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「地方自治体のマネジメントを国政に生かす」―鈴木英敬(衆議院議員)

総選挙で与野党ともに多くの新人議員が誕生した。その中で個性的な一人が県知事出身という自民党の鈴木英敬氏だ。霞が関からの天下り知事はよくいるが、逆のベクトルはそう多くない。鈴木氏はかつて国政に挑戦して敗れたが、その後三重県知事に。そして今回国政へと活動の舞台を移した。知事としてこの2年近く新型コロナと格闘し、住民に最も近い立場で危機管理や経済対策に取り組んできた経験は、国会議員よりも一層厳しく問題解決へ直面したものだった。危機管理は日本政治の弱点とも言われているが、鈴木氏の現場対応が、中央の危機管理の構築に一石を投じることが期待される。(『経済界』2022年2月号より加筆・転載)

鈴木英敬氏プロフィール

鈴木英敬
(すずき・えいけい)1974年生まれ、兵庫県出身。東京大学経済学部卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。2009年衆院選で三重2区から自民党公認で出馬も落選。11年、当時全国最年少の36歳で三重県知事就任、3期を務める。全国知事会地方創生対策特別本部長、危機管理・防災特別委員長、ワクチン対策特別チーム副チーム長等を歴任。2021年三重県知事を退任し、同年10月の衆院選で初当選。

有事対応のためには平時の信頼関係が重要

―― 最初の国政への挑戦で敗れ、その後県知事を経て当選した。今どんな思いか?

鈴木 やはり10年間三重県知事をやらせていただいた経験が大きいです。2009年の衆院選、政権交代選挙で自民党は逆風でした。もしあの時当選していたとしたら、私は改革派官僚などと言われていたから、鼻っ柱の強い、上から目線の国会議員になっていたんじゃないかと思います(笑)。でも、落選して知事として地方という現場を回らせてもらったことで、地方や現場を大切にできる、地に足のついた国会議員としてスタートできるんじゃないかと思っています。

―― 知事時代は新型コロナと格闘の日々だったが、三重モデルはどんな危機管理を実践したのか。

鈴木 新型コロナに対応していく中で危機管理のあり方についてはさまざまなことをやってきました。僕が大事にしていた一つは、平時から有事への切り替えということです。最初に対策本部の前身となる緊急部長会議を開いたのは20年の1月27日で、まだ新型コロナ禍が始まるか始まらないかの頃です。三重県ではまだ感染者ゼロで、愛知県で初めて一人出たときですね。

 そのとき既に経済圏などエリアで対応していく発想があったので、緊急部長会議を開きました。隣の愛知県で感染者が出た瞬間に、これは平時じゃないから有事対応に切り替えようと。その後もエリアという考え方を徹底して、3カ月くらい経ったときに三重県はまだ累計の感染者数が15人でしたが、愛知県と岐阜県で緊急事態宣言が出たので、三重県も独自の宣言を出して、有事への切り替えをやったということですね。物事は最初からこれくらいの課題があると分かっていて、順番に解決するのは簡単なんです。でも感染症もそうだし、風水害、地震津波などはどんどん被害が大きくなる。平時から有事への切り替えをいかに早くするかが大事なことです。

―― 確かに切り替えは機を逸したらもう手遅れというケースが多い。

鈴木 そうです。でも一方で、だからこそ平時から信頼関係を大事にしなければなりません。「有事になったからお願いします」ではなかなかうまくいかない。

 三重県の典型的な例を挙げれば、保健所が逼迫してきて職員が検体を検査場所へ運ぶのがきつくなってきたけれど、運ぶくらいなら車を運転できれば誰でもできる。なので、三重交通に運転を委託しました。そのために、今度はホンダから前の席と後ろの席で空気が流れない車を無償提供してもらいました。平時に三重交通やホンダとの信頼や連携関係があったから、いざというときにできました。

 三重交通は組合も一緒に議論した上で、運転手を出そうということになり、さらに初期症状の感染者も運んでもらうことになりました。

―― それから発信にも力を入れたようだが。

鈴木 もう一つ大事なのがリスクコミュニケーションですね。僕は令和2年度だけで278回記者会見をやりました。とにかく説明することを大事にした。これは政府も反省しないといけないと思いますが、新型インフルエンザ特措法を09年に作った時に、同時にリスクコミュニケーションガイドラインを作ったんですが、今回全く使われなかった。なぜなら、住民に近いということもあって、記者会見の主体は市町村長と書いてあるんです。

 でも、保健所を統括しているのは都道府県で、市町村は情報を集めるのも大変です。にもかかわらず、ガイドラインでは市町村長にやらせるということにしていた。また、何を情報開示すべきなのか新型コロナでは都道府県でまちまちでしたし、全国でリスクコミュニケーションガイドラインを改めて作った方がいいと思います。

鈴木英敬

地方自治体の危機管理の手法を国にも導入すべし

―― 確かに有事の際に大事なのはトップの説明責任や発信。国民の不安や不満はそこが不十分だったから。

鈴木 危機管理でさらに付け加えるなら、責任の所在の明確化と情報の一元化。これは僕が知事になって5カ月経ったときに和歌山と奈良と三重でいわゆる紀伊半島大水害があった。そのときは危機管理体制がほとんどできてなかったんですが、翌年4月から危機管理統括官という副知事級のポストを設けて、災害や職員の不祥事なども含め、組織にとってリスクだと思われる情報をすべて一元化しました。

―― そういう危機管理の仕組みを国にも導入すべきでは?

