インタビュー
田村淳さんが展開する遺書動画サービス「ITAKOTO(イタコト)」がスタートからもうすぐ1年を迎える。その間、ビジネスやサービス構築を学ぶために大学院に通い、修士号を取得した後も、研究生として事業への活用を目的としたデータ収集などを続けている。タレント、インフルエンサーとして活躍する傍ら、これほどまでに事業に情熱を燃やす理由は何なのか。「起業家 田村淳」としての姿に迫った。聞き手=吉田浩、Photo=幸田森(『経済界』2021年9月号より加筆・転載)
田村淳氏プロフィール
「ITAKOTO」は動画で残した遺書を、自分の死後に大切な人と共有できるサービス。仕組みはシンプルで、スマートフォンで自ら動画を撮影し、発行された遺書動画のURLを指定した人物に送れるというものだ。 田村さんがこのサービスを始めたきっかけは、恐山(青森県)のイタコが孤独死した女優の霊を呼び出すというテレビ番組の企画で、イタコを通じて故人の気持ちを聞いた女優の弟が涙を流して感動し、姉の死を受け入れられるようになった姿を見たこと。そして、他ならぬ田村さんの母親を通じて、「死」というものについて日常的に考える機会が多かったことも影響している。 その母親が、癌で亡くなったのが昨年のこと。完璧な準備をして旅立った母の姿を見て、生きているうちに「死」と向き合う大切さを再認識することになった。こうした経験を、いずれサービスに落とし込みたいと田村さんは語る。 |
「死」をタブー視する風潮を取り除きたい
―― 人生の中で、死生観について考える機会は多かったのでしょうか?
田村 田村家では、死に方の話をすることが当たり前に行われていました。でも、社会に出るとみんな死の話題を敬遠していて、なぜなんだろうとぼんやりとは思っていましたね。タブー視されているところに切り込んでいきたいという自分の中の欲求もあって、死に関わることは決してネガティブではなく、ポジティブなものと捉えられるような事業が創れるはずだと思ったんです。
―― ある程度年齢を重ねると死が話題に出る機会も増えると思いますが、なかなか若い世代ではそういう話にならないですよね。
田村 高齢者になった時に死生観に関する思考がちゃんと働いていないと、ギリギリのタイミングで何かを言われても残された人たちはジャッジできないんじゃないかと思うんです。母ちゃんは40代ぐらいのころから「こんなふうに死にたい」と僕に言ってきました。死ぬ間際も20数年前と言っていることに一貫性があったので、延命治療をしないという希望が家族として受け入れやすかった。そういうのが遺書動画として残っていたら、残された人たちはハッピーになれるんじゃないかと思いました。
―― 2017年に事業資金を集めるためにクラウドファンディングを行いましたが、思ったほど金額が集まりませんでした。そこの反省点についてはどう捉えていますか?
田村 これは今でも苦戦しているところですが、やはり「死」というものがみんなにとって「無理に触れなくてもいいもの」と捉えられている壁があります。僕は「未来に起きることが分かっているなら、不都合かもしれないけど議論しようよ」って思っちゃう人間なんだけど、そこが事業としてネガティブなところから脱出できない原因だと思います。
でも、修士論文を書くにあたって2千人くらいの方に遺書を書いてもらったら、9割の人が書いた後ポジティブな気持ちに変わったというデータが出ました。やはり入り口をどうするかというのが課題だと思います。
―― 今回の取材にあたってITAKOTOのアプリを使ってみたんですが、いざ喋ろうと思うと言葉が出てきませんでした。喋ってしまえばすっきりすると思うのですが、その最初の1歩を踏み出すのが壁になっている気がしました。
田村 遺書を残す際に、やはり質問があったほうが圧倒的にやりやすいというデータが出ています。今は自由に撮ってもらうやり方なんですが、ユーザーが答えやすい質問をチョイスしてもらうようにすると、頭の中が整理できて喋りやすくなるという結果が出たので、いずれサービスに落とし込んでいきたいと考えています。
死を想定することで自分の内面を見つめる
―― 2千人の方は、どんなことを残していたんでしょうか。
田村 具体的な内容は言えないですが、アンケートの結果で分かったのは、他人のために書いている遺書だけど、書いているうちに自分が大切に思っていることや、どう生きたいかといったことが見えてきて、実は自分自身にフィードバックがあるという気付きを得る人が多かったということです。
―― 遺書を残すことが自分の内面を見つめる作業になっていくわけですね。
田村 そうですね。よく「死ぬ気で頑張れ」って言うじゃないですか。あれ、結構ハードなこと言うなあって思っていたんですけど、遺書を書くときは誰でも簡単に死ぬ気になれるというのに気付きました。自分が死ぬ気にならないと書けないけど、すごくしんどい思いをするわけではない。死ぬことを想定していないと遺書は書けないので、誰でも簡単に死ぬ気になれるタイミングなのかなと思います。
―― たとえば東日本大震災や今回のコロナもそうですけど、大きな出来事がないと一般の人は死を意識しないと思います。やはり社会情勢なども影響してくるんでしょうか。
田村 社会情勢が不安定になると、死ぬことを意識する人も増えると思います。でも、そうなってから死に向き合うよりも、平時から向き合っていた方が自分らしさにつながると思っています。死んだらこうしてほしいとか、死ぬまでにこういうことをしたいなとか、日ごろから考えてもらえるサービスにしたくて試行錯誤しているところです。
遺書動画の意思をどうサービスに落とし込むか
―― 大学院で学んだことで、事業にどんな影響がありましたか?
