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顧客に選ばれるために始めた大和ハウスの物流施設事業―芳井敬一(大和ハウス工業社長)

芳井敬一・大和ハウス工業社長

わが国の物流施設デベロッパーの最大手が、大和ハウス工業だ。物流施設を担当する建築事業部の売上高は1兆円超と、総売上高4兆3800億円の4分の1を占める主力事業だ。なぜ、大和ハウスが物流施設開発で先頭を走るのか。その理由を芳井敬一社長に聞くと、戦後に誕生した建設会社が大手ゼネコンと伍していくための必死の戦いの結果だという。芳井社長に大和ハウスの強さの秘密と、今後の道筋を聞いた。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(『経済界』2020年12月号月号より加筆・転載)

芳井敬一・大和ハウス工業社長プロフィール

芳井敬一・大和ハウス工業社長

(よしい・けいいち)1958年大阪府生まれ。中央大学文学部を卒業し81年神戸製鋼所グループの神鋼海運入社。90年大和ハウス工業に転じ、姫路支店長、金沢支店長などを歴任。取締役上席執行役員海外事業部長、同常務執行役員東京本店長、同専務執行役員営業本部長を経て、2017年11月、社長に就任した。

大和ハウスの物流施設事業の始まりと現状

大和ハウスの源流は倉庫事業だった

―― 大和ハウスというと住宅メーカーのイメージが強いですが、源流は倉庫事業だそうですね。

芳井 創業者の石橋信夫が、パイプハウスを開発し、倉庫用として当時の国鉄に収めたのが最初です。それが今では売り上げ規模で、集合住宅事業、流通店舗事業と並ぶ3本柱のひとつとして、グループを牽引する事業になりました。戸建住宅事業はそれに続く4番目という位置付けです。

 でも私が中途入社した1990年頃は、全く今の規模感はありませんでした。建築事業部が受注するのは、プレハブの倉庫など小さいものばかり。1億円の受注でよくやったと言われた時代です。大きな案件もやりたかったけれど、仮に当社が5億円の見積もりを出し、スーパーゼネコンなどが5億3千万円だったとしても、スーパーゼネコンに持っていかれた。社名にハウスとつくため、住宅やプレハブ専門で大きな建築物はできないと思われていたのです。

―― それが今では日本最大の物流施設デベロッパーとなりました。

芳井 自分たちが選ばれるには、発注してもらうにはどうすればいいか、必死に考えた結果です。そこからお客さまが必要としていることを提供する営業が始まりました。

 例えば大阪のお客さまが京都に物流センターを建てたいと思って不動産屋に行っても、探すことはむずかしい。でもわれわれは普段から、地主さまを訪問しています。ロードサイドの土地情報は流通店舗事業部が、工業用地なら建築事業部が、通りから一本入った土地なら集合住宅事業部が、さまざまな情報を持っています。

 そこで、物流施設をつくりたいという希望があれば、情報の中から最適の土地を選び、地主さまを紹介する。土地を使いたい企業が地主さまを訪ねても、なかなかいい返事はもらえません。しかし長年、通っているわれわれが間に入ることで地主さまも信用して貸してくれる。そしてわれわれは、施設の建設を任せていただく。こうやって施工例を増やしていきました。

―― あくまで建築を請け負うための手段だったわけですね。

芳井 建物を建てたいんですよ。お客さまと地主さまのお見合いを仲介した手数料がほしいわけではありません。これは創業者がずっと言ってきたことで、私たちは建設会社だ、絶対に建物を建てるという強い意思を持っています。これがなくなると、大和ハウス工業は滅んでしまいます。

日産リバイバルプランから始まった物流施設開発事業

―― しかし今では、自ら土地を購入して物流施設をつくるケースも増えています。いつからこうしたやり方に変わったのですか。

芳井 日産自動車がリバイバルプランで村山工場(東京都)の閉鎖を決めました。その跡地の一部に物流施設をつくったのが最初です。この時はSPC(特定目的会社)をつくり、そこに私たちも出資してリスクを取りました。

