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「経営は自由だ。こうあるべきなど何もない」―佐野健一(ビジョン社長兼CEO)

佐野健一・ビジョン社長

インタビュー

コロナ禍で旅行業界は大打撃を受けている。海外旅行客向けにモバイルWiFiルーター「グローバルWiFi」を提供するビジョンも大きな痛手を受けている。それにもかかわらず、ビジョンは前12月期決算で営業黒字を確保した。以前からパンデミックを経営上のリスク要因と考えていた佐野健一社長はいかなる対策を打ったのか。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(『経済界』2021年7月号より加筆・転載)

佐野健一・ビジョン社長兼CEOプロフィール

佐野健一・ビジョン社長
(さの・けんいち)1969年生まれ。鹿児島商工高校を卒業後、90年光通信入社。すぐにトップ営業マンとなる。95年静岡県で起業、ビジョン設立。電話回線やコピー機などの販売を行う一方、2012年から「グローバルWiFi」を開始、15年12月東京マザーズ上場、16年12月東証一部へ市場変更。

ビジョンがコロナ禍でも営業黒字を確保出来た理由

稼ぎ頭のグローバルWiFi事業部を解体

―― ビジョンの主力サービスである「グローバルWiFi」は、コロナ禍でインバウンド、アウトバウンドがともに激減したために、大打撃を受けました。にもかかわらず前12月期決算では営業利益を確保しています。航空会社や旅行社など、海外旅行に伴う事業を展開する会社は軒並み赤字になっている中で、どうやって利益を上げたのですか。

佐野 もともと当社では、パンデミックをリスク要因として考えていて、2015年に上場した時の機関投資家向け説明でも、そのことを謳ってあります。

 ただ、昨年1月に中国で感染が増えていた時は、世界への拡大は食い止められるのではないかと考えていたのですが、やがてヨーロッパやアメリカに広がっていったことで全世界で流行する可能性があり、収束には3年から5年はかかるのではないかと考え直しました。当時はワクチンの開発にも2、3年必要と言われていましたし、治療薬ができないことには簡単には収まらないだろうと思っていました。

 そこで社内で号令をかけて、グローバルWiFiなど海外に関する事業は3月の段階で解散し、ニューノーマルで必要になってくるものに全面的にシフトしています。

―― 19年12月決算では、グローバルWiFi事業は売り上げの3分の2を占めていました。それをやめたのですか。

佐野 今でもサービスとしては残っています。日本にいる外国人で利用している人もいます。でも3カ月や半年で海外旅行が回復することはありません。それなら、期待感を捨てる意味でも、関わる部隊を解散したほうがいいと考えたのです。

―― パンデミックをリスク要因として認識していたということは、以前からそうなったらこうしようといったシミュレーションをしていたのですか。

佐野 特に考えていたわけではありません。でも時代の変化など、その時々で売れる商品やサービスが変わります。その変わり目の時に、より早くシフトすれば、得られる収益は大きくなり、逆に損失は小さくすることができます。その意味では、普段からしがみつかない経営を心掛けてきました。

 もうひとつ撤退したのがプロドライバーズという事業です。これは空港の送迎などにハイヤーを配車するサービスで、19年8月に子会社化、その年の第4四半期には黒字が出ていましたから、役員会でももったいないという議論がありました。それでも利用者の多くが外国人であり、展示会などで来日したVIPの送迎や、駐日大使館の職員に使っていただくなど、外国人比率が高かったため、ランニングコストもかさむこともあり売却しています。

事業シフトが成功

―― グローバルWiFiは海外キャリアとの間で定額の使用料を支払う契約だったものを、最近、従量課金にしたそうですね。それが損失を小さくしたとも聞きました。普通に考えれば、従量制より定額のほうが安いはずです。それをなぜ従量制に切り替えたのですか。

佐野 定額でもホールセール型(従量制)でもコストは変わりません。われわれは旅行者に占めるシェアが高いこともあり、キャリアにしてみれば、使ってもらいたい。だからコスト負担なく切り替えができたのです。

 上場直前の15年11月にパリ同時多発テロ事件が起きました。これによりフランスに旅行に行く人が一気に減りました。この時は定額制だったため、利用者がいなくても固定費としてコストがかかってしまいました。そして今の時代、テロはどこの国でも起きる可能性もある。さらにはパンデミックも心配です。実際パリのテロの直前には韓国でMERSが流行し、韓国との往来が7割も減っています。

 そうしたリスクを考えたらホールセール型にして、固定費から変動費にするというのは財務的には当然の選択でした。

―― そうやってコストを抑えたのでしょうが、それでも黒字を確保できたのは不思議でなりません。

佐野 当社はもともと情報通信サービス事業を提供していた会社です。その後、グローバルWiFi事業に進出し、それが大きく伸びてきましたが、前期決算では情報通信サービス事業が頑張ってくれました。売り上げは横ばいでしたが、利益が伸びた。それで救われました。

