歌舞伎という伝統芸能を守るイメージが強い松竹だが、大規模なプロジェクションマッピングを使用したラスベガス公演や最新の演出方法など、実は積極的に新たな技術を導入している。エンタメの世界で、今後世界へと市場を広げていくには何が大事なのか、迫本淳一社長に聞く。(聞き手=古賀寛明)
迫本淳一・松竹社長プロフィール
新型コロナは長期的には変化の契機
―― 新型コロナの影響をどのように受け止めていらっしゃいますか。
迫本 短期的には事業の軸である興行を開催することができないのですから、経営の面でも非常に厳しい時期です。しかし、中長期的に見ると、われわれが推し進めてきた戦略が加速されるきっかけになるのではないかと考えています。
どういうことかと申しますと、例えばわれわれは観客参加型のエンターテインメントをはじめましたが、それはオンライン、リアルそれぞれの特徴をいかしたものです。今回のコロナショックをきっかけにオンラインのネットワークは世界規模で強化されるでしょうし、コロナ以前から見られた現象ですが、オンライン化が活発化すればするほどリアルの場の重要性や価値は増します。
このように時代が変わっていく中で、エンターテインメントの世界もオンラインとリアルをいかに融合させて新たなものをつくりあげていけるのか、という動きが加速しながら進んでいくと予想しています。
―― 東京五輪の延期が決まり、十三代目團十郎白猿襲名についても延期となってしまいました。
迫本 襲名も五輪と同じ時期に行おうと、市川海老蔵さんもご子息の勸玄君も含めて、張り切っていたので非常に残念です。襲名はいちばん良い形で行えるように社内で調整しているところです。
また、東京五輪公式文化プログラムの第一弾として華々しく実施を予定していた「KABUKI×オペラ・光の王」といった舞台も中止になるなど影響は大きいですね。しかし、五輪の開催に向けては、今まで同様に松竹として役立てることがあれば協力させていただければと思っています。
迫本社長が描く松竹の世界戦略とは
現代世界に対する日本文化の貢献を意識
―― 松竹は伝統と革新を掲げ、さまざまな取り組みを行っています。世界の市場についての戦略はどのようなものですか。
迫本 世界文化に貢献することをミッションとして掲げていますので、常に世界市場を見据えています。世界に向けてはコンテンツを発信していく戦略を取っているのですが、その戦略は2つに分かれます。ひとつが外国に出て行う事業で、もうひとつが国内で行うインバウンドのお客さま向けの事業です。
前者でいうと演劇では、15年8月に、ラスベガスの高級ホテル・ベラージオの巨大噴水広場で歌舞伎を行いました。横幅300メートル以上あるウォータースクリーンをつくり、十数台のプロジェクターを活用したウォータープロジェクションマッピングです。
松竹として初のラスベガス公演となりましたが、ここで得たノウハウと知見が、現在のさまざまな分野でのコンテンツ開発に生かされています。一方、映画ではインドとベトナムで合弁会社を設立しています。
文化というのは日本のみならずどの国にも多様性があり、それが文化の高さの指標にもなります。とはいえ日本の場合、諸外国、特に西洋との文化の違いがハッキリしていると思います。西洋は論理を重視する文化ですが、日本は感覚的、情緒的な文化です。
誤解を恐れずに言えば、いま世界はギリシャ・ローマ時代から続く論理的な文化が煮詰まった状態。そうした現代世界に対して、私は日本の文化がもっと貢献できるのではないかと思っているのです。
インバウンド向けに展開した3つの祭り
―― 国内の世界市場を意識した事業はいかがですか。
迫本 19年に京都の「南座」で行った試みは、まさにインバウンド向けの松竹らしい戦略だったと思います。
南座は歌舞伎発祥の地に建つ、日本最古の歴史を持つと言われる劇場です。国の「登録有形文化財」にも登録されている伝統ある劇場の座席を取り外せるようにして行われたのが、冒頭で紹介した観客参加型の新しいエンターテインメント「京都ミライマツリ2019」で、新しい3つの〝お祭り〟を体験できるものでした。
ひとつめの「音マツリ」は、歴史ある檜舞台でのライブフェス。歌舞伎要素を組み合わせたきゃりーぱみゅぱみゅさんのコラボレーションライブに始まり、時代を牽引するアーティストの方々に、伝統と和の空間で魅力的なパフォーマンスを行っていただきました。
2つめが「昼マツリ」です。劇場の新機構で舞台と客席エリアを一面のフラットな空間にし、歌舞伎の演出「本水」を使った巨大な滝を舞台奥に設置。客席があったスペースで京都の風物詩「床びらき」に倣い有名店や話題店の料理やお酒を賞味しながら、滝へのプロジェクションマッピングを楽しむほか、デジタルな屋台あそび、歌舞伎に親しめるARやメディアアートコンテンツを体験できる空間をつくりました。
3つめは18時半から23時まで行った「夜マツリ」です。ここではDJブースが出現し、伝統と格式を感じる和空間での新しいナイトエンターテインメントが生まれました。
マツリへの反応はそれぞれよく、例えば音マツリでは、京都にはもともとライブ会場が少ないため、若い人は音楽を求めて大阪に行っていたのですが、京都で音楽を楽しめるとのことで出演者にもお客さまにも大変好評でした。
またどのマツリにも、多くの外国のお客さまや、日本人のお客さまでもこれまで南座に足を運んだことのない方たちに多く来ていただくことができました。
―― 観客参加型のお芝居も行っていらっしゃいますね。
迫本 20年の1~2月に南座で行われたイマーシブシアター『サクラヒメ』~『桜姫東文章』より~ですね。
