テレビCMでキムタクが手放し運転をしているように、自動運転機能を搭載したクルマが少しずつ増えている。このまま進化が続けば、そう遠くはない将来、人が一切運転に関与しない完全自動運転車が登場しそうにも思えるが、その壁を超えるのは容易なことではない。文=ジャーナリスト/伊藤憲二(『経済界』2020年12月号月号より加筆・転載)
自動車メーカーが相次ぎ計画を延期
100年に1度と言われるイノベーション期を勝ち抜くべく、激烈な開発競争が繰り広げられている世界の自動車産業。4大テーマは電動化、自動運転、カーシェアリング、コネクティビティ(自動車のインターネット接続)だが、その中で最も重要度が高いとされ、競争がヒートアップしていたのが自動運転である。その自動運転が今、コロナショックで岐路に立たされている。
自動運転の実用化に最も早く取り組んだのは、IT世界大手のグーグルである。そこからスピンアウトした自動運転開発会社のウェイモは2018年にアリゾナ州できわめて限定的ながら、ドライバーがいない無人タクシーを走らせる実証試験をスタートさせ、注目を浴びていた。だが、コロナショックでその実験はあえなく終了してしまった。
ウェイモばかりではない。21年にはハンドルのないクルマを作ると豪語していたアメリカのフォードは計画を延期。同じく自動運転で攻勢をかけようとしていたゼネラルモーターズは今年1月、自動運転車「オリジン」を発表したが、コロナショックを機に自動運転開発子会社、クルーズの人員削減に踏み切らざるを得なくなった。アメリカとは別のアプローチで自動運転に取り組んでいたダイムラーや部品メーカー大手ボッシュなどは当面、計画を凍結すると発表した。
「自動運転が生み出す価値が色褪せたわけではないと思います。もしそれが実現すれば自動車ビジネスに革命をもたらす新技術であるということに変わりはありません」
トヨタ自動車のシニアエンジニアの1人は語る。
「問題は実用化の時期。今まで世界の自動車メーカーやIT企業は自動運転がすぐにでも実用化し、数年で社会が激変すると自己宣伝してきましたが、どんな道路環境でも運転者を全く必要とせずに走れるという意味での完全自動運転車を作るのが、当初の想像よりはるかに難しいことはここ1、2年でハッキリしてきていました。コロナショックは各社が頭を冷やし、現実路線に立ち返る機会となったと思います」
自動運転実用化にはトヨタも苦戦
トヨタもまた、自動運転で世界のトップランナーを目指していた1社だ。
16年には世界最大のIT産業集積地、アメリカ・カリフォルニア州のシリコンバレーに人工知能などの開発拠点であるトヨタリサーチインスティチュートを設立。17年の東京モーターショーでは20年代前半に高度な自動運転車をレクサスから出すとアナウンス。そして18年には豊田章男社長が「われわれは(車を作って売る)カーメーカーから(自動車を使ったサービスを提供する)モビリティカンパニーに生まれ変わる」と宣言するなど、ドラスティックな動きが目立った。
そのトヨタが自社の技術を世界に誇示する舞台となるはずだったのがTOKYO2020、すなわち東京オリンピック。公道でバス型の無人運転車「e-Palette」を走らせ、さらには空飛ぶ車も披露するつもりだったのだ。
が、電動化やITの開発人材を多数擁するトヨタであっても、自動運転は難しかった。当初、公道走行を想定していたe-Paletteの走行範囲はオリンピック選手村など、他の自動車との混走がほとんどないエリア限定へとひっそりと下方修正された。
それでも「オリンピック延期は自動運転開発の観点では時間的余裕ができて助かったというのが実情」(別のトヨタ関係者)だという。
自動運転車開発の現状
「今、どこでも走れる無人車を発売しましょうと言えるメーカーはどこにもありません。今は限定されたエリアで自動的に走らせるレベル4が精いっぱい。ウチのAIエンジニアによれば、一般公道では、20年代前半に本当の意味でのレベル2を実現できればいいというところだと聞いています」(前出のシニアエンジニア)
