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成長分野をつくれずに退く パナソニック・津賀社長の無念

パナソニック社長 津賀一宏氏

11月13日、パナソニックが社長交代を発表した。交代時期の2021年6月に津賀一宏社長の任期は丸9年となり、創業家を除くと過去最長に並ぶ。しかし任期前半こそ黒字を定着させるなど順調に見えたが、後半は尻すぼみ。さらにコロナ禍が追い討ちをかけ、無念の中での交代となる。文=関 慎夫(『経済界』2021年2月号より加筆・転載)

津賀体制でパナソニックはどうなったか

異例の長期政権となった津賀体制

 「2018年に創業100周年を迎え、ひとつの役割を終えたと思っており、それ以降はいつ交代してもいいと思っていた」

 パナソニックの津賀一宏社長は11月13日、2021年6月に社長を退いて会長となり、後任に楠見雄規常務執行役員が就くと発表した。パナソニックの社長交代は9年ぶり。過去3代の社長はいずれも6年で退いていることを考えると、異例の長期政権となった。

 冒頭の発言は会見における津賀社長の言葉だが、パナソニックが創業100周年を迎えたのは18年3月。3カ月後の6月に津賀氏は就任6年を迎えた。そのためこのタイミングで100周年を花道に社長交代に踏み切るとの見方もあったが、津賀氏はそうしなかった。

 その理由を、津賀氏は本誌のインタビューに次のように答えている。

 「私の社長業は大赤字からのスタートだったので、100周年を増収増益の形で迎えられるとは思わなかったし、余裕もなかった。それでもいろんなトライアルをして失敗を重ねながらも成功を収めていくと、もう少しやりたいなという気持ちが起きてくる。それに多くの方々に外部から来ていただいているのに『後を頼む』と戦線離脱するのは申し訳ないと言う気持ちが湧いてきて、ずるずると7年目に入ろうとしている」(本誌18年8月号)

経営者として評価が高かった津賀氏

 しかし結論から言えば、18年に交代しておいたほうが、津賀氏の経営者としての評価は高かったはずだ。

 18年のインタビューにあるように、12年に津賀氏が社長に就任した時、パナソニックはどん底だった。大坪文雄前社長時代、プラズマディスプレイに社運を賭けて大型工場を建設したものの、液晶とのパネル対決に敗れてしまう。

 その状況下で就任した津賀氏の最初の仕事はプラズマ事業からの撤退だった。それに伴いパナソニックは、11年度、12年度の2年間で1兆5千億円もの赤字を計上せざるを得なかった。

 しかしそこから津賀氏は態勢を立て直していく。2代前の中村邦夫社長時代に廃止した事業部制を復活させ、事業部ごとに開発・製造・販売の一気通貫の機能を持たせた。

 その一方で、「家電のパナソニック」ではないと宣言、B2Bへのシフトを鮮明にしていく。そうした施策が一定の成果を生み、就任2年目の14年3月期には黒字転換を果たす。そして100周年を迎えた18年3月期には、就任6年目で初めて増収増益決算を計上した。

 この年の売上高は7兆9822億円、最終利益は2360億円。さらに19年3月期には売上高8兆27億円、最終利益3027億円と2期連続増収増益を果たす。

最後の2年間で業績が大幅に悪化

 しかしここがピークだった。20年3月期の業績は、売上高7兆4906億円、最終利益2257億円と大幅な減収減益となる。しかも津賀社長が最低5%を目標としていた営業利益率は、19年3月期には5・1%だったものが、20年3月期には3・9%と大きく落ち込んだ。

 19年度は米中経済戦争が本格化したこと、コロナ禍の影響が年度末にかけて出てきたことで、ほぼすべての企業にとっては厳しい年になった。パナソニックも中国における売上高が前期比15%減となったほか、日本、米国、欧州、アジアの全地域で3~5%の減収となった。

 しかし数字以上にパナソニックにとって深刻なのは、「稼ぐ力」がないことが、決算から明らかになったことだった。

津賀社長交代後のパナソニックは成長できるのか

家電の次の成長事業を模索

 前述のように、以前のパナソニックの枕詞は「家電の」だった。創業者である松下幸之助の存命中は、家電事業だけで営業利益率10%以上を稼いでいた。しかし世界中で家電は成熟商品となり、昔のように儲かる事業ではなくなった。

