2018年の訪日外国人旅行者数は3千万人を突破し、インバウンド消費は4兆5千億円を超えた。国内市場が縮小していく日本において、観光産業は生命線だ。しかし、コロナウイルスの出現により厳しい状況が続く。日本の観光産業を支えてきたJTBの山北栄二郎社長に、人材育成について聞いた。(雑誌『経済界』2022年5月号より)
断腸の思いで7千人規模の人員削減を実施
―― 観光業はコロナの影響が大きく、厳しい日々が続きます。
山北 この2年間、世界中の人々の動きが止まりました。改めて交流の大切さを痛感した期間でもあります。当社は、旅行以外にイベントなども手掛けていますが、いずれも多くの人員が関わる業態です。コロナを契機として合理的な組織へと進化するため、関連会社や店舗の集約、人員の削減などの構造改革に取り組みました。コロナ以前は国内外で約2万9千人いた人員は、現在では2万人強になっています。
われわれは観光業の中でも、飛行機や鉄道、ホテル・旅館などのハードの資産を持つ業態ではなく、サービスが事業の中心です、まさに人こそが会社の力。人員削減という経営判断は、断腸の思いでした。
―― 社員への影響はいかがですか。
山北 コロナによる影響は1社で受け止め切れるようなものではなく、考えられない規模でビジネスが消失しました。当然、これから観光産業はどうなってしまうのかという不安を持つ社員もいましたので、通常のモチベーションアップとは次元の違う対応が必要だと考えました。
そこで、まず改めて原点である経営理念「地球を舞台に、人々の交流を創造し、平和で心豊かな社会の実現に貢献する。」に立ち返ることから始めました。2万人規模の社員と思いを共有するためにオンラインツールを最大限に活用しています。例えば当社には支店長やエリア長などの個所長・事業部長や海外グループ会社のトップが全世界で約300人いますが、その全員とOne on Oneミーティングを繰り返し行い、対話を重ねてきました。
われわれの存在価値について全社で議論する中で見えてきたのは、当社は旅行やイベントを手掛けるだけではなく、その先にある感動や非日常の体験を提供する会社であるということです。それならば、例えば旅やイベントの目的に合わせてオンラインとリアルを組み合わせたハイブリッドサービスを提供するなど、別の方法で感動や高揚感をお届けすればいいのではないかという思いに至りました。とにかくマーケットに目を向けて、お客さまのことを考え抜く2年間でした。
―― 社員の育成も変化を強いられたのではないですか。
山北 人の価値こそがわれわれの武器ですから、当社では「人財」と捉え、従来から教育研修には力を入れてきました。コロナ禍においては研修でもオンラインツールを駆使し、2019年度に比べ利用者数が約350%の伸び率となるなど、社員が成長できる場を数多く設けています。
JTBグループでは、目指す「人財」像を「自律創造型人財」と呼んでいます。これは、高いスキルを活用して成果を発揮し、加えて新しい情報やスキルの習得に努め、そして自ら課題を認識し解決に向けて自律的に行動する社員のことです。こうした資質を持った社員の育成に注力することで、常にマーケットを観察し、お客さま視点で思考・行動して課題解決を行う組織を目指します。
―― 逆にマーケットが見えなくなってしまうのはなぜでしょうか。
山北 やはり会社が大きくなればルールが細かくなり、組織に従おうという意識が働きやすくなります。組織内の壁もあるでしょう。加えて、そもそも人間は自己肯定をする生き物なのだと思います。ルールだから仕方がないよねとか、やらない理由を作ってしまう。そんな状況を打破するために、「なんでやねん」と私はよく言っています(笑)。
例えば、もっとお客さまに喜んでもらえそうなサービスを社内で提案した時に、何か理由があってできないと回答があったら、必ず「どうしてですか」と聞いてみる。少なくとも3回は聞いてみる。最初は面倒くさがられるかもしれません。でも、このくらいしないと常識はひっくり返らないんですよ。「もしかしたら違う方法でやればできるかもしれない」。この思考こそ、今求められていることだと思います。
―― 人の成長とは何でしょうか。
山北 マーケットを見る力は、まさにビジネスマンとしての成長だと思います。まずは課題を認識しそこを起点に自分で考え、解決するというサイクルにするためにも、マーケットを観察する力こそが基本。その上で、お客さまの課題を見つけ、そこに解決するための提案をぶつけていく。どんなビジネスでもこれに尽きると思います。
そのためには、幅広い知識や人脈も持っていないといけないですし、情報に対するアンテナも重要です。そして忘れがちなのは実際に動くこと。考えることからさらに一歩踏み込んで実行する。ここまでできて成長だと思います。
―― ご自身はどのように成長してきたのでしょうか。
山北 自分の話は難しいですね(笑)。
