月岡温泉で開催した。新潟の人々からは常々「新潟へもっと台湾の人に来て欲しい」と相談を受けていた葉会長は、図らずも、大きな団体を新潟に引率してきた結果となった。
この「義と愛」は、葉会長の敬愛する日本文化や精神を現すものの中でも大好きな物語「敵に塩を送る」という、上杉謙信と武田信玄の「義の心」から来る。月岡温泉の大会には県庁関係の人々や新潟の企業の代表や人間国宝の刀工、天田昭次も出席した。実はこの人間国宝の天田に以前、葉会長は刀の製造を依頼したことがあるのだが、その「見知らぬ外国人からの依頼」は断られていた。
後に葉会長は新潟県観光局と新潟県庁から表彰され、さらにに宮内庁御用達の人間国宝の刀工、天田昭次により新たな刀の製造依頼をこの時は受諾されたという。
こうして出来た刀剣は天田昭次の遺作となった。この名刀は坐漁荘の本館の「ギャラリー義の心」で見ることが出来る。
日本の温泉文化を世界に引き上げたい
その後、温泉が好きになり、日本の観光地をいろいろと見てくる中、伊豆の坐漁荘に宿泊した時は大変にリラックス出来て、特に浴衣の心地よさに惹かれた。そこで部屋の係に「浴衣を売ってください」とお願いしたところ、その中居さんは事務所に尋ねに行き、戻ってくると「難しい」ですと答えられたという。
「それでは、この旅館ごと売って頂けませんか?」
普通の宿泊客なら冗談で終わるだろうが、葉会長の場合は、その域を超えている。単なる投資目的ではなく、葉会長はオーナーと話し合って、坐漁荘を取得した。さらに30億円を投資してヴィラを新築するなど大幅な改装を行い、2014年にABBA RESORT IZU坐漁荘としてグランド・オープンさせたのである。
改築に際しては地元の素材を使い、地元の業者に発注した。優れたビジネスマンである葉会長は単なる投資目的ではないにせよ、経営状況やオペレーションの非効率的な部分を是正していった。過度な効率化ではなく、会計の効率化、女将に集中していた権限の委譲などを進め「お客様が求めている事は何か?」を核に、顧客への価値を損なうことなく効率的な経営でビジネスとしても成り立つ仕組みへと徐々に変化させていった。
「台湾には古くから『仏様もお腹が満たされていないと人々の願い事を叶えられない』という言葉がありますが、食べていかれなければ文化を残すことは困難です。刀もそうです。注文して購入してくれる顧客がいなければ、つまり、それは大名かもしれませんし、剣客かもしれませんが、注文がなければ名刀の匠の生活が成り立たず、日本刀文化は継承されません」と葉会長は言う。
「大切にしたいと考えているのは日本らしい本当のおもてなしを提供し、その文化を世界に伝えていくことで、日本の素晴らしい温泉文化を世界の舞台に引き上げたいと考えています」
日本の経営者の著作を熟読する葉会長
ついつい言いそびれてしまったが、英語を喋る葉会長はひょっとするとバリ島「フォーシーズンズ・ジバラン湾」のヴィラにもいらしているかもしれない。本館には恐らくオリジナルの坐漁荘の面影が残っている。しかし、規模を拡大したヴィラにはバリ島やボラボラ島やモルジブ級の「世界の舞台に引き上げる」という意志を感じた。
そして、このABBA RESORT IZU坐漁荘は英国で表彰された。ワールドブティックホテルアワードは、小規模で上質なサービスを提供するホテルを対象とする世界で唯一のブティックホテル専門の国際的な賞。ノミネート・メンバーによる覆面視察の後で坐漁荘が推奨され、アワード事業部によって口コミサイトなどで調査が実施された後、電話審査を経て、2017年の夏に2泊3日の調査員による念入りな視察があり、そして受賞に至った。
会長の集めた日本刀は坐漁荘に飾ってあり、宿泊者は堪能できる。日本文化を敬いながら、それを経済的にも成り立たせる思考。仏様でも空腹では説法が出来ないかもしれない。腹が減ってはビジネスとして成り立たない。
一方で、葉会長は「IT長者的な考え方や株で大儲けしようという考え方は全く持っていません」と語った。
松下幸之助や稲盛和夫の著作を玩味熟読するという葉会長へ最後に、彼らのどんな言葉が特に好きかと尋ねると言下にこう答えた。
「敬天愛人」。これは西郷隆盛が自己修養の言葉として繰り返し唱えていた言葉だ。西郷隆盛の側近が書き残した『南洲翁遺訓』にこう残されている。
「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」
西郷さんと同じ薩摩出身の稲盛和夫氏は、これを座右の銘としている。森羅万象である天を敬い、その天に属する自分以外の他人も含めて愛することを説いている。優れた経営者の言葉が受け継がれ、また優れた経営者を生み、まっとうな事業展開をする。日本の正しい経営者の姿を葉信村会長の中に見ることが出来た。
さて、先にワールドブティックホテルアワード受賞したと記したが、アジア地域の料理部門で「アジア・ベスト・カリナリー・ブティックホテル2017」を受賞し、ホテル・メンバー三名がロンドンでの授賞式に出席した。名門施設「ザ・マーチャント・テイラーズ・ホール」の式典には、この旅館を再出発させたご当人、葉信村は出席しなかった。
ABBA RESORTS 坐漁荘のレストランにはフレンチと和食がある。筆者はロンドンの授賞式に出席された山本晋平シェフによる様々な静岡茶とペアリングで供される伊豆野菜や魚や害獣である鹿肉を使った見事なフレンチを堪能した。
朝は同じく受賞された井戸伸治総料理長による静岡の食材満載の贅沢な朝食を頂いた。
旅館を通して日本の良さを国内外へ伝えたい
葉会長は旅館には連泊して楽しんでもらいたいという。茶碗蒸しにお刺身といういわゆる旅館食が毎日続き、布団の上げ下げで一々部屋から追い出される連泊し難い旅行文化を変えたくて、布団ではなくベッドにし、部屋での時間を決められたご飯ではなく、ヴィラから気ままにふらりと入れる離れにフレンチや和会席のレストランがあり、鉄板焼きやバーもある。
「刀の展示も、決してコレクションとして自慢をしたいわけではありません。日本で生まれたものですから、日本の坐漁荘において、多くの方にその素晴らしさを再発見していただきたいのです。刀に限らず日本の素晴らしい文化を、旅館を通して、国内外のお客様へお伝えしていきたいと思います。できれば、お客様には3泊くらい滞在いただき、その土地の文化をゆっくりと味わっていただきたいですね」
世界レベルのリゾートで静岡の食材をワールドクラスの料理人から供され、台湾の南から来た経営者の数奇な運命を思う。贅沢な時間だ。
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