―― DXの進展が追い風になったのですか。

佐野 ひとつには事業シフトがうまくいきました。訪日外国人向けに提供していたWiFiサービスですが、これを使えば家庭がWiFi環境になるため、テレワークやオンライン授業などに使えます。

 そしてもうひとつ、情報通信サービス事業は、社会環境が変わっても顧客ニーズがあまり落ちないという特徴があります。これは今回に限ったことではなく、リーマンショックの時も東日本大震災の時もそうでした。というのも、ビジョンの顧客には起業家が多くいますが、社会が安定して景気がいい時には多くの人がそのままサラリーマンを続けようと考えるのか、起業家が減る傾向があります。その逆に、景気が悪くなるとむしろ踏ん切りがつくようです。

コロナ前に導入していたオンライン営業

―― でもどうやって営業をしたのですか。オンライン営業で成果を上げるのは大変でしょう。

佐野 コロナ禍の前からテレワークやオンライン営業をやっていました。テレワークに関しては、妊婦さんは全員テレワークにしていましたし、配偶者の転勤で遠隔地に行かざるを得ない社員や親の介護が必要な社員などには認めていたのです。
 オンライン営業も以前から導入してきました。訪問営業では移動に時間を取られてしまうため、生産性を上げるために始めました。しかし最初はむしろ生産性が落ちて失敗。それでももう一度チャレンジしようと取り組んできました。ですから営業の人間はオンラインへの抵抗感は全くなかった。しかも以前うまくいかなかったのはお客さんが嫌がったためですが、コロナ禍によりお客さんも受け入れるようになりました。ですから、スムースに移行することができました。

ビジョン・佐野社長の経営方針とは

社員同士の顧客紹介がスムースに行く理由

―― 事前の準備が功を奏したわけですね。そうした用意周到さは、佐野さんの経営に対する基本的な姿勢からくるものなのですか。

佐野 僕は、経営は自由だと考えています。経営会議で決めて、こうでなければならない、ということは何もない。ですから、従業員がもっと働きやすく、最高のパフォーマンスを発揮でき、そしてお客さんがもっと満足してくれるための環境を提供することを軸に置いています。そのためなら、何をやってもいい。

 多くの企業の組織の在り方は、ここ数十年変わっていないと思います。上長がいて、そこからツリー型に広がる組織で、事業部ごとに業績を競う。ところが当社の営業はすべてクロスファンクショナルです。いくらでもジョブローテーションができるし、お互いがお互いのお客さんを紹介しあうようになっています。なぜそうしたかというと、それがもっとも効率がいいからです。

―― だいたいの営業マンは、自分の顧客を囲い込みたがります。よく導入できましたね。

佐野 これをやるためには、営業の人間は複数の商品の知識がなければなりません。知識があれば、お客さんとある商談がまとまった時に、こちらの商品も便利ですよ、という営業ができます。それに興味を示してくれたとしても、次のアポがある場合、社内の他の人につないで、その人が商談をまとめます。

―― その場合、営業成績はどちらにつくんですか。

佐野 最初は折半にしていました。でもそれだとあまり紹介しようとしません。そこでお互いに100%、成績が乗るように変えました。するとどうなるか。人に紹介しても自分の成績になるので、目の色が変わります。そして忙しい人ほど、どんどん仲間にパスを出すようになります。
―― どこかの企業を模倣したのですか。

佐野 モデルはありません。1から自分たちでつくっていきました。

佐野健一・ビジョン社長

営業がパフォーマンスを発揮できるシステム

―― 成果を上げているとなると、教えてほしいといわれるでしょう。

佐野 かなり教えています。でも機能する会社もあればうまくいかない会社もあります。その違いは何かというと企業文化の違いです。営業の強い会社の多くで、自分だけ、あるいは自分の部署の成績がよければそれでいい、という企業文化があります。よその部署が予算未達でも関係ない。これではうまくいきません。

 当社は、事業部の成績より全社の業績を優先します。いくら事業部が稼いでも、全社の目標が達成できなければボーナスにも影響します。それが根付けば、自分の担当する製品だけを売ればいいという意識もなくなります。

 ただし、浸透させるには5年ほどかかりました。古い営業マンほど、紹介すると商談がつぶされるのではと考えてしまう。でも続けていると、このほうが数字が上がることが分かってくる。それでようやく文化が変わってきました。

―― 佐野さんは光通信のトップ営業マンだったので、ビジョンも猛烈営業で、社長として営業マンの尻を叩き続けていると思っていました。

佐野 確かに光通信時代は猛烈営業マンでした。でもその経験があるからこそ、ムチで叩くのではなく、パフォーマンスを発揮できるシステムを考えたのです。