鈴木 もちろんそうです。国会議員の先生方は実際に現場で指揮をとったことがない人が多いので、そういうノウハウを政府で議論し蓄積できるように、首長経験者だった僕が伝達していければと思います。知事として政府と接してきた中では、官房長官時代の菅(義偉)さんは、平時から有事の切り替えがすごく早い人だったと思います。統括官のような閣僚人事をやらなければと思ったらそれもやりましたしね。

―― 危機管理で国の組織改編も必要ではないか。

鈴木 よくアメリカのFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)の話も出てきますが、権限や予算などをどこまで持つのかについてしっかりした議論が必要です。そもそも今回コロナで苦労した一つは、科学的根拠が少なかったことです。これに対応するには、国立感染症研究所のような組織をもっとしっかりとさせたり、保健所や厚生局を改編したりするなど、とにかく科学的根拠を提示できる組織が危機管理において絶対に必要です。それを自治体も共有できる仕組みを再構築するべきではないでしょうか。

経済活性化に必要な自立性と不可欠性

―― 知事経験を生かした議員活動として具体的に何を行うか。

鈴木 まずは国の政策をもっと地方目線、現場目線にしていきたい。例えば、国はワクチンの3回目を12月から打てますとスタートのことを宣伝する。でも地方からすれば、大事なのは3回目を住民はいつまでに打てるのかということ。つまりいつまでにみんなが打ち終わるのかに関心がある。いつまでに打ち終わるかを示すためには、ワクチンをどのくらい確保するかを明確にする必要があるし、ファイザーやモデルナと交渉して情報を開示しないといけない。地方や現場が大事に思っているのは何かを考えて、政策に転換しなければいけないと思っています。

 2つ目は、令和の日本列島改造論と言っていますが、要は東京一極集中は田中角栄元首相のときから変わっていない。あのときには角栄氏の故郷である新潟から若者が東京に出てきて6畳1間で寂しい思いをして、若者が出ていった地方も疲弊する。それを改善するために道路や新幹線を作っていこうと。発想は間違っていなかったし、インフラも整ったけど、その後も一極集中が止まらない。では令和ではどうするかと言えば、地方の防災減災をしっかりやること、医療体制、子育て教育、デジタル化という4つの分野を地方で充実させることで、地方分散を図っていきたい。

―― 地方の活性化は確かに急務だ。

鈴木 そして3つ目は、日本としての世界における「自立性と不可欠性」を確立していきたい。今やっている経済安全保障の議論は確かに重要ですが、「サプライチェーンを国内回帰させましょう」といった議論は日本の自立性のみに焦点が絞られています。例えば今、中国がやっているのは、中国の不可欠性を高めようという戦略です。部品や素材、レアアースなどによって、他国の経済にとって必要不可欠な存在になっていくという戦略ですね。日本も自立性と共に、ASEANや中国、アメリカとの関係で、例えば特定の部品や素材は日本じゃないとできないといった、世界の中での不可欠性を高めていくことが重要ではないでしょうか。

―― 経済安保という理念は保護主義に走りがちになる。

鈴木 例えば、三重県に健栄製薬という手ピカジェルを作っている会社があって、コロナで消毒液が日本中でなくなったときも供給をし続けました。多くの製薬メーカーには消毒液はあっても、ポンプは中国などで作っていたため生産できなくなったんです。でも、健栄製薬は2003年にSARSが流行したときにポンプ作りを内製化していました。自分が知事の時には、健栄製薬にラインの増設や人材の雇用に関して県単独事業として補助金を出してやってもらいました。これが自立性で、それに不可欠性を加えなければなりません。

―― 不可欠性の具体的なものとしてはどんなものが考えられるか。

鈴木 半導体を例に挙げると、通常のロジックICのところは台湾が先行している部分がありますが、もう少し人材も含めてパッケージでやっていけば日本でもやれることがあると思います。内向きな安全保障に偏る傾向がありますが、そういう戦略をきちんと取っていかないといけません。日本がいてよかった、日本がいたお陰で、というプレゼンスを確立するのが大事ではないでしょうか。

―― 知事出身であることを生かしてどんな政治を目指すか?

鈴木 実は16年の三重県・伊勢志摩サミットのときに海外メディアがたくさん来られましたが、僕にこんな質問があったんです。イタリアのフィレンツェ市長だったレンツィ氏が僕と同じ年齢でした。海外と日本は大統領制と議院内閣制の違いはあるものの、例えばレンツィはフィレンツェ市長をやってから首相になった。アメリカでも州知事をやって大統領になるケースが多い。しかし、日本では国会議員になって雑巾がけして、国会対策やって当選回数を重ねないと大臣や首相になれないけどそれについてどう思うかと聞かれたんです(笑)。それに対してこう答えました。「日本の政治は、地方自治でマネジメントした経験に対する評価がないからだ」と。

 でも、今回の新型コロナで誰が政治をやっても同じではないということがよく理解されたと思います。知事によって人々の生活が大きく変わるということが分かった。地方の現場でのマネジメントが政治行政ではいかに重要で、本質的かという認識を浸透させていきたいと思います。あとは、子どもたちが将来なりたい職業ランキングに政治家が入るような、いい仕事しているなって思ってもらえるようにしたいですね。

鈴木氏に初めて会ったのはもう12年も前のこと。改革派の経産官僚としてテレビ番組で共演したのがきっかけだった。規制改革や政策同士を組み合わせるクリエイティブな発想が印象的だった。いま、岸田文雄政権が進める経済安全保障は国内産業を育てる名目だが、保護主義に陥りやすい。そこに「不可欠性」を唱えて、積極的・攻撃的な世界への関わりを同時に進めるべきという、その組み合わせが鈴木氏の個性を感じさせる。自民党世代交代の旗手として期待したい。(鈴木哲夫)