ある年齢から上の世代は、「臨調」と聞くと即座に「メザシの土光さん」を思い浮かべる。元経団連会長の土光敏夫氏が会長を務めた第二臨調は、国鉄や電電公社の民営化を実現するなど、「官から民へ」の動きを加速した。その後、臨調は民間主導となり、小選挙区制導入など政治改革に一定の役割を果たしてきた。その臨調が再び結成される。今度の臨調は令和臨調(正式名称=令和国民会議)。この10年の間に日本の国際社会におけるプレゼンスは低下するばかり。その原因は「課題の先送り」にあるとして、課題解決を議論・提言するための組織だ。共同代表の一人、茂木友三郎氏は以前の21世紀臨調の共同代表も務めていた。今なぜ臨調なのか。そしてどんな社会を目指すのか。日本の復興は可能なのか。茂木氏に聞いた。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2022年6月号より)
21世紀臨調に続き2度目の共同代表
―― このほど令和臨調の発足を公表し(正式発足は6月を予定)、茂木さんは経済同友会前代表幹事の小林喜光さんらと共に共同代表に就任します。改めて設立の狙いを教えてください。
茂木 今の世界の大きな流れとして、ポピュリズムの台頭があります。ヨーロッパではポピュリズム政党が議席を伸ばし、アメリカでトランプ大統領が誕生し、国が分断された背景にもそれがあります。
翻って日本では、さまざまな問題が山積しています。もしこれらが解決されない状況が続けば、問題を解決に導く強いリーダーが求められるようになり、それがポピュリズムの台頭につながりかねないわけです。そうなると国民が不幸になりますし、国の将来も危うい。そうならないよう課題を解決していくために、令和臨調ではさまざまな提言を行い、国の施策として実現するよう汗をかきます。
―― 令和臨調発足の共同代表メッセージにはこうあります。「日本の民主政には二つの道がある。第一はこれらが容易に解決できない難問であることを知りつつも事実に即し、知恵の限りを尽くして粘り強く長期にわたって戦い続け、未来に対する責任を民主政の矜持をかけて果たし続ける道である。第二はかつての経済成長の余剰幻想を引きずりながら眼前の安楽にその都度身を任せ、自己満足のうちに時間を費やすことである。これは日本型ポピュリズムというべきものの一変種に他ならず、世界から忘れられたアジアの一後進国への転落の道である」。この言葉からも強烈な危機感が伝わってきます。それだけに提言するだけでなく、実現することが求められます。
茂木 そのためには、同じ志を持つ政治家とも議論をし、われわれも政治家の改革推進をサポートしていくように交流組織を立ち上げたいと考えています。さらには都道府県知事や市町村長、マスメディア、そして学生たち若い世代にも議論に参加してもらい、全国民的な運動にしていきたい。
―― 臨調というと、1980年代に土光敏夫さんが率いた第二臨調(臨時行政調査会)が頭に浮かびます。それによって国鉄や電電公社の民営化が実現しました。第二臨調は政府の諮問機関でしたが、92年には民間主導による民間政治臨調(政治改革推進協議会)が発足し小選挙区制導入を提言、2003年には21世紀臨調(新しい日本をつくる国民会議)が各政党に選挙時にマニフェストを明示するように求めています。茂木さんは21世紀臨調でも共同代表を務めていました。
茂木 小選挙区制もマニフェスト選挙もいずれも実現しました。その結果、2000年代には政権交代も現実のものとなりました。このように、過去の2つの民間主導の臨調は、一定の成果を出すことができました。そこで、しばらく休止していたのですが、4、5年前から、このままでは日本がおかしなことになるという話や「もう一度臨調が必要だ」という声が、経営者や学識者、労働界幹部などから届くようになってきました。そこで準備をしてきたのですが、コロナ禍でなかなか進めることができなかった。ここにきてようやくスタートさせることができました。
―― 具体的にはどのようなテーマを取り上げるのですか。
茂木 令和臨調には3つの部会があります。第1部会は「統治構造改革」です。これまでも政治改革はやってきましたが、制度疲労を起こしているなど、まだまだ改革しなければならない問題はたくさんあります。平成の政治改革を検証しながら、令和の改革に取り組みます。
第2部会は「財政・社会保障」。土光さんの臨調は「増税なき財政再建」を掲げていましたが、今は当時よりはるかに厳しい状況です。経済は停滞が続くなか、少子高齢化により社会保障費は膨らむ一方です。これを何とかしなければなりません。
第3部会は「国土構想」です。日本の国土や地域社会をどうしていくのか。これまで中央と地方の関係については、地方分権をどう進めるかという議論が主流でした。ところが今、人口減少が猛烈な勢いで進んでいます。そうした時代には、地方分権も大切ですが、それだけでは問題は解決しない。令和の時代にふさわしい新しい国土のあり方を討議します。
第1部会は新浪剛史さん(サントリーホールディングス社長)と秋池玲子さん(ボストン・コンサルティング・グループ日本共同代表)、第2部会は平野信行さん(三菱UFJ銀行特別顧問)と翁百合さん(㈱日本総合研究所理事長)、第3部会は永野毅さん(東京海上ホールディングス会長)、山田啓二さん(京都産業大学教授)、板東久美子さん(元消費者庁長官)のみなさんが共同座長を務めます。
令和臨調の正式発足は6月ですが、発足前から各部会とも何回か会合を開く予定です。年内には最初の提言を出したいと考えています。
バブル後遺症でリスクが怖い経営者
