1922年に創業し、繊維、ケミカル、住宅、建材、エレクトロニクス、ヘルスケアと、事業領域を拡大してきた旭化成。財閥に属さず一身独立した姿から、時に「野武士」とも称される同社は、創業100年の節目を迎えた今年4月、社長が交代した。新社長は、発祥の地・宮崎県延岡市出身であり祖業の繊維畑を39年間歩んできた工藤幸四郎氏。野武士集団を率いるトップが語ったのは、変化への強い思いだった。聞き手=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2022年8月号より)
繊維事業の歴史から変化の必要性を痛感
―― 就任発表会見で「ポートフォリオ変革は待ったなし。経験を踏まえ、強いリーダーシップで当たりたい」と語るなど、「変化」に関する言葉を多用されていたのが印象的です。
工藤 いま、「世界的な日本企業、特にメーカーはどこですか?」という質問があった場合、恐らく名前がよく挙がるであろう企業には、いくつか特徴があると思います。
ひとつは、倒産に近しい経営的な危機を乗り越えた経験があること。もうひとつは、オーナー家を含めて強烈なカリスマ経営者がいること。もちろん先ほどの質問で答えに出てくる企業のすべてが、その条件に当てはまるとは思いませんが、そのような傾向があると考えています。
対して旭化成は、お陰さまで会社が倒産しかけたり、分割の危機に瀕したりという経験はこれまでありません。また、カリスマ経営者がいるわけでもないですし、オーナー家でもありません。
これらが悪いことだと言っているわけではありません。われわれも、2022年3月期の決算で売上高は2兆4613億円となり過去最高を更新、営業利益は2026億円にまで成長してきました。知名度も、国内ではそれなりにあると思っています。
ただ、そうした半面、どこか変化への意識が薄くなっているのではないだろうかと懸念しているのです。
―― これまで大きな危機がなかったということは、大きな変化はせずに従来通りのやり方を維持していけばいいのではないでしょうか。
工藤 絶対にダメです。大きな危機なくやってきたと申しましたが、その裏ではいろんなことがあったのも旭化成の歴史です。
例えば私は、1982年の入社以来、繊維事業と共に歩んできました。繊維は旭化成の祖業ともいえる事業です。繊維には一般的に汎用合繊と呼ばれるナイロン、ポリエステル、アクリルという素材があり、それらを扱っているのが合繊メーカーの証しと言われてきました。しかし旭化成はこれらすべてで撤退を余儀なくされています。この他にも繊維の素材として代表的なレーヨン事業も手放すことになりました。どれもが決して積極的な撤退とは言えず、苦渋の決断を下して手を引いてきました。
これらの事業は、私が自ら畳んだわけではありませんが、上司や先輩が事業を閉めていく様子をそばで見てきましたし、その空気を肌身で感じてきました。
ですから、今まで稼いできた分野が、これからもずっと儲かるとは限らないことを、社内では特に強く実感しているつもりです。現代においては、GHG(温室効果ガス)の排出や、その排出量に応じてコストを負担するインターナルカーボンプライシングなど、事業の外部環境も日々変化しています。そのような中で、今後も絶えず利益を生み出し、成長を続けていくためにも変化への感覚は鋭く持っている必要があると考えています。
―― 事業ポートフォリオを変えるような変化もあり得ますか。
工藤 時には大胆な変化も必要になるかもしれません。旭化成は創業以来、事業ポートフォリオを組み替えながら成長を続け、創業100周年を迎えました。現在は、マテリアル・住宅・ヘルスケアの3領域経営です。
100年の歴史で事業ポートフォリオの姿が変わってきた背景には、常に旭化成がどういった形で世の中の役に立てるかを考え抜いてきた、1年1年の積み重ねがあります。
われわれの創業者は野口遵(のぐちしたがう)という人物ですが、野口氏が、100年続く、あるいはもっとその先も続く企業にしようと考えて事業を始めたとは思えません。5年先、10年先の日本には一体何が必要なのか。常にそうした考えで事業を行ってきたはずです。その積み重ねの結果が、100年の歴史であり、いまの3領域による経営です。
ですから、大切なのは事業ポートフォリオを組み替えるのか否かということではなく、今の世の中に旭化成はどのような貢献ができるのか、われわれの存在意義を常に問いながら経営をしていくことだと思います。
とは言え、現在の3領域による経営は、すごく良いバランスだと思っています。事業ごとに好調、不調の波があってもお互いに補い合うことで安定感を保てますし、それぞれの領域がシナジーを生み出す意欲にあふれています。また、領域間に横串を通す経営基盤についても、多彩な人材の育成や豊富なデータの収集が進んでいます。
―― 事業が幅広くコングロマリットディスカウントしている懸念はありませんか。
工藤 具体的にどれくらいディスカウントされているかは別にして、コングロマリットメリットと評価くださっている投資家の方はまだ多くはいらっしゃらないと認識しています。これからディスカウントを改善するための経営をシンプルに実行していきます。
しかし、われわれが提示する一つの答えですべての株主の方々に満足していただくことはなかなか難しいと考えています。最終的には実績でお示しするしかありません。ここで言う実績とは、まず何より3領域どれもが成長するということです。加えて、人財や知的財産、関連するデータの蓄積など経営基盤を、すべての事業が活用し切ること。そして、3領域間のシナジーが生まれていくことです。
―― 22年から24年までの中期経営計画「2024 ~Be a Trailblazer~」の中では、30年をめどとする長期的なビジョンも提示しました。
工藤 今回、30年近傍までの計画を立てた理由は、世の中が大きく変化する中で長期視点の目標をはっきりさせることが、目の前の戦略を明確にすることにつながると考えたからです。