ただ、論理思考やコミュニケーションスキルなどの基礎的な力は、学生時代に所属していた英語のディベートサークルで磨きました。旅行会社という仕事の性質上、海外との接点も多く、インターネットが普及する前は現地に直接電話して情報を取ったりもしていましたので、とても役立ちました。
それからもう1つ、入社した時の上司が、個性を重視して自由に任せてくれる人だったことも大きい。上司と入社後に面談をすることになり、私は旅行会社に入ったからには何をすべきかなどいろいろ考えながら臨みました。
ところが、「君の興味があることは何ですか?」という話から始まった。自分は美術や文学が好きだったのでそんな話をしたら、じゃあそれをやればいいんじゃないの?と、新入社員の私が思ってもいない言葉を掛けられました。
そこで自分の個性を生かしつつ何ができるだろうと考え、当時は法人営業を担当していましたので、芸術系の出版社の人と関係をつくったり建築系の勉強会に出入りしたりしました。そのような中で、視察旅行をお願いされたり、ヨーロッパ文学の学会から、関連した場所を巡るツアーの企画を頼まれたりもしました。こうして自分の好きなことを軸にして知識や人間関係を広げることができたのは、その後の成長につながっていると感じます。
他にも20代後半で合弁会社の立ち上げを任されたことも大きなきっかけでした。合弁先であるフランス企業の弁護士と電話で夜中まで必死に交渉をし、何とかまとめ上げました。
今から思えば上司は私をよく見てくれていたのだと思います。私が大きな失敗をしない範囲で自由に泳がせてくれた。そういう環境で実体験を重ねられたのは非常に大きいですね。当時は突然合弁契約まとめてこいと放り出されてかなり驚きましたけど(笑)。
磨き上げた課題解決力が観光立国復活のカギになる
―― 実体験が人を育てるんですね。
山北 コーポレートガバナンスの考え方が私の若い頃と今では違いますから、単純に同じことをしなさいとは言いません。ですが、実体験が人を成長させるのは今の時代でも間違いないと思っています。
コロナが流行してから入社した世代は、なかなか現場でのリアルな体験を積めない日々が続きました。当社は昨年開催された東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会において、選手団の受け入れ対応や選手村の運営などで協力させていただく機会がありましたので、そこに若手の社員ほぼ全員に参加してもらい、大規模な国際大会の運営を肌で感じる機会をつくりました。
もともとJTBグループは、渋沢栄一がパリを訪問した際、世界各国から人が来て活気づく素晴らしい様子を目の当たりにし、鎖国が終わった日本でも外国から人が来てお互いが理解し合うような環境をつくりたいという思いで立ち上げた喜賓会にルーツがあります。喜賓会の漢字にもあるように、とにかく人に喜んでいただくのが思想の根本にあるわけです。
こうした伝統を脈々と引き継ぎ、例え何が起きても最後には「あぁ旅してよかった」と喜んでもらえるようにあらゆる課題解決力を磨いてきたのがわれわれです。
極端な言い方ですが、旅に出るというのはそもそも何らかのリスクを伴いますよね。旅に出た瞬間に事故に遭うこともあるし、病気になることもある。異文化においてはコミュニケーションがうまくいかずさまざまなトラブルに遭うことも。それをあえて経験しようというのが旅の醍醐味なのではないでしょうか。
ということは、旅行会社に求められているのは実はリスクマネジメントだとも言えます。100年以上の歴史を持つ当社の課題解決力はずば抜けて高いと自信を持っています。
―― これから観光業はどう立ち直りますか。
山北 交流は必ず戻る。これは自信を持って言えます。ただ、長らく人の往来が止まり、交流の在り方が見直された時期だったと思います。私たちも、観光産業の在り方を考え直しました。これからは、「発」と「着」を連動させたツーリズムに取り組んでいきます。
これまでも観光業が地方創生に果たした役割は大きかったと考えていますが、どうしてもどこかにお客さまを送り出す「送客」という考え方が強かった。今後は地域と一緒になって「誘客」するという発想を育てていきます。
やはりそれぞれの地域からすると、ただ人が来てくれるだけで良いということはなく、そこで消費し地域経済を潤してもらわなくちゃいけない。さらにリピートしてもらうためには土地の良さをより深く何度も味わってもらわないといけない。訪れる人と、そこに住んでいる人がウィンウィンになる環境づくりをしていくことが必要だと強く感じます。
繰り返しになりますが、交流は必ず戻る。その中で、新しいツーリズムを作り上げていくのが大事だと考えています。
われわれも、自律創造型の人財と組織を磨き、地域経済の活性化、地方創生などに貢献する産業として日本の観光立国復活をリードしていきます。