1980年、創業者・池森賢二氏の「世の中の『不』を解消しよう」という思いから始まったファンケル。以来、無添加化粧品、サプリメントを軸に業績を伸ばしてきた。その高い品質ときめ細やかなサービスは、外国人観光客からも絶大な人気を誇る。社長の島田和幸氏に、ファンケルの人材育成について聞いた。
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人を育て、未来を任せる
―― 外国人にも人気のファンケルにとってコロナの影響は。
島田 正直しんどかったです。私が社長になった2017年からインバウンドの売り上げは右肩上がりで伸びていました。業績にも明確に表れ、18年度、19年度と2期連続で過去最高益を更新し、19年度のインバウンド売り上げは、140億円を超えました。ところがコロナでほぼゼロに近いところまで落ちた。国内でも20年の春は百貨店が休業を余儀なくされ、われわれの店舗もストップしました。ただ、厳しい中でも社員は前向きに頑張ってくれました。
そうしているうちに、東京五輪が1年延期となり、20年の年末にかけてコロナの感染が拡大する様子を見て、これはもう来年良くなるとか、半年我慢すれば持ち直すとか、そういう類のものではないと覚悟を決めました。中期経営計画「前進2023」でも、インバウンド需要は織り込まないと宣言しています。
―― 社長自身の変化は。
島田 改めて人づくりは大事だなと思いました。社長として、ファンケルがこの先もずっと続いていくためには、過去から積み残してきた課題や構造的な問題をすべて自分の代で片付けて、若い人たちに「さぁ俺はやるだけやったからあとは任せたよ」と、どんと遺産を託すことが大事だなんて思っていたこともありました。でも、そうじゃないんですよね。明日のことは明日やるしかないし、来年のことは来年の人がやるしかない。10年先は10年先の人がやるしかない、そう痛感しました。ある意味、何を偉そうなことを思い描いていたのかと気づかされました(笑)。
だから結局は人づくりに尽きる。会社は社長一人では守れないから、末永い成長を願うのなら、どんな変化にも対応してくれる人材を育てることが大事です。
―― コロナ以前からファンケルは顧客接点の強さが際立っていました。
島田 われわれは何を大事にするべきなのか、何を大事にしないといけないのか。それをみんながよく理解しているからでしょうね。ファンケルのビジネスの要は、独自価値の高い製品とお客さまとのつながり、この2つです。無添加化粧品は40年間、サプリなど健康食品は30年近く、研究開発を通して常に高いレベルを追求し続けています。そしてお客さまにはとにかく丁寧にお届けする。ファンケルに入社すると、そうした製品へのこだわりとお客さまとのつながりを強く感じるわけです。この環境が、自然と人の強みを生み出しているのだと思います。
―― 教育制度も充実していますね。
島田 象徴的なのは社内の教育専門機関「ファンケル大学」ですね。これは池森が2013年に経営に復帰した際に作ったものです。当時は、お客さまとの接点になる直営店舗のスタッフや電話のオペレーターのレベルを底上げし、他社と差別化することが主な目的で、全国で1500人以上いる店舗スタッフなどはここで教育を行っていました。その後は、会社の戦略や環境の変化に応じてプログラムを進化させています。特に近年は、新入社員の教育訓練をより密度濃く行ったり、管理職クラス、役員クラスの専門的な研修を実施したりしています。
会社の仕組みとして、教育に特化した機能を持つのは社長としてとても助かります。グローバルに展開を拡大したり、DXを推進したりするような場合、これまでの事業とは大きく環境が変わりますので、現場の実践の中でスキルを身につけているのでは間に合いません。あるいは会社の10年後を見越した人材の育成もなかなか現場の経験だけでは不十分です。そうしたケースで先手を打って人材を育成できるのは、経営的に非常に大きな役割があると思っています。私もとても期待していて、いつも叱咤激励しています。
―― ご自身はどのように成長してきたのでしょうか。
島田 やるべき時に必死に勉強をしたこと。もう1つはたくさんの濃い経験をしたこと。この2つですね。
私は大学を卒業してダイエーに入社したのですが、当時はまさに小売りの雄で、教育トレーニングにも熱心な会社でした。社内の昇格試験のたびに通信教育のテキストを何冊も渡されて、それを3年間隔くらいで取っていかないといけなかった。マーケティングだったり財務経理だったり労務管理だったり、ビジネスマンとして必要な勉強を必死にやりました。知識として役に立つというのはもちろん、それ以上に若いころに学びの機会があったということが重要です。ダイエーの後に勤めたマルエツでは法務部長を任されたのですが、それまで法務の経験すらなかったのでここでもすごく勉強しました。