30年近傍までの長期計画では、21年度にグループ全体で約2千憶円だった営業利益を、2倍の4千億円規模にまで伸ばすとしています。それぞれの事業から上がってくる計画を単純に合算したところ、グループ全体の営業利益が5千億円規模になるという計画になりました。それくらいすべての事業が成長する気概にあふれています。
現実的には、どの事業にどれくらい投資するかを検討し、メリハリを利かせる必要がありますので、その結果として営業利益目標が4千億円という数字としました。数字だけを見ると、約10年間で2倍にするチャレンジングな計画になっていますが、決して絵空事ではなくプラクティカルな数字です。それぞれの事業の個性を生かして、この目標に向けて進んでいくつもりです。
多彩な事業の特徴は資本効率で判断する
―― 21年度のグループ全体の営業利益が約2千億円。事業ごとの内訳を見ると、その10%にあたる200億円以上の営業利益を稼いでいる事業が6つあります。多彩な事業ポートフォリオを管理する要諦は。
工藤 旭化成は幅広い領域で事業を展開しているため、事業ごとに個性が大きく異なります。例えば、在庫を多く持つ事業もありますし、無形資産を中心に効率良く稼いでいる事業もあります。また事業ごとに歴史もさまざまです。
そのため事業の状態を把握する指標として用いられることが多い、売上高や営業利益、利益率に着目すると、事業間の比較が難しいという課題がありました。
そこで、幅広い事業を比較するために特に有効だと考えている指標がROIC(ロイック)です。これは投下した資本に対してどれだけ儲けを得られたかを測る指標であり、一般的には、「税引き後営業利益」を「投下した資本」で割って算出します。つまり、どれだけ利益を上げたか測る指標ではなく、事業の効率性に着目しているのがROICのポイントです。
―― ROICを重視した経営は、事業の現場としては馴染みが薄い単なる管理指標になりませんか。
工藤 確かにROICは投資家の方々が重要視する指標です。私も長く事業側にいましたから、そうした懸念はよく分かります。ただ、こうして経営する立場になったから、「株主さんが重要視する指標をもっと大事にしていこう」と言っているのではありません。投資効率は事業を行う現場にとっても自分たちの課題を明確にするために重要な指標です。
先ほどROICは税引き後の利益と投下した資本で算出すると申しました。これらの項目はさらに分解することができます。例えば、税引き後の利益は、営業利益と税金に分解できます。さらに営業利益は、売上高、売上原価、販売費、一般管理費等に細分化して考えることが可能です。投下資本の方も、有形固定資産、無形固定資産、運転資本等に分解できます。
こうして構成する要素ごとに細分化しツリー状にすることで、各項目の因果関係を示すことが可能です。すると、資本効率を上げるためには在庫を減らすべきなのか、それともまず利益率を改善させるべきなのか、あるいは工場の稼働率を上げることが重要なのかなど、事業の改善すべきところがひと目で分かるようになります。
これらは実際に旭化成グループが用いている項目ということではなく一般的な説明ですが、このように指標を因数分解していくと、徐々に財務的な数字と現場の戦略が馴染んできます。となれば、ここからは事業の責任者の腕の見せ所。自分たちの事業の効率が悪い部分を解消させていけばいいのです。
また、24年までの中期経営計画では、1兆円を超える投資を行っていく予定です。水素関連や北米・豪州住宅、バイオ医薬製造プロセス関連などの次の成長をけん引する10の事業に約6千億円を投資します。積極的な投資でレバレッジをきかせていくことを打ち出していますから、そういう意味でも投資効率を重要視することは大切になってきます。
良い文化を継続する努力こそ旭化成の特徴である
―― 39年間、事業畑を歩んできて、21年から経営企画、今年4月から社長となりました。とまどいのようなものはありませんか。
工藤 細かいことを言えばたくさんあります。事業部にいた時は大阪にいましたので、明るくジョークも交えながら自身の想いを伝え従業員の本音を引き出し、ベクトルを合わせていきました。そのノリのまま東京でボケてみても、みんな静かに仕事をしていて誰も突っ込んでくれません(笑)。まあ、これは半分冗談ですが。
21年にコーポレート部門にきてからの1年間は本当に勉強することばかりで、すごく凝縮した時間を過ごしました。自分が歩んできた事業を客観的に見ることができたのも新鮮でしたし、事業にいるときには見えにくかったコーポレート部門のメンバーがどういう思いで働いているのか知れたことも大きな経験でした。
事業部門もコーポレート部門もたくさんの人間が働いています。それぞれが「自分がしっかりやらないと会社はうまくまわっていかない」という責任感で働いています。そういうことを改めて目にすることができた貴重な時間でした。
―― 工藤社長が思う旭化成らしさとは何でしょうか。
工藤 私自身は旭化成一筋ですので他社との比較ができませんが、社外の方からよく言われるのは、旭化成はコミュニケーションの垣根が低いということです。旭化成では社内でお互いを呼び合う時に、肩書ではなく「さん」付けで呼び合うことも影響していると思います。私も入社以来、「〇〇部長」「〇〇社長」とは呼んだことはありませんし、呼ばれたこともありません。メールでも「さん」付けです。
ただ、こうした文化はもちろん旭化成らしさだと思いますが、本当に価値ある「旭化成らしさ」というのは、いい文化を維持しようとみんなが努力することだと考えています。企業の特徴、組織の文化というのは、少し気を抜くと薄れていってしまうものです。それがどれだけいい文化であっても、です。気が付けばあっという間にコミュニケーションの垣根は高くなってしまうでしょう。
ですから、いざ社長になってみて、文化を引き継いでいく大切さを実感しました。こうした旭化成らしさは引き続き磨いてきます。良い部分は残しながらも、基本的には自分なりに考え、野武士らしく「何するものぞ」の気概で思い切って変化する旭化成でありたい。それこそが私の使命でしょうから。