イマーシブシアターは体験型演劇とも呼ばれ、特徴は、1階の客席を取り外したフラットな空間で舞台と客席の隔たりをなくし、回遊するお客さまの目の前で出演者が芝居を行ったことです。ニューヨークで大ブームを起こした新たな演劇手法で、こちらも、南座に普段は来ない人たちに多く来場していただきました。
また、2階席、3階席の人も投票で5パターンから結末を選べるようにしています。ミライマツリもサクラヒメのいずれも、歴史ある劇場で、新たなエンターテインメントをつくりあげたことが評価されたのではないかと思います。古典の歌舞伎はきっちりやりつつも、新しい取り組みも行っていく、そういった発想でやっています。
最先端技術とのコラボにおける大きな流れ
―― 今後インバウンドのお客さんは減ると思います。それを補うために、新技術をつかったものが増えて行くのでしょうか。
迫本 技術というのは、あくまで手段です。われわれの根幹はお客さまに感動していただくというところですからアナログであろうが、デジタルであろうが変わりはないのです。
私たち松竹の生業は、お客さまの感動にたずさわることです。つまりは喜びや悲しみ、興奮というものを共有していくことなのです。ただ、それをお客さまにお伝えする表現の手段として新たな技術は魅力的ですし、今後も新技術を取り入れて行こうと思っています。
最先端技術とのコラボでいえば2つの大きな流れがあります。
ひとつは既に紹介したラスベガス公演で、もうひとつが16年からニコニコ超会議内で公演を重ねている「超歌舞伎」です。
超歌舞伎では、バーチャルシンガーの初音ミクとのコラボに挑戦しています。
これも以前はニコニコ超会議のイベントのひとつでしたが、昨年初めて、松竹の常設劇場である南座で、「八月南座超歌舞伎」を上演しました。初音ミクファン、ニコニコ超会議ファンに、南座、そして歌舞伎座、新橋演舞場、大阪松竹座等で上演されている他の歌舞伎にも興味を持っていただけるのは大変有難いこと。従来の歌舞伎ファンにも新しい歌舞伎体験としてご好評をいただき、外国人のお客さまの数もこの月が南座の過去最高を記録しています。
このように、従来は考えられなかったデジタル演出が、テクノロジーの進化によって実現可能になっており、プロジェクションマッピングやVR、人工知能(AI)や情報通信技術(ICT)、さらには5Gの普及によって、今後ますます多くのジャンルで融合されていくのではないでしょうか。
しかし、技術的な驚きだけでは、お客さまの満足は長続きしません。1年たてばありふれたものになるでしょう。だからこそ、目新しいテクノロジーであるから使うのではなく、こういった演出がしたいから、このテクノロジーが必然であるということが大事になってきます。これは日本のマーケットに限らず、海外のマーケットでも同じことが言えると思います。
やはり大事なことは、面白いコンテンツの中身をつくれるかどうかにかかっています。表現の手段・方法はデジタルかもしれませんが、その演出方法はアナログな方法によるアプローチだと思います。このような原理原則は、これまでも、そしてこれからも決して変わることはないでしょう。
これからもずっと人間を描き続けて行く
―― 松竹の映画が大事にしてきた「ヒューマンドラマ」の海外の反応はいかがでしょうか。
迫本 海外の反応で一番印象に残っているのは、「おくりびと」(08年公開)が米アカデミー外国語映画賞を受賞した時です。ノミネートされた他の作品の中には西洋的な映画も多かったのですが、静かに淡々と人間の深さみたいなものを描く作品が評価されたことは、「あぁ、世界の流れも変わってきたのかな」と思うきっかけになりましたね。
今後もハリウッドの大作が映画界の中心であるのは変わらないと思いますが、深みのある映画が選択されてきた現状に時代の変化を感じます。そう考えると、松竹が伝統的に手掛けてきた人情ですとか、ヒューマニズムといったものは、きっと外国のお客さまに届くと思います。
「男はつらいよ」シリーズも昨年生誕50周年ということで、国内だけでなく海外でも上海やニューヨーク、ロッテルダムなど世界各地で旧作や最新作が上映されています。中国では山田洋次監督へのリスペクトは高く、「男はつらいよ」だけでなく、17年には「家族はつらいよ」(16年公開)の中国版リメイク映画が製作・公開されています。
また、ここ数年で、海外で売れた作品としまして、「東京喰種」(17年)や「旅猫リポート」(18年)があります。「東京喰種」は、原作のコミックやアニメが世界中で人気があり、かつアクション・SFというジャンルも海外では惹きが高く、「旅猫リポート」は、「クイール」(04年)以降、海外では動物映画は人気の高いジャンルであり、本作もアジアを中心に満遍なく販売されました。「クイール」は、当時、台湾と香港で大ヒットを記録しました。
―― コロナショックの影響で状況は刻々と変わっていますが、市場を世界に広げるために大事なことはなんですか。
迫本 まずはきちんとした人間を描くことだと思います。ヒューマニズムというのは世界共通のものですから、そういった心に訴えかけるコンテンツを作っていきます。それは芝居だろうが映画だろうが関係はありません。
そして、誕生した作品を展開するに当たっては、その場所ごとにローカルな事情がありますから、その地で強みのある人たちと手を組んで、一緒になって展開していくことが重要かなと思っています。
社内でもコンテンツの中身を深掘りする人、できたコンテンツを広く展開できる人の2つのタイプの人材を世界レベルで育てていこうとしていく、それが重要なことではないでしょうか。しかし、これは昔から変わらないことです。世界市場を考える時も、場所が広がっていくんだ、そういう気持ちでこれからも進んで行きたいと思っています。