私の人生は本当にいい仕事をさせてもらったなと思うことが多いんです。ダイエー時代は、中内功さんの秘書を8年間経験しました。ちょうどダイエーが最も華やいでいた時から落ちていく時代です。中内さんは経団連の副会長を務めたり、勲一等瑞宝章も受けたり、まさにチェーンストアというものを日本の産業界に知らしめた立役者でした。しかしその後の歴史はみなさんがご承知の通り。日本経済のバブルははじけ、阪神大震災が起き、ダイエーは一気に下っていきました。あれだけの大企業集団のトップで、愚痴も言わずに頑張っている姿をずっと見ていました。私が言うのもおかしな話かもしれませんが、本当に強い人だったなと思います。
03年にファンケルに入ってからもいろいろありましたね。03年というのは創業者の池森が一度最前線を退いたタイミングで、その後に業績が芳しくなかった10年間があり、13年に復帰することになる。それから池森のそばで仕事をしてきましたが、いろんなことを言うわけです。例えば、インバウンド需要が絶好調の18年の夏くらいに「島田、インバウンドもいいけどいつまでもそればっかりじゃいけないよ、突然なくなるかもしれないよ」なんて。私は自分で上海に視察に行って、中国経済を肌で感じ、インバウンドはもっと大きくなるぞと確信に近いものをつかんでいたこともあり、いやいや何を言っているんですかという感じでした。けど、本当にコロナでなくなった。
もちろん池森は予言者ではないですし、自身が経営の最前線から離れて大所高所から冷静に考えられる立場だったということもあるのでしょうけど、いい時こそ危ないぞっていう創業者の勘みたいなものだったのかなって今になって思います。
こうして歴史に名を残す創業社長のお二人に仕えたのは貴重な経験でした。といっても創業社長のまねはできませんから、近くでシャワーを浴びたというか、空気を感じられたことが私の社長としての姿にも影響を及ぼしているのかもしれません。
社長や社長に近いところのポジションというのは、日常的にいろんなことが起こります。これはどんなに業績がいい会社も同じこと。すると、会社に対する愛情が強くなります。こうした会社への愛情は、人の成長にも大きな役割を果たします。
人間が持続的に成長していくためには、たくましさも、明るさも、知力も気力も体力も必要です。だから、自分のためだけに頑張るのではどこかで限界がきてしまう。自分以外の何かのために頑張るからこそ、人間は大きく成長できる。大事な仲間がいて、大切なお客さまがいて、それまでの歴史があって、そういうすべてのつながりを含めたファンケルというブランドを愛し、自分たちで守っていくんだという思いこそが、成長につながったのかなって思います。
優秀な人材だからこそ危機感を持ってほしい
―― 経営を担う人材の育成は。
島田 ファンケルに優秀な人材が揃っているのは間違いないですよ。ただ、やっぱり中内さんも池森さんもそうだったのでしょうけど、私と同じ立場で経営を考える人がいないから難しいですよね。もちろん組織の構造上、仕方のない部分もあります。事業や部門の責任者を任されると、まずはそっちが優先ですから。でも、気合だけでも私に敵う人はいないと思っています。会社のことを考えている時間も深さも違いますよ、やっぱり。だから後継者の育成は、人材育成の中でも目下の課題です。
社員全体についても、社長になったつもりで考えてくれというのは難しいけれど、もう少し今後の環境変化に対してどういう構えで臨むべきか考えてほしいと感じています。それが何より自分たちのためだと思いますから。ファンケルは、お陰さまでお客さまからほめていただくことも多く、製品にも社員にも自信を持っています。でもだからこそ、社内の危機感は薄いのかもしれません。
だから、もしいつか何かが起きた時に、あぁあの時頑張っておけばよかったと後悔してほしくないから、勉強しておくように口うるさく言っているわけです。必ずしもそれが勉学意欲を高めることにつながらないのが歯がゆいですけど(笑)。
―― これからのファンケルは。
島田 日本の化粧品、サプリメント市場の余地は、全く成長できないとは思いませんが、爆発的な伸びも期待できません。そこで改めて商品の価値を高め、お客さまとのつながりをいっそう強化する必要があると思います。商品の価値は、R&Dをしっかりと行い本質的なモノづくりを極める。お客さまとの接点では、オンラインとオフラインを融合させたOMOを強化していく。これらは他社よりも優位性があると思っているので、そこをしっかり磨きをかけて差別化をしていきます。もう1つ大切なのは、海外展開です。中国向けのECでは、サプリメント、化粧品の第2ブランド「アテニア」、この2つの事業はゼロから始めて約3年間で50億円規模に成長しました。これをもっと伸ばしていくことも今後強化していくところです。
ファンケルは21年に創業40周年を迎えました。事業と人材を育成し、この先もずっと50年、100年と続く企業でありブランドを目指していきます。