経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

「串カツを日本を代表する食文化に」―貫 啓二 (串カツ田中ホールディングス社長)

貫 啓二・串カツ田中ホールディングス社長

インタビュー

串カツといえば大阪名物だが、これを東京に広めたのが2008年に1号店が世田谷にオープンした「串カツ田中」。今では全国に300店舗近いチェーン店を展開、誰もが知る存在となった。コロナ禍で外食産業には厳しい時代が続くが、その中にあって貫啓二社長はどのような未来を描いているのか。聞き手=中村芳平 Photo=横溝 敦(『経済界』2021年7月号より加筆・転載)

貫 啓二・串カツ田中ホールディングス社長プロフィール

貫 啓二・串カツ田中ホールディングス社長
(ぬき・けいじ)1971年生まれ。高校卒業後トヨタ輸送入社。27歳で大阪・心斎橋にバーを開業。さまざまな飲食業を営んだあと、2008年のリーマンショック後に串カツ田中1号店を開業。15年に串カツ田中に社名変更、18年持ち株会社化に伴い串カツ田中ホールディングスに。

串カツ田中の理念から生まれた糖質40%オフの衣

―― 大豆由来のたんぱく質などを配合した糖質40%オフの衣を開発されたそうですね。

 糖質40%オフの衣は足掛け5年ほどかけて、ようやく完成したもので、この開発は当社の改善・改革の取り組みの中でも画期的なものだと思います。実は途中、何度やってもおいしさが維持できないので、さすがにやめようかと考えたこともあります。

 しかし副社長の田中(洋江氏)はその壁を乗り越えて、開発に成功したのです。食べてみてこれが糖質40%オフの衣であるとは気が付かないほどおいしい。しかも旧製品と比べ食物繊維が5倍、たんぱく質も1・4倍に増え、健康にもより良い商品になりました。

―― 商品のリニューアルというのは地味な挑戦ですが、5年近くもよく粘りましたね。

 糖質40%オフの衣の開発というのは自分たちでもすごいことだと思っています。ここにくるまでには時間とコストもかかっていますが、だからといって売り上げが40%も伸びるかというとそんなことはありません。ここで大切なのは、こういうブラッシュアップを10年、20年とコツコツ続け、品質を向上させていくことを決して怠らないことです。

 当社の企業理念は、「串カツ田中の串カツで、一人でも多くの笑顔を生むことにより、社会貢献し、全従業員の物心両面の幸福を追求する」というものです。糖質40%オフの衣を開発したのもそのためです。この串カツを一人でも多くの人に食べてもらい、喜んでいただきたいと思っています。

スナックの居抜きから始まった串カツ田中

―― 貫さんは大阪・心斎橋の15坪のショットバーを皮切りに飲食業の世界に入ります。苦労の末に、田中副社長の父親に教わった串カツのレシピをもとに最後の勝負をすると、串カツ田中を2008年12月に開店しました。当時、ここまで大きくなると思っていましたか。

 串カツ田中を始めた当時は、東急世田谷線の三軒茶屋に住んでいて、世田谷線の各駅を1週間ほど歩いて物件を探しました。松陰神社前駅の住宅街の雑居ビルの1階でスナックの居抜き物件を見つけ開業しました。14坪28席、家賃21万円(坪1万5千円)、保証金なしという嘘みたいに安い物件です。コンセプトは「大阪の住宅街にある串カツ屋」。8千万円の借金を抱えていたのですが、さらに金融機関から300万円借り、これで最後の一勝負です。

 お金がありませんから、ヤフオクで厨房機器を購入し、テーブルは残されていたものを修理して使い、ホームセンターでパイプ椅子などを購入しました。壁は塗り直し、木札のメニューを掲げ、店の中がのぞけるように、白くて透明なテントで覆いました。そのテントに黒と赤で「名物串カツ田中 大阪伝統の味」と書きました。メニューは肉、魚、野菜など30品以上ありましたが、いずれも100円から200円。サイドメニューにかすうどん、たこ焼きなど大阪らしいものを用意しました。

 こうして1号店は2008年12月にオープンしました。月商が300万円に届けば成功と思っていましたが、初月の売り上げは450万円と、それまで経験したことのない売れ方でした。客単価は2400円。初期投資や運営コストが安かったこともあり、300万円の借金は1カ月で返すことができました。

串カツ田中
「大阪の住宅街にある串カツ屋」をコンセプトに成功

串カツ田中が人気になった理由

―― どうしてそれほど人気になったのでしょうか。

 大衆食堂&大衆酒場の要素が繁盛につながったと思います。人気はさらに高まり、翌年春から夏にかけては月商800万円を記録するほど快調でした。お陰で串カツ田中以前の借金8千万円も、1年半ほどで返すことができました。当時は大阪で別の業態の店もやっていたのですが、これを閉め、串カツ田中一本でいくことに決めました。

 住宅街の3流立地で繁盛したことは大きな自信になりました。これを繁華街にもっていけば間違いなくヒットするはずだとの確信を得たのです。そこで11年12月には直営の杉並区方南町店をFC化し、以後直営とFCの両輪による多店舗展開を急ぎました。

