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早期退職に2千人応募でも晴れないホンダの「苦悩」

2040年までに100%EVシフトを宣言している本田技研工業が早期退職を募集したところ、想定の倍の2千人が応募した。内燃機関にこだわるエンジニアが応募に殺到したのかと思えばさにあらず。むしろホンダならではの課題が浮き彫りになった。文=ジャーナリスト/伊藤憲二(『経済界』2022年1月号より加筆・転載)

 

本田技研工業本社

早期退職制度募集に想定の倍の社員が殺到

 「メールを見た時は本当にびっくりしましたよ。添付ファイルを開いてみたら、日付や氏名の部分が空白になった退職願でした」

 ホンダのとある現役ベテラン社員は語る。

 「私は退職したいなどとは考えていませんし、そう受け取られる意思表示もしたことはありません。退職願の書式は私が意思を示し、今後の進路などについて会社と話し合いをし、退職の意向をこちらから伝えてから渡されるべきものではないでしょうかね。それをいきなりメールで送りつけてくるとは――50代後半の人間はとにかく辞めてくれという会社の本心が透けて見えるようで、腹が立ちましたよ」

 このメールは11月1日のもの。ライフシフト・プログラム(LSP)という早期退職制度の対象となる55歳から58歳までの社員全員に一律で配信されたという。

 ライフシフト・プログラムとは、文字通りライフ(人生)をシフト(移行)させることを目的とした制度。ホンダは「ライフステージを次へ移行し、社外で自らの力を発揮していくこと、自分らしく生きるために新たなチャレンジを行うことを希望する従業員に対して、経済的支援や転進サポートを行う」と定義づけている。

 平たく言えば、ホンダの社内でくすぶっているよりは新天地に活躍の場を求めたほうが労働者にとっても会社にとっても幸せという考え方である。

 タテマエとしては単なる早期退職ではなく転身制度なので、退職後の進路が未定、あるいは隠居では認められない。他企業で働く、独立する、親の介護、ボランティア等々、名目は何でもいいから前向きな何かを示す必要がある。会社から制度適用が認められた場合は割増退職金をもらってホンダを去る。

 ホンダは8月、この制度の存在と、1千人の想定に対して2千人超の応募があったことを公表した。これはホンダの日本ディビジョンの従業員数の5%に相当するという。

 希望者が殺到したのには理由がある。今年については本来は58歳までのところ、定年延長組の64歳まで対象を広げたからだ。2022年からは58歳までとなるが、かりに55歳の場合、定年延長を含めると10年分のホンダでのキャリアを棒に振ることになる。転職や独立で大きなベネフィットを得られる見通しが立っているなら別だが、通常は割増退職金くらいで間尺が合うものではない。今後、高齢者リストラはよりタフなものになるのは確実だ。冒頭のメールも人事側が感じているプレッシャーの表れとも受け取れる。

 一方、社員側はライフシフト・プログラムをどう受け取っているのだろうか。この制度が明らかになったときによくみられた論調は世界で競争が激化しているCASE(クルマのインターネット接続、自動運転、カーシェア、電動化)対応のためというもの。

意外と少ない技術者の応募

 今年、八郷隆弘氏の後を受けて社長に就任した三部敏宏氏は「2040年までに世界で販売するホンダの四輪車を100%、バッテリーEVと燃料電池EVにする」と表明している。これから先は縮小、廃止に向かう内燃機関や変速機など従来型技術の研究開発に携わる人材をリストラし、そのぶん電気や通信などのエンジニアを増やし、あわよくば若返りも果たす――という見方である。

 だが、ホンダの技術者はそれについては否定的な見方を示す。

 「よくエンジン屋、ミッション(変速機)屋は不要になると言われますが、実は設計支援ソフトウェアを使った新車開発の実務のプロセスはほとんど同じですし、クルマを走らせるエネルギーを扱うというのも共通で、PCU(パワー制御ユニット)など電子系の仕事もあった。そもそも電気工学、電磁気学の基礎くらいは誰でも大学院修了までにやっています。EVづくりに必要な制御用ソフトウェア、バッテリー作りに必要な電気化学、先端素材創出のための物性化学といった分野については外に人材を求めることになるでしょうが、基本的に人手不足ですから今いる人材も使いこなさないと現場が持たない」

 同業他社に転身する場合、このライフシフト・プログラムが使えず普通の退職になってしまうということも手伝ってか、研究開発部門の第一線では内燃機関や変速機など電動化で需要が縮小していくとみられている分野も含め、応募者はごく少数にとどまったものとみられる。

