経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

「私が道を切り開いてきたのは 後に続くケモノたちのためです」―今野由梨(ダイヤル・サービス社長)

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ゲストは、「ベンチャーの母」、女性起業家の草分けとして1969年にダイヤル・サービスを創業し、戦後日本の男社会や法規制と戦い続けてきた今野由梨さん。使命感を持って、世のため、人のためになる電話を使ったニュービジネスを生み出してきました。その半生に迫ります。

今野由梨氏プロフィール

今野由梨氏

(こんの・ゆり)1936年三重県桑名市生まれ。津田塾大学卒業。64年NY世界博覧会コンパニオンに選出。NY滞在中にTASと出合う。69年ダイヤル・サービス創業。71年電話育児相談「赤ちゃん110番」提供開始。2007年旭日中綬章受章。


女性起業家の草分けとして感謝をつないで50年

佐藤 政治家や文化人、経営者からも信頼の厚い今野さんは、私たち女性経営者の憧れの存在です。日本で女性が活躍できる道筋を刻んでくださいました。ダイヤル・サービスも昨年、創業50周年を迎えましたね。
今野 ありがとう。当社は「世界一『ありがとう』が集まる会社にしたい」という一念で、電話秘書サービスや電話育児相談「赤ちゃん110番」などのニュービジネスを世に送り出してきました。感謝をつないできた奇跡の50年です。有美さんは会社を継がれて何年目になるの?
佐藤 今年19年目です。父で創業者の主幹(佐藤正忠)が亡くなってからは8年たちます。
今野 もうそんなにたつの。私も若い頃はお父さまにお世話になりました。有美さんは社長に就かれた後も、気骨のあるお父さまの前で失敗して恥をかいたり、弱点をさらけ出して叱られたでしょ。それは大切な経験ですよ。それを後世の人々につなぎ、語り継いでいくことが重要です。
佐藤 本当に、当時の失敗は私の財産です。現在の経営や私の生き方にも役立っていますし。父の経営観や生き方を後世に伝えることは2代目の私の役目だと思っています。

苦しむ人たちを救うため荒波に負けず戦ってきた

佐藤 御年84歳の今野さんですが、男社会で長年戦い続けてきて、幾度もの困難にくじけなかった、そのパワーの原点はどこにあるのですか?
今野 子ども時代の体験です。私の生まれ育った三重県桑名市は米軍の空襲で焼け野原になりました。当時9歳だった私は奇跡的に助かりましたが、街の人々や風景を根こそぎ奪われたあの日、1度目の人生を終えました。

 そしてリボーンして第2の人生を歩むなら、「戦争で子どもたちが命を落とすことのないよう、この体験を米国で話そう。それまでは泣かない」と誓ったんです。これは後に桑名を空襲した元軍人と米国で奇跡の出会いを果たし、米国で話す機会を得て叶えることができました。
佐藤 生と死が隣り合わせの子ども時代を過ごされたんですね。その後、東京の大学に入り、起業を決意されたのは就職活動中だそうですね。
今野 そう。企業の採用面接で「女のくせに社長になりたいなんて言うやつは採用しない」と侮蔑され、私は日本の企業では働けないと感じたんです。それなら女性の力を結集して、女性が世の中で活躍できる会社を立ち上げようと思ったんです。
佐藤 なぜ電話のサービスを?
今野 28歳でNY世界博覧会のコンパニオンに選ばれ、NY滞在中に電話秘書サービス(テレフォン・アンサリング・サービス=TAS)を手掛ける女性経営者と出会いました。米国では女性が活躍している現実に衝撃を受けましたし、TASは日本社会を変えるサービスと映りました。

 しかし、帰国後に日本で起業すると、「電話は国の資産だ。おまえごときが使うな」「24時間対応は労働法違反だ」などと散々叩かれました。
佐藤 日本社会のためなのに……。

ダイヤル・サービス創業当初の今野氏


今野 日本では政治家、官僚、学者、評論家も、国が刻一刻と新しくなっていることや、その狭間で人々が苦しんでいることを理解していません。当初は私もくじけそうになりましたが、そのうち当社のサービスの利用者たちが応援してくれて、「私は間違っていない。時代錯誤の男社会で戦おう」と気を強く持てたんです。
佐藤 応援はうれしいですね。
今野 後に当社の社外取締役となるNTTデータ社長の藤田史郎さんも、旧電電公社時代に「いつか必ず今野さんの時代が来るからあきらめないで」と応援してくれました。
佐藤 素敵な出会いですね。ソフトバンクの孫正義さんやDeNAの南場智子さんからも慕われていますね。
今野 ありがたいです。これまで私が地獄の道を歩み、後に続く彼らのような「かわいいケモノたち」の道を切り開いてきたのは、世の中を良くしたいという若い起業家が社会の古い体質や法規制との戦いで時間を浪費してほしくないからです。
佐藤 素晴らしいです。それにしても、孫さんを「かわいいケモノ」と言えるのは今野さんだけです(笑)。
今野 本人は喜んでいますよ(笑)。ただ、現代の日本の若者はチャレンジが少ないのが気掛かりです。会社の指示どおりに動き、自分のためだけに一生懸命になり、社会がおかしいと声を上げる人も変えようとする人もいません。変えようとするとつぶされるから。

 だから失うもののない私が先陣を切って走ってきました。改革は、その時代に生きる自分の使命に気づかなければできません。こうした「伝える」役割を、あと50年は担い続けるつもりです。
佐藤 ぜひ!!今野さんの姿勢や考え方に触れ、世のため、人のために仕事をすることを学んだ若い起業家は世に出てきていますよ。
今野 そう願っていますし、そう考えてもいいなら、それ以上にうれしいことはありません。私があの時代に生かされた意味も納得できます。
佐藤 若者たちと一緒に創る新しい未来が待ち遠しいですね。

赤いジャケットは創業50周年を記念して社員から贈られたもの

聞き手&似顔絵=佐藤有美
構成=大澤義幸 photo=市川文雄