 というのも串カツ田中をまねる店が出てきたからです。競合店の登場は串カツの市場が広がるというメリットもありますが、中にはわれわれが考える水準に達していない店もありました。そういうお店の串カツを食べて、「串カツはおいしくない」と思ってほしくない。そうならないためにも多店舗展開を本格化させ、串カツ田中のファンを増やそうと考えたのです。

短期と中長期の両輪で

―― 16年に東証マザーズに上場し、18年には持ち株会社制に移行して串カツ田中ホールディングスが誕生、19年には東証一部に指定替えとなりました。しかしコロナ禍により前11月期は4千万円の営業赤字を計上、さらに4月25日には3度目の緊急事態宣言が発令されました。この危機をどうやって乗り切っていきますか。

 100年に一度来るかどうかの新型コロナウイルスが世界中で暴れ回っています。これに対し政府が新型コロナをどうジャッジしているのか、新型コロナがいつ頃収束するのか、全く予想が立ちません。

 一方、社会的な受け止め方も週単位で右から左へとコロコロ動いています。例えば、時短要請を受けて外食がかわいそうだ応援しよう、という風潮になったと思えば、その次の週には外食だけが優遇されるのはおかしい、という論調に変わりバッシングされるといった具合です。

 そんな混乱と混沌の中で、正しい選択をするのは非常に難しいと感じています。これまでの戦略も見直さなければならないケースも出てきています。例えばわれわれもこれまで一貫して串カツ田中一本槍でやっていくと言っていましたが、コロナ禍でそれが難しくなりました。

 そこで経営の第2の柱を育てようと、昨年、「鳥と卵の専門店 鳥玉」をオープンしました。今後もさまざまな状況を想定しながら、試行錯誤を繰り返していこうと考えています。

 重要なのは、中長期的視点と短期的視点の両方を持つことです。短期的には、今の状況を乗り切るためにコストは徹底的に抑える一方で、1円でも多く売り上げを上げるための努力する。中長期的には、コロナ収束後の成長のための準備を怠らない。その両輪を同時に実行することが求められています。

 残念なのは、本来ならお客さま満足度を高めることを最優先して成長戦略を描くべきなのに、それ以外のことに労力を取られることです。

 例えば少し前、店舗にCO2センサーを導入しなさいという話がありました。でもどうやってセンサーを手配するのか調べなければ分からない。助成金にしてもどのような手続きを踏んだらいいのか分かりづらい。そういったところに時間がとられ、本業に手が回らないのが現状です。当社ぐらいの規模になれば、担当者に対応させることができますが、中小企業はそこに人を割けないので経営者自らやる必要がある。そうなると大事な経営判断が後回しになってしまいます。

経営の基本スタイルは「うまくいくはずがない」

―― 店舗内飲食には制限がかかっていますが、テークアウトなどで売り上げをカバーしている企業もあります。串カツ田中はどのように対応していますか。

 今期の重点目標のひとつに冷凍串カツの販路拡大があります。昨年4月には食品宅配サービスの「Oisix」を利用して初めてネット通販を開始、今年1月までには20万本を売りました。2月には生協「コープこうべ」の宅配に提供するなど、販売先を次々に開拓しています。

 参考になるのは「大阪王将」を運営するイートアンドです。ここは餃子の冷食を100億円以上売り上げているそうです。冷凍串カツの潜在的な市場規模も100億円近くはあると考えています。これ以外にも中長期戦略としてたくさんのことを考えていますし、仕掛けてもいますが、残念ながら今はまだ話すことはできません。

―― 将来については楽観的に考えていますか。

 そんなことはありません。私の基本的な経営姿勢は「不安経営」です。「そんなにうまくいくはずがない」と常に思っています。ですから常にどのようなリスクがあるのかしっかりと洗い出すようにしていますし、社員がリスクについて説明してきた時は、必ず耳を傾けます。

 なぜそういう考えを持つようになったかというと、串カツ田中にたどりつくまで、うまくいった事業が何一つなかったからです。たまたま串カツ田中はラッキーで奇跡的でした。ですからそのブランド運は非常に強いものがあると思っています。最後の勝負のつもりで始めたものが大当たりして、一部上場にまで到達できた。今もいろんな会社がコラボを持ちかけてくれています。

―― 今後の展開をどのように考えていますか。現在、店舗数は279店、300店舗が見えてきました。

 300店が実現できれば次に500店、500店舗が達成できれば1千店が見えてくると思います。当社の目指す未来は「1千店舗体制を構築し、串カツ田中の串カツを日本を代表する食文化とすること」です。

 串カツ田中以前には、東京の人は串カツを食べる経験がありませんでした。でも1号店の開業10周年の時に、20代の青年が「10年前、両親に連れられて初めて串カツを食べました。それを思い出して食べに来ました」と言ってくれました。うれしかったですねえ。

―― マクドナルドの藤田さん(藤田田・日本マクドナルド創業者)は「人間は12歳までに食べたものを一生食べ続ける」と言って、子どもたちに味の刷り込みを行ってきました。

 私にも経験があります。串カツ田中も、それと同じように、大人から子どもまで、国民みんなに愛される串カツを目指します。