―― コロナ禍は、さまざまな点で日本が世界から遅れていることを如実に示しました。その原因は、発足に向けた会見の時にも語られていた「先送り主義」です。なぜ日本は抜本的な解決ができないのでしょうか。
茂木 それが一番楽だからです。何もしなくても当座は問題がない。だから後のことは考えず、楽な道を選んでしまう。でもその結果が日本の地盤沈下です。
つい10年ぐらい前まで日本は世界第2の経済大国で、40年ほど前には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われたこともありました。それが今や中国に抜かれて3番手。アジアの中でも、国民1人当たりのGDP(購買力平価)は、シンガポールにははるか以前に抜かれていますが、最近は韓国や台湾をも下回っています。ステータスがどんどん下がっています。
かつて日本はアジアの人たちにとって大きな目標であり、あこがれの存在だったわけです。10年前と今では雲泥の差です。それも原因は問題の先送りです。ですからこれからは課題があればできるだけすみやかに解決する。そういう意識を持つことが必要です。
―― まだ間に合いますか。
茂木 間に合うと思います。
―― 状況は厳しいです。アメリカを筆頭に世界各国が金融引き締めに向かう中、日本は膨大な国債を発行していることもあり、金利は低いままです。そのため円安が加速し、それにロシアによるウクライナ侵攻が加わったことで原油など資源価格が高騰しています。このままではスタグフレーションになりかねません。財政出動にも限界がある。どうすればいいのでしょう。
茂木 令和臨調で英知を結集してもらいます。ただ、岸田政権が進めようとしている新しい資本主義の方向性は、アメリカ、ヨーロッパも新自由主義から転換しつつあるように、時宜にかなっている。
経済には大きな波があって、自由競争が行き過ぎて格差が拡大すると、それを是正する方向に動きます。でもこれをやり過ぎると今度は経済が停滞してしまうため、経済活性化策へと舵を切っていく。このサイクルの繰り返しです。
問題はこの30年間、新自由主義を進めながらそれほど成長できなかったことです。アメリカを筆頭に、日本以外の多くの国が成長してきました。その結果、GAFAのようなメガプラットフォーマーも誕生した。そして今度は新自由主義の見直しに入っています。つまり経済好調下での方針転換です。ところが日本の場合、小泉政権時代やアベノミクスで景気は上向きましたが、それでも海外に比べると伸びは小さい。つまり日本は、経済がそれほど活性化していない中で新しい資本主義に向かわざるを得ない。条件が厳しいことは事実です。
日本がこれだけ低成長になったのはバブル経済が崩壊したことが大きい。これが経済だけでなく、人の心にも大きな傷をつくりました。それ以降、日本人はリスクを取ることを極端に恐れるようになってしまった。バブルがなぜ起きたかというと、ほとんど実態のないようなものにまで投資をしていたからです。ところがバブル崩壊後は正常な投資にまでブレーキがかかってしまった。それがいまだに続いています。バブル時代、課長ぐらいだった人たちが、今、経営トップに就いています。この人たちの脳裏にはバブル崩壊の恐ろしさが染みついています。それがリスクに対して臆病にさせている。
でもその次の世代の人たちは、バブル時代まだ新人社員や学生だったから、それほど深くかかわってきていません。バブルの怖さを知らない世代です。知らないから、再び過ちを犯す可能性もゼロではないけれど、思い切った投資もできるということです。リスクを取ることを恐れない。こういう世代がまもなく会社を動かすようになってきます。そうなれば、再び経済が大きく動きだすかもしれません。その意味で、40代、50代の人たちが活躍できるような社会になることを期待しています。
さらに言えば、その下の世代の人たちも楽しみです。私は日本の公共人材を支えリーダーシップの涵養や人材・知・経験の交流に取り組む日本アカデメイアの常任塾頭を務めています。ここにはジュニア・アカデメイアという大学生・大学院生が政策提言をまとめるプロジェクトがあります。彼らに接していると、本当に優秀でユニークな若者が多いことに気づきます。少し前までは、優秀な学生の多くは官僚になっていた。それが最近では起業する学生も増えています。もちろん官僚になって国を支えることも重要ですが、さまざまな分野で活躍したほうが社会は活気づく。ベンチャー経営者として日本経済に寄与するとともに、社会貢献活動も行っていく。
87歳の経営者を動かした危機意識
―― 茂木さんはこの2月に87歳になりました。土光さんが臨調会長に就任した時が85歳ですから、それよりも年上です。しかも2018年には文化功労者にも選ばれています。いわば功成り名を遂げたにもかかわらず、いま改めて日本の改革に立ち上がろうというバイタリティはどこからくるのですか。
茂木 危機意識です。やはりここで黙っているわけにはいかないという思いです。戦後経済とともに生きてきた経営者として、昔のような活力ある日本を取り戻さなければならないという責任感もあります。それにわれわれの世代の方が、しがらみも遠慮もないから思い切ったことを言えるし動きやすい。
確かに難しい問題はたくさんあります。しかも、人口減少も含めて世界のどこにもモデルケースがありません。それを日本がつくっていく。日本は課題先進国です。でもそれを乗り越えれば課題解決先進国になる。そうなればかつてのように日本が世界でリーダーシップを発揮できるようになるのではないでしょうか。