今年で創業55周年を迎えるポニーキャニオンは、日本を代表するレコード会社だ。2000年代に入ってからCD/DVDなどのパッケージの売り上げが減少の一途をたどるなか、同社はこの5年で事業の構造改革を進め、コロナ禍においても増益を確保した。そんな変革への取り組みと次への挑戦を吉村隆社長に聞いた。聞き手=武井保之 Photo=佐々木 伸(『経済界』2021年10月号より加筆・転載)
吉村 隆・ポニーキャニオン社長プロフィール
コロナ禍が推進した音楽業界のデジタル化
「直販」を推進しライブはだめでも利益増
―― 音楽ソフト・配信の売上額は、2007年をピークに縮小を続けており、とくにCDやDVDなどのパッケージは半分以下にまで落ちています(※)。音楽産業が大きな転換期を迎えていますが、ポニーキャニオンはどのような取り組みを進めていますか。
吉村 1966年の創業以来、私たちのビジネスはパッケージ事業が中心でした。10年前には、そのパッケージの市場規模は最盛期の半分以下にまで落ちていたにもかかわらず、まだ売り上げ全体の85%をパッケージが占めており、利益に至っては9割に上っていました。市場の縮小傾向を予測していましたが、当時はヒット作に恵まれ、業績も好調だった。その結果、変革のタイミングが大きく遅れることになってしまいました。
私が社長に就任した翌年の2016年からは事業構造の転換を図るべく、パッケージ依存からの脱却を目指すための中期経営計画を発表しました。とくに「直販」「海外」「ライブ」の3つの出口戦略を打ち出し、構造改革と働き方改革をセットにして取り組みました。
―― 21年度の決算は減収増益でした。コロナはどのような影響を与えましたか。
吉村 ライブ事業は壊滅状態となり、21年度の売上高は対前年比24%減の310億円でした。しかし、直販を推進してきたことで、営業利益は15%増の21億円を実現できました。
昨年3月末に、あるアーティストの東京ドームの2日間公演が開催直前に中止になり、当初は会場販売のグッズを大量生産してしまったことでその在庫に頭を抱えました。ところが自社ECサイトの構築とそのためのインフラ整備に大きな投資を行っていたお陰で、全国のファンのみなさまへグッズを直接販売することができ、しかもファンの方々からの多くの要望から追加生産が決まり、5月まで販売を続けて完売しました。
コロナ禍が弊社の事業構造の変革を後押ししていてパッケージ依存から脱しつつあり、昨年はパッケージ売り上げが全体の5割以下になりました。もしライブ事業が通常通り行われていれば、3割ほどまで下がっていたと思います。
社員の意識もデジタル化へ
―― この1年で音楽業界のデジタル化が大きく進みました。
吉村 音楽業界全体に言えることかもしれませんが、レコード会社は長らくパッケージソフトの制作・販売を事業の柱に据えてきましたので、フィジカルからデジタルにシフトするのは容易なことではありません。弊社においても50年以上続いていたパッケージ中心の文化から、社員の意識を変えるだけでもかなり大変でした。
ところがコロナ禍で社内でのデジタル意識が一気に高まり、パッケージだけに頼らない事業構造の転換を4年で成し遂げました。もしコロナがなかったら、デジタルに対する社員の意識、知識、スキルが現在のレベルに到達するには、あと3年かかっていたかもしれません。
またその経緯で大きかったのは、コロナ禍におけるOfficial髭男dism(ヒゲダン)の超大ヒットです。彼らの楽曲がサブスクの聴き放題サービスで数億回再生されたことは、社員全員の意識を大きく変えました。
79年発売の日本の歌謡曲がSpotifyで世界1位に
―― 社員の意識が変わったことで、具体的にはどのような変化がありましたか。
吉村 今までは商材がデジタル化していたのに、主要な宣伝、販促プランが、パッケージ全盛のころからほとんど変化していませんでした。ところが、それではデジタル時代の人たちには響かない。私たちのアーティストの楽曲を各DSP(デジタル配信事業者)の人気プレーリストに入れたり、TikTokやYouTubeなどで注目を集めるための仕掛けが必要でしたが、コロナ前まではどうしても一般消費者の反応や動きを見てから、後追いでの対策が多かったんです。しかし、この1年くらいで社員のデジタルへの意識が高まり、消費者の先回りをすることができるようになってきています。
―― デジタルへのシフトは、海外進出にもつながりそうです。