このレベル2、レベル4とは、自動運転の段階を規定する言葉である。
■レベル1
前を走る車両に合わせて自動的に速度を調節するアクティブクルーズコントロール、衝突軽減ブレーキなどを装備。
■レベル2
高速道路など特定環境においてハンドルから手を放しても自律的に走行できる車。
■レベル3
条件付き自動運転。基本的にはハンドル、アクセル、ブレーキなどの運転操作を車がすべて行う。車両側が状況に対処しきれなくなったときは手動運転に切り替わる。
■レベル4
地域、インフラを限定した完全自動運転。高速道路の決まった区間、都市部の特定エリア、施設内など、限定された条件下での完全自動運転。
■レベル5
すべての道路において乗員の運転行為なしに走行可能な完全自動運転。
現在、レベル3までは既に市販車が発売されている。レベル4については各社開発に難渋しているが、スウェーデンのボルボのように市販を予告している企業もあり、夢物語というわけでもなさそうである。
完全自動運転で車ビジネスが一新
だがレベル4までは、言うなれば〝不完全自動運転〟にすぎず、車のビジネスを一新させるパワーはない。
自動車ビジネスを根底から変えるポテンシャルを持っているのは完全自動運転であるレベル5。これが完成すればカーシェアリング、荷物の運送、免許を持たない人たちの移動手段等々、その用途は計り知れない。
一例はカーシェアリング。このサービスは今日、少しずつ普及が始まっている。が、不便なのは、基本的に出発地点に戻る必要があるということ。片道だけ利用することはできないか、できても高額な追加料金を払う必要がある。もしレベル5が実用化されたら、無人で回送できる。
「そういうサービスができたとき、世の中が本当にマイカーを所有することから必要なときに必要な期間車を使うMaaS(自動車サービス)が初めて一般化すると思います」(前出のトヨタ関係者)
レベル5はドライバー不足が課題の物流も自動化することができる。箱型のクルマを小さな店舗にして、移動する無人コンビニのように走らせれば、商店の少ない過疎地での生活の利便性も高まる。ヒューマンエラーによる暴走事故なども過去のものとなっていくことだろう。
そのレベル5が実現するのはいつ頃になるのか。レベル4とレベル5の間にはとてつもない壁があると、自動車開発関係者の多くが口を揃える。人間の監視なしに複雑な状況に対応し、その動作を自動車メーカー側が保証できるだけの技術を得るにはまだ長い時間がかかるという。
自動車メーカーとIT企業との戦い
だが、レベル5に向けた競争開発が終わりを告げたわけではない。
「むしろ、現実路線に立ち返った今が開発競争の本当のスタート地点だと思います。今後は実現の道筋を見定める、技術の〝目利き力〟が競争力を左右するようになる」
自動運転でGMと提携関係にあり、自らもトップランナーを目指すホンダの幹部はこのように語る。
自動車業界にとって油断できないのは、依然としてこの世界での主導権奪取を異業種が虎視眈々と狙っていることだ。
グーグル、アップル、AIチップ大手のエヌビディアといったこれまでの非自動車企業に加え、最近では画像センサー世界大手のソニーが自動運転の中核技術をパッケージ化したものを実装したコンセプトカーを発表するなど、さらにプレーヤーが増える気配を見せる。
対する自動車メーカー側は、開発の手を緩めるとプラットフォーマーや要素技術を持ったIT企業などに主導権を取られてしまうため、早期の実用化の可否に関係なく、レベル5の完全自動運転車の開発を続けなければならない状況だ。日本の自動運転の3大陣営はトヨタ、ホンダ、日産自動車の3社で、トヨタはソフトバンクやウーバー、ホンダはGM、日産はウェイモと手を組みつつ、レベル5の実用化を目指す。
3社の保有している自動運転関連の特許は世界的に見ても質量とも充実しているが、海外を見るとアメリカ、欧州に加えて最近では中国が目覚ましい技術進化を遂げている。完全自動運転を巡る世界の覇権争いの動向は今後、ユーザーにとっても投資家にとっても、長期にわたって注視していく価値があるだろう。