 それまで、建築事業部が土地を買うのはご法度でした。住宅事業部やマンション事業部は、家やマンションを安く提供するために土地を買うことは認められていましたが、建築事業部は土地を買って商売をするなと言うのです。

 それを当時の樋口社長(武男・現最高顧問)が変えてくれた。これが成功事例となって、開発案件が増えていきました。ここから自分たちで開発して建設する、デベロッパー建設業という独特の業態が誕生しました。

強みは全国の営業所と抱えるテナントの数

―― それからまだ20年もたっていません。一気呵成に全国に広めていったわけですね。

芳井 それこそが大和ハウス工業の強みです。他のデベロッパーと違うのは、大和ハウス工業は全国約80カ所に支社・支店があることです。建築事業部も営業所が40ほどあります。つまり全国に拠点がある。そこに東京の成功事例が伝わると、一斉に同様の開発が始まります。

 私も当時、神戸にいましたが、「こういうやり方があるのか。さっそくやってみよう」と思ったものです。その頃の建築事業部は仕事に飢えていました。そこで一気に全国に広がったのです。

 もうひとつの強みは、テナントさまを持っていることです。例えば流通業界の方々とは、店舗事業部が長年、お付き合いをしています。その付き合いから物流センターがほしいといった彼らのニーズも入ってくる。ですから物流施設をつくる時には、入居するテナントさまがほとんど決まっています。仮に最初の候補に断られても、すぐに次の候補が見つかります。

 物流施設に限った話ではありません。大和ハウス工業では工業団地の造成も行っていますが、造成が終わるころには誘致する工場がほぼ決まっています。そのためすぐに土地が売れて、工場建設もわれわれが請け負う。開発して売って建てるという一気通貫の体制が整っています。

芳井敬一・大和ハウス工業社長

変化する物流施設の位置づけ

―― 大和ハウスが物流施設開発に本腰を入れ始めたのとほぼ同じ頃、外資系のデベロッパーが参入、これにより物流施設の開発競争が始まります。この20年で随分と環境が変わったのではないですか。

芳井 首都圏では、外環道から圏央道へとどんどん広がっていきましたが、最近はまた中心部に集まってきました。ECに対応するには近場に物流拠点を置く必要がありますから。圏央道近辺で開発が進んだのは土地が安かったからです。

 少し前まで、物流にお金はかけられなかった。コスト削減の時に真っ先に削られたのが運賃です。ですから東京中心部に物流施設を置くことなど考えられませんでした。しかし今では物流はサービス業として、いいサービスには対価が発生することが認められるようになりました。

 だからこそ、ユニクロさま(ファーストリテイリング)のように、東京・有明に巨大な物流施設を構える会社も出てきたのです。今ではユニクロさまは本社機能の一部も、有明に移しています。物流施設に本社を置くなんて、少し前までは考えられませんでした。物流施設の位置付けは大きく変わっています。

―― ユニクロの有明の物流センターは、大和ハウスが開発したものです。あの土地はどうやって入手し、ユニクロに使ってもらうようになったのですか。

芳井 入札で入手しましたが、当時は、「高く買った」と言われました。われわれは420億円で落札しましたが、公開はされていないものの、2番手は300億円台ではないかとの見方でした。

 あの土地の前には高層マンションが建っています。もし同じようにマンションを建てるとしたら、マンションの最終売価を考えると坪280万円が上限です。しかし物流センター用地として見た場合、付近の木場あたりの相場と比較すると350万円は出せる。つまり他社がマンション用地として入札したのに対し、われわれは物流施設用地として入札した。それが金額の差に表れたのだと思います。

 土地を開発するにあたっては、正面から見た顔だけでなく、裏から見た顔、横から見た顔など、さまざまな角度から見て考える。なぜ、そういう見方をするかというと、昔はお客さまから選ばれなかったから。選ばれるために、どう料理したらお客さまに一番喜んでもらえるかを考える。われわれが一番いいシェフになって、一番いい人に食べてもらうためにプランを練ります。そしてそれができるのは、テナントさまがいらっしゃるからです。