吉村 1979年に発売した松原みきの「真夜中のドア」が、昨年Spotifyのグローバルチャート1位(全世界再生回数1位)になり、日本の音楽業界に衝撃が走りました。もともと日本の歌謡曲がシティポップとして世界で人気を得ていたなか、インドネシアのYouTuberが歌う「真夜中のドア」の動画がバズって再生回数が跳ね上がり、それに気づいた弊社の社員が後追いでいろいろ仕掛けたことで、大きなうねりになりました。
これまでの音楽業界は、新譜が中心の国内需要がすべてででしたが、デジタルは世界を相手にできます。極端に言えば、国内で売れなくても海外で売れればいいという考え方も成り立つ。しかも新譜、旧譜の区別なく、世界のどこかで聞いてくれた人によってその楽曲が拡散することが起こり得ます。
デジタル時代に向けたポニーキャニオンの戦略
デジタル時代のレコード会社の役割とは
―― コロナ禍では、SNSで自分が歌っている動画を公開する一般人や、新曲を発表するアーティストが目立ちました。誰もが自由に発信できるデジタル時代のレコード会社の役割をどう考えますか。
吉村 レコード会社から曲を出さなくても大ヒットにつながることもありますし、ただ音楽を聴いてもらうだけであれば、今は誰にでもできます。でも、継続的にアーティスト活動をしていくのであれば、ライブ活動ひとつとっても個人では限界があります。音楽の道で将来的にどういう活動をしていくかを考えたときにレーベルに所属する意味は大きい。実際、YouTubeなどネットから出てきたミュージシャンたちの多くが、その後はレーベルに所属しています。彼らを育てていくのがレコード会社であり、それはこの先も変わらないでしょう。
―― 社員の働き方も新型コロナで変わりましたか。
吉村 弊社は数年前から社内のオンライン化を進めてきました。社員のPCや通信機器の整備を行い、2019年には総務省などによる「テレワーク・デイズ2019」に参画し、8月には一斉に在宅勤務を行いました。その後も定期的に在宅業務を実施しましたが、そうした準備があり、コロナの緊急事態宣言中ではスムースに在宅勤務に移行できました。
コロナの早期収束を願うばかりですが、この危機がひとつのきっかけになって弊社は大きく変化できたと言えるかもしれません。事業構造の転換と働き方改革などで、ある意味いい方向に作用しました。ただ、それはコロナ前から事業転換を図ってきたことが大きかったと思います。
企業寿命30年説を超えて次の時代へ向けた道筋を作る
―― アフターコロナに向けて挑戦していることはありますか。
吉村 音楽業界において、とくにわれわれのようなコンテンツを発信する会社がコロナ禍でも安定して事業を継続するには、やはり強いコンテンツを持ち、その権利をどれだけ保有しているかが一番のカギになります。こういう仕事では当たり前のことですが、今はあえてクリエーティブ力の強化を大きく掲げています。
6月1日に中期経営計画を発表しました。その大きなビジョンが「競争から共創へ」。五十数年パッケージ事業一筋といっても過言ではない弊社は、ここ20年は音楽、アニメ、映画を主軸に事業部制を取ってきました。それぞれの事業部がスキルを磨き、クローズドイノベーションで競争することで切磋琢磨しながら事業を拡大させてきました。
ところがこの事業部制が機能したのは、出口がパッケージひとつだったからです。マーケットが変わり、時代の変化がこれまで以上に速くなるなか、社内で事業部が競争し合っていては時代に取り残されてしまう。オープンイノベーションで事業部が共創していくからこそ、時代の変化に対応していけます。
―― 経営者として、これからポニーキャニオンをどうしていこうと考えていますか。
吉村 社長に就任した15年当時は、パッケージ市場の縮小に対し、新たな活路が見いだせていない、このままだと赤字転落になるという状況に苦しみました。最低でも3~4年で変われなかったらその先は厳しい。この会社の存続がかかっていました。
そこから構造改革に取り組みましたが、私が一番に目指すのは持続可能な会社であること。企業寿命30年という説がありますが、それに当てはめると弊社の第1期は1966年の設立から30年後の1996年まで。終わりの10年前から、当時としては画期的な「ビデオレンタル事業への参入」「アニメ制作会社の設立」「音楽事業への投資」を行い、次の30年の礎を作りました。
そして、第2期の30年が終わる2026年まであと5年です。第3期の30年間のために、2026年までに足元を固めなくてはなりませんが、これまでの5年間でその道筋はしっかり作れました。今回の中期経営計画をもとに、今後の5年は新たなコンテンツの開発と収益力の強化を図り、次の時代へバトンを渡していきたいです。