 しかも国内は人口減少、海外ではライバルの台頭もあり、それほどの伸びも期待できない。だから津賀社長は家電の旗を降ろす決断をした。しかしそれは、家電事業を縮小するのではなく、他の事業領域を伸ばしていくことを意味していた。ところが、家電の次の成長事業が出てこない。

 候補はいくらでもあった。就任2年目の13年、津賀社長は「家電2兆円、自動車2兆円、住宅2兆円」の目標を掲げる。車載事業(バッテリーやコックピットシステム、センサー等)と住宅関連事業を家電なみの売り上げに伸ばしていこうというものだ。

 ところが、思うように育ってこない。3年後の16年には家電と車載事業の目標2兆円はそのままだったが、住宅関連事業は1兆6千億円と2割も目標を引き下げた。しかも19年にはトヨタと住宅事業を統合することで合意、20年初頭に合弁会社が発足したが、これにより住宅事業は連結対象ではなくなった。

テスラは絶好調なのに赤字続きの車載電池事業

 もうひとつの車載関連は、パナソニックにとって希望の星だった。中でも車載用二次電池分野(リチウムイオンバッテリー等)では、パナソニックは長らく世界をリードしてきた。

 今や時価総額でトヨタ自動車を抜いたテスラモーターズのバッテリーは、同社とパナソニックの合弁会社であるギガファクトリーでつくられている。そのため、テスラが売れれば売れるほど、パナソニックの収益も上がっていく。さらにここで実績を残せば、今後、拡大する電気自動車向けバッテリーで覇権を握ることができる、はずだった。

 ところが、18年頃からテスラは量産体制に入ったものの、パナソニックのテスラ向け電池事業は歩留まりが悪く赤字を垂れ流し続ける。今期第2四半期でようやく黒字化したが、当初の目論見は大きく狂った。バッテリー以外の車載関連事業も低調で、前3月期決算の売上高は1兆5千億円にとどかなかったばかりか、466億円の赤字を計上した。

就任時から9年間でほとんど成長せず

 このほかB2B事業全般も伸び悩み、結局コンスタントに利益を上げているのは、白物家電を中心とした家電事業と、旧松下電工から続く照明・電設関係など、いわゆる従来型ビジネスばかりで、津賀氏が社長になってから目指したビジネスモデルの大転換はいまだ道半ばだ。

 津賀氏の就任1年目、パナソニックの売上高は7兆3030億円だったが、前3月期では7兆4906億円と、ほとんど成長していない。しかも中間決算発表時に出した今期見通しは売上高は6兆5千億円となっている。

 コロナ禍という不幸があったにせよ、大きく売り上げを減らしたうえでの社長交代となる。創業100周年時に続投を決意した時は、まさかこうした形で社長の座を譲るとは考えもしなかっただろう。

持ち株会社化で成長事業を生み出せるか

 津賀氏に代わって6月に社長に就任する楠見氏は京都大学大学院工学部出身の55歳。現在は社内分社であるオートモーティブ社社長を務めている。

 この会社は、車載関連事業を担当しており、楠見氏は19年に社長に就任、前述のように期待されながらも利益の上がらぬ事業の再建を課せられていた。その結果、20年9月までの中間期では、赤字幅を44億円にまで縮小、テスラ事業も黒転したことが評価されて社長に昇格することになった。

 パナソニックは、22年4月に持ち株会社制へと移行する。パナソニックホールディングスの下に、事業会社としてのパナソニック(家電等)、エナジー事業(電池等)、デバイス事業(半導体等)、現場プロセス事業(B2B)がぶら下がる。

 楠見次期社長はこの新体制について、

 「お客さまに貢献する力やスピードが、競合他社に比べて劣後にまわった事業は、どんどん収益性が悪くなる。顧客に貢献する力やスピード、お金のまわし方も改善できない。新体制における事業会社には、徹底的に自主責任経営をしてもらい、競争力強化のスピードを最大化してもらうことが必要である」と語っている。

 確かに、事業会社を持ち株会社がバックアップする体制のほうが、意思決定のスピードや事業に関する責任感も上がるはずだ。しかしそれ以上に重要なのは成長事業を育てられるかどうかだ。

 津賀社長の9年間は、不採算事業の整理から始まり、将来の芽を育てるために従来のパナソニックの本流とは違うところに次々と種をまいたが、花を咲かせることはできなかった。その思いは楠見新社長に託された。