田村 ITAKOTOというサービス名にしても、デザインにしても、プログラミングをどうするかにしても、サービスを作るのに必要な一連のことを学んだのですが、やはりポリシーが一番重要だなというのは感じます。僕の場合、やりたい事業が根底にあるのでそこが明確なんです。自分が大切にしているコアの部分をサービスに落とし込むためにやるべきことを学べたのが、一番良かったと思える点です。
―― 起業家になるイメージは以前からあったのでしょうか?
田村 全くなくて、今でも起業することを大それた一歩とは捉えていないんです。人生の中でやりたいことを思いついたらたまたまこうなった。タレント業もそうですね。人生でやりたいことがタレントをやらないとできなかったというだけで、あまり深く考えてないですね。枠組みとかカテゴリーとか、こうしなきゃいけないとかこうあるべきだというのもないです。芸人やタレントはいろんなことをやっていいのに、「こんなことやっちゃいけない」と何となく思って、可能性を閉じている人が多いなと感じます。
―― ITAKOTOの正式リリースから約1年経ちましたが、気付きや改善点などはありましたか?
田村 「遺書」という名称が良くないのかなとも思いました。修士論文でも名称をいずれは変えていきたいと書いたんですけど、教授から「遺書というところから逃げてはいけないんじゃないの?」と指摘されました。遺書という名前があることでユーザーにとっての入り口はしんどくなるけど、遺書を撮ろうとするから死ぬ気で動画を撮るのであって、軽い気持ちの人は絶対に撮らない。その人たちにどうにかして遺書に向き合ってもらうことを考えたほうがいいのではないかと言われました。確かにそこは一番大事な部分で、もっとやりやすい手段を投じるために、研究を続けながらデータを取っていきたいと思っています。
母親の遺書動画が気付かせてくれたこと
5月に出版された著書『母ちゃんのフラフープ』には、遺書動画を残すよう母親に頼んだところ、両親の何気ない会話と共に、カメラに背中を向けてひたすらフラフープを回す母の姿が映っていたというエピソードが綴られている。そこから、サービスの在り方に関する気付きを得たとも田村さんは語る。 |
―― お母さまがフラフープをひたすら回し続ける動画を撮ったのは、遺書の残し方の自由度という点においてはひとつのヒントになりますね。
田村 それまでは、カメラに向かって「〇〇さん、私が死んでも悲しまないでね」みたいなメッセージを残すことが遺書動画のあるべき姿だと勝手に思ってたんですけど、母ちゃんはそこをひっくり返してくれました。
ただ、普通にスマホに残っている動画と遺書動画の違いは、「私はこれを遺書動画として残す。私が死んだ後に見てください」という意思があること。受け取り手の気持ち変わってくるので、そこをなんとかサービスの中に分かりやすい形で落とし込みたいと思いました。その気付きは、母ちゃんが残してくれた宝物だと思っています。
―― 多様な生き方についてはよく言われますが、「多様な死に方」という表現を田村さんがしているのが面白いと感じました。
田村 今は死んだら既存のビジネスモデルを利用するしかないんですよね。うちは親戚が葬儀屋さんというのもあって、死に関するサービスと距離が近いのもあるかもしれないですが、葬儀の形式にしても骨壺ひとつとっても選択肢がない状況を変えたいなと。
母ちゃんは自分の葬儀について、葬儀会社、お弁当、お寺さん、棺桶にはお花ではなくて写真を1枚ずつみんなが入れてほしい、みたいなところまで細かく決めていました。最後に仕掛けて死んでるんですよね。お経が終わったら手品の時によく使われるポール・モーリアの「オリーブの首飾り」をかけてほしいとか。緩急を付けたかったかららしいです(笑)。エンタメとしても成立しているような葬儀でした。
―― それを受け入れる周囲も素晴らしいですね。
田村 「縁起でもない」って考えは母ちゃんにはなかったですね。「あなたたちが大変になるのが嫌だから準備しているんだ」と言っていたので。こういうことをITAKOTOで表現できたら母ちゃんも喜ぶだろうなと。母ちゃんは看護師だったので、自分の意思が反映されないまま死んでいく人をたくさん見てきたんでしょうね。自分が死んだ後の充実感というのは残された人にも反映されていくと思います。本人がやりたい葬儀にすることで、生きている人の感覚を大切にする。そこまで考えていたと思います。
―― 終活のモデルケースというか、理想的ですね。
田村 癌になったことは不幸だけど、死ぬ準備ができるということはプラスに解釈すると言っていました。自分が死ぬまでの算段を付けて、考えられる憂いはすべて取り除いていました。家には下着1枚残していなかったので父ちゃんは全く遺品整理をしなくてよかったんです。本当に、これがモデルケースになればいいなと思います。
「想い」に賛同するスポンサーを集めたい
―― 今、ユーザー数はどれくらいですか?