―― ユニクロが断っていたら、今頃マンションが建っていたかもしれませんね。

芳井 いいえ、テナント候補は複数持っています。ユニクロさまは1社で借りていただいて本当にありがたいですが、そうでなくても(複数の企業が入居する)マルチテナント型でやっていけます。

大和ハウス工業の物流施設「DPL」
大和ハウス工業の物流施設「DPL」

物流施設中心の街づくりが始まる

―― 新型コロナウイルスはいまだ収束の気配を見せていません。どんな影響が出ていますか。

芳井 出るとしたらこれからでしょうね。コロナの時代でも、多くの国民が物流には期待しています。家から出なくても生活できたのは物流が機能したからです。人が動くことには否定的でしたが、物が動くことにはむしろ肯定的で、そういう意味ではフォローの風が吹いています。

 一方ではこのコロナで厳しい環境にさらされている企業がたくさんあります。そうすると、今まではこの土地を貸す気がなかったけれど貸してみようか、売る気がなかったけれど売ろうか、という企業が出てきます。今後は思わぬ場所の土地が出てくる可能性がある。物流用地が動き出すかもしれません。

―― 20年前に村山工場の土地が出た時と同じですね。それを巡ってデベロッパー間の競争が激しくなりそうです。

芳井 私が一番ダメだと言っているのは不戦敗です。その土地が出たことを知らなかったというのはなしにしようと。われわれは、棟数でいうと一番、面積でも恐らく日本で一番多くの物流施設を開発しています。それなのに声もかからない、ということはやめようと、必死になって情報を収集しています。

―― 施設に求められる機能も随分変わってきたのではないですか。

芳井 SDGsの観点からも、環境配慮と耐震性は特に意識しています。大きな物流センターでは太陽光パネルを置いたところも増えています。それと、働く人のために保育施設を併設するのも今では当たり前になってきました。

 さらには省人化、自動化も進んでいます。大和ハウス工業はGROUND社という自動搬送ロボットシステムを販売するベンチャーに出資していますが、こうしたロボットやAIをどんどん入れていきます。

―― そういったシステムも物流施設側が用意するのですか。

芳井 今では空間だけでなく、付帯物もセットして提供しています。テナントさまにしてみれば、初期投資をできるだけ抑えたい。ですから付帯施設に自分たちで投資するのではなく、施設側に用意してもらう。そのかわりわれわれはその分、賃料に反映させてもらいます。

 ナイキさまの国内の物流センターでは、われわれのグループであるアッカ・インターナショナルの「ALIS」というシステムが入っています。これはECサイト用の物流やシステム、商品撮影やコールセンターなどのサービスを提供するもので、これが入っていることが、ナイキさまの入居の条件になっています。お陰でわれわれの物流施設も利用していただいています。

―― これまでのベンチャー企業投資が実りつつありますね。

芳井 まだまだというところありますが、彼らは必死になってやってくれています。

―― 今後はどのような物流施設が誕生してくるのでしょうか。

芳井 やりたいのは、ほかにまねできない街づくりです。現在、大和ハウス工業が手掛けた物流施設は250棟以上ありますが、高齢化や、ラストワンマイルの問題を考えると、物流施設を軸とした街ができるのではないか考えています。物流施設があり、保育園や店舗、住宅も近くにある街です。われわれはそれが一気通貫でできる事業部を持っています。ホテルもスポーツクラブNASもある。これらを結び付けることで総合生活産業が実現できます。

 ですから東京本店長と大阪本店長には、物流施設だけの開発はやめろと言っています。施設用の土地を入手する時に、その周辺も手当てする。やがてはそこに住宅や店舗ができる。そうなれば物流を軸にした地方の活性化も夢ではありません。