早期退職に応じたそれぞれの事情

 ライフシフト・プログラムへの応募が多かったのは生産現場や間接部門など、むしろ電動化シフトなどホンダのビジネスの新戦略とは関係ない領域のシニア人材だったと、制度を利用した元ホンダマンは語る。

 「今年に限り64歳まで応募可というのは大きかったですね。年収3年分上乗せという話が報道で独り歩きしていますが、基本的には上乗せは1年分。普通なら後にいい仕事がない限り応募には躊躇するところですが、64歳にとっては会社にはもう来なくていいからお金だけあげると言われているようなものです。私は間接部門でしたが、自分が携わってきた仕事が好きでしたから最後までやり切るつもりでした。ところがコロナ禍でテレワークが基本になったことで、人と直接会う仕事が事実上なくなりました。それでもういいかな、と思ったんです。制度についての見方はもちろん人によってまちまちですが、後の人生の相談に親身になって乗ってもらえましたし、私は最後まで感謝しかなかった」

 もっと消極的な理由で申請したケースもある。パターンのひとつはテレワークになる前から実は社内でやることがなくなってしまっていたという人たちだ。

 「ホンダはやりたいことがやれる社風というイメージを持たれていますが、日科技連などの外部コンサルからは組織運営が官僚的と随分昔から指摘されていました。ところが経営陣にそれを改めようという気が全くない。そのため、みんなサボりたいわけではないのに業務効率が悪いためにやむなく仕事をやっているフリをするということが常態化していたんです。テレワークになって、そんな密度の低い人生がいきなり実感されて……幸い私は経済的には困っていないので、金銭的にはマイナスにはなりますが、別の人生を歩もうと考えたわけです」(本社従業員)

 切実な理由で応募した人もいる。

 「狭山工場(埼玉)を閉鎖して寄居に生産を集約させることになりましたが、寄居は交通の便が本当に悪く、狭山から電車通勤しようとしたら片道2時間以上かかる。クルマで行くにしても片道40キロ以上ですよ。制度の対象年齢で、かつ転身先の心当たりもあるという人の中には転勤を嫌って応募したケースもあったようです」(埼玉製作所の従業員)

 「ホンダは現地生産、現地消費を金科玉条としていたので、零細拠点を世界中に持つという状況に陥っています。そこに社長として派遣される人だけでも80人くらい、その下の駐在員まで入れると数はさらに膨れ上がる。そもそも自分から行きたいという人は少ないですし、治安が悪いなどの理由で女性を派遣するのは現実的でないというところも多々あり、派遣人材は常に不足気味なのです。そのためか、ここに来て会社が(定年延長の)60歳以上でも理論的には派遣可能と言い始めている。いくら何でも60歳になってからそれにアサインされてはたまらないという思いがありました」(業務系の元従業員)

ホンダは自動車メーカーの中で突出して高い平均年齢

 このように、ライフシフト・プログラムはCASE対応、ビジネスチェンジのための世代交代策というよりは、ホンダの歴代経営者が放置してきた自動車メーカーの中でも突出して高い(組合員平均で44・9歳)という平均年齢の問題や、社内に蔓延する潜在的余剰人員問題を解決するための窮余の一策というほうが実態に近い。厳しい見方をすればトップや役員の無策のツケを従業員に払わせるようなもので、手厚いとされる退職金への上乗せもその詫びと考えれば当然の話である。

 とはいえ、積み重なった問題はいつか解決しなければならないもの。ホンダにとって、ライフシフト・プログラムは絶対に失敗したくないところだ。ネガティブなイメージを持たれないよう、ホンダは情報統制を徹底させている。

 通常であれば従業員の退職情報は人事広報に載るのだが、今回はそれが一切なく、「直接聞かないと隣の部署の動向も分からない。適用を受けていよいよ退職という時に自主的にメーリングリストで挨拶を出したらびっくりされた」といったこともあったという。

 今年は2千人超の応募を集めるなど幸先の良いスタートを切ったライフシフト・プログラムだが、高齢化は2千人の早期退職程度で解消されるものではない。難しいのは対象が55歳から58歳までに戻るこれからだ。

 応募者の内訳は公開されていないが、制度を利用した人を含めた複数のホンダの従業員のほとんどが「もともと財産家だったり故郷で農業をやるといったレアケースはあったものの、今回も55歳から58歳の層については制度利用を検討する気配すらなかった」と異口同音に語る。

 現時点ではあくまで転身制度であることを前提とするライフシフト・プログラムだが、社内では遠くない将来、〝実質肩たたき〟に発展するのではないかと警戒する声も上がっているという。果たしてホンダはこの制度で変わることができるか。