田村 約1万人です。今は無料で使っている人が多いので、有料で使う人を増やさないとサービスを次の展開に持っていきづらくなります。ただ、この事業に対する何かしらの興味を持っていただける人や企業が最近増え始めています。すぐに利益を生み出す大きなサービスにはならないかもしれないけど、「死」というものをサービス化して日常化できるアプリに関心を持っていただけるスポンサーさんは、もっと探したいなと考えています。
―― スポンサーも含めて、立ち上げ当初とは周囲の反応も変わってきましたか?
田村 はい。興味は深まっていると思います。ただ、僕がなんで遺書に興味を持ったのかまで知ってくれている人は物凄く少ないと思うので、ここから研究もしつつサービスの構築もして、どうやって広げていくかが自分の中のテーマです。
―― 収益化へのロードマップは描いていますか?
田村 ロードマップを描きたいし、その重要性も理解していますが、僕の中では「このサービスが広がってほしい」という想いしかないんです。まずは想いに賛同していただける企業が増えていかない限りは、どんなロードマップを描いても絵に描いた餅になります。今、スポンサードしていただいているところは思いに共鳴して、資金を出していただいています。こうした方々が増えることが、サービスを拡大することに繋がると思っています。
―― 事業内容も大事ですが、最終的には人物を見てお金を出すという投資家はたくさんいます。その点で、スポンサーが増えているのは希望が持てますね。
田村 ありがたいことですし、最終的には預かっているお金をお金の形でバックしていかなくてはいけないと考えています。世の中にないサービスを創って、文化形成のためにお金を使わせてもらって、少しでも多くの人に「死」が身近なものであり、遺書を残すことが人生を豊かにすることにつながる、というのを広めるのが僕の使命だと思っています。
遺書の内容が「願い」から「祈り」へ
―― ご自身でも遺書動画を定期的にアップデートしているとのことですが、内容もその都度変化しているのでしょうか?
田村 端的に言うと、やればやるほど内容は洗練されていきますね。最初は自分の願望から始まるんですが、最終的には祈りに近いものになっていっている気がします。「残された人にこうしてほしい」って願っている時は自分の願望が出てきているんですけど、祈っている時ってどんどん研ぎ澄まされて思考がシンプルになっている気がしますね。受け手のことを考えると、お願いより祈りのほうが重荷にならないと考えるようになっていきます。
―― 宗教家が達観していくプロセスみたいなイメージが湧きますね。
田村 僕は無宗教なんですが、死って誰も分からないから宗教に頼る部分は大きいと思います。自分と向き合うためのアプリにもしたいなと思うんですけど、だからと言って遺書という点も変えたくない。
きちんとマネタイズすることを考えたら、お金をいただいてしっかりと遺書動画を撮ってあげるというのを考えてもいいかなと思います。そういうサービスにすればお金を払った分だけの価値も生まれるし、その人に対して取材もできるし。でも僕はどちらかと言えば、人々が元気で思考がしっかりしているうちに自分で動画を残す方向に持っていきたいので、そちらも諦めたくはないですね。
―― 確かにプロにお金を払う動画だと安心はできますが、フラフープ動画みたいなものは出てこなくなりそうです。
田村 そうなんですよね。ITAKOTOをきっかけに、メッセージを残すことで救われる人が増えれば良いのですが。
―― 事業家としての将来像みたいなものは描いていますか?
田村 もし、遺書だけではサービスが立ち行かないのであれば、葬式をどこにお願いするかとか遺言をどこにお願いするかとか、死んだときのことを何でも相談できる総合商社のようなことをするのも一案なのかなと。いろんなことができるようにすれば、きちんと収益を上げられる展開ができるのかなとも思います。
みんな口には出さないけど死にまつわる不安って結構あると思うんで、「わが社が全部答えます」みたいなサービス提供がゆくゆくはできればいいなと思いますね。「死神」みたいに言われたりするかもしれませんが(笑)。
―― 絶対にそれはイジられるやつですよね(笑)。
田村 そうですね。でも『母ちゃんのフラフープ』に、「本当に避けて通れないことを本にしてくれてありがとう」という反響を頂いていて、死に向き合う大切さを改めて実感しています。僕みたいな人間が死に関するサービスをしていると「死をお金に換えて」って批判されるかもしれないけど、お金に変えてでも後世の人のために不安を取り除きたいなって思います。