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メタバースは人間の能力を最大限に高める空間になる 東京大学先端科学技術研究センター 稲見昌彦

特集_稲見昌彦

稲見昌彦氏は、人間と機械・コンピューターが一体となり人間の能力を拡張する「人間拡張工学」の研究・開発に取り組んでいる。メタバースプラットフォームを提供するクラスターが2021年11月に設立した「メタバース研究所」にも協力している稲見氏に、現実世界とメタバースが共栄するビジョンを聞いた。聞き手=萩原梨湖(雑誌『経済界』2022年10月号より)

特集_稲見昌彦
稲見昌彦 東京大学先端科学技術研究センター
身体情報学分野 稲見・門内研究室教授
いなみ・まさひこ 東京大学大学院工学研究科先端学際工学専攻博士課程修了。JSTさきがけ研究者、電気通信大学知能機械工学科教授、マサチューセッツ工科大学コンピューター科学・人工知能研究所客員科学者、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授などを経て、2016年4月より現職。

現実世界とメタバース、どちらが自分に向いているか

―― 稲見さんの研究内容とメタバースとは、どのような関係があるのでしょうか。

稲見 まず、メタバースの基盤となるものにバーチャルリアリティーというものがあり、私の研究はそのバーチャルリアリティーと密接に関係しています。

 バーチャルリアリティーとは、現実世界と異なる、人工的な環境のことです。私が身体の研究をするにあたっては、個人による環境の差異をフラットにする必要があります。対象者が全く同じ環境で同じ動作をするということは難しく、研究内容に合わせて現実世界を作り変えようとすると膨大なコストがかかります。メタバース上の空間で、誰もが同じ環境で同じ体験をできる、という意味でバーチャルリアリティーは大いに役立っています。

 例えば、われわれはメタバース上でけん玉の練習をするソフトを開発しました。このソフトを使うと、スローモーションの世界でけん玉の練習をすることができ、ボールの軌道や回転の仕方、カップを持ってくる位置、腰の落とし方などをゆっくりと確認することができるわけです。コツをつかんだらだんだんと速度を上げ、繰り返し練習すると最終的にはけん玉の技術を習得できるという仕組みです。

 これは、現実世界ではできなかったことがメタバース上でできるようになったという例です。そういう意味では現実とまた違った得意不得意を作ることができるかもしれないし、いろいろ試せるというのがメタバースのいいところだと思っています。

―― 現実世界での可能性を広げるためにメタバースを利用する、ということでしょうか。

稲見 今のところはそのように、現実世界で価値を生み出すことが目的で使われることが多いかもしれません。しかし、いずれは現実世界に価値を転嫁しなくてもよいと考える人が増えると予想します。

 今われわれが仕事や生活をしているのは、どちらかというと現実世界がメインですが、オンライン会議の延長としてメタバース内で仕事をするようになったり、メタバース上で新しいものや作品を作って商売したりと、現実世界とメタバースの比重が変化してくると思います。ビデオゲームを使って対戦をするeスポーツのプレーヤーが非常に稼いでいるように、メタバースの中で価値を作って、その中で経済行為をしていく、という事例は確実に増えていきます。

―― 現実世界とメタバース、どちらに軸足を置いて生活するべきでしょうか。

稲見 それは、自分に向いている方を選べば良いと思います。

 現時点における現実世界とメタバースの関係性というのは、都市と自然の関係性に似ています。都市で仕事をし最先端を行く人と、仕事数は限られますがのびのびと田舎で生活する人、どちらを好む人もいて、すみわけができています。現実世界とメタバースの関係性もそのまま当てはめることができ、どちらがいらない、という話ではありません。

 また現実世界での不自由がメタバース上では全く関係なくなる場合もあります。足が不自由で普段あまり外出しない人がメタバースの中だと足を使って移動する必要がないので障害の有無にかかわらず活躍することができます。耳が不自由という方がいても、それは物理世界における大気中でのコミュニケーションに伴う障害のため、メタバースの中なら関係ありません。

 現時点でも、話した言葉をリアルタイムで字幕にする技術があります。さらに進歩したら、チャットでのコミュニケーションが自身の音声で読み上げられるようになる可能性もあります。そうなったときには現実世界で不自由を感じていたこともメタバースの中であれば自由になるということです。

 現実世界とメタバース、どちらが向いているか、というのは人によって、あるいはその人の状況によって変わるので、本人がどちらに比重を置きたいかを選べる、ということが大切なんじゃないかと思います。

人間はいつの時代も頭と体を動かしてきた

―― メタバースでの生活が主流になり、体を動かさなくなった場合、不要な身体機能は失われていくのでしょうか。

稲見 そんなことはありません。確かに日常生活で体を動かす機会は減りますが、別の形で運動をするようになります。

 一説によると、一般の人が趣味でスポーツをしたり、オリンピックのようなスポーツ大会が広まったのは、産業革命後だったそうです。産業革命が起きる前は、力があり長く働けるというのが経済的な価値に直結する、いわゆる体が資本の時代でした。産業革命が起き、あらゆる作業が機械で行えるようになったことで、肉体的な能力の差異に経済的な価値が付かなくなり、体を動かすことがエンターテインメントとして楽しまれるようになったそうです。

 その次の段階では、情報革命が起きあらゆる情報をコンピューター処理するようになったことで、頭脳を働かせることがエンターテインメントとなりました。eスポーツと呼ばれるビデオゲームを使った対戦や、競技用プログラミングなどの競技人口は増えています。

 もしメタバース革命があるとしたら、コミュニケーションが今よりももっとエンターテインメント性を持つことになるでしょう。接客などの「感情労働」は接客する側にはストレスとなることもありますが、エンタメとしてメタバース内で接客を伴うようなサービスも行われつつあります。

 恐らく対面のコミュニケーションは、冠婚葬祭など、コストをかけてコミュニケーションを行ったという実績が重要なものに限られ、それ以外はメタバースをはじめ情報メディアを介したものになるだろうと想定しています。

―― どんなにメタバースが浸透しても、肉体を維持することは変わらないということでしょうか。

稲見 その通りです。私が死んでも、他者から見てコンピューターの中で生きながらえているように見える、というのはいずれ起こりうることです。しかし、私が主観的にコンピューターの中で生きているんだ、と実感することはないでしょう。

 そのような意味では肉体は一つですから大切にしなければなりません。つまり今後は医療やガス、電気、水道など、肉体を支えるサービスは今以上に重要になります。今は人流や仕事の多い場所に人が集まりますが、メタバース上で仕事ができるようになると状況は変わります。必然的に、人を移動させる交通インフラよりは、肉体を支えるライフラインやインフラとしての医療を強化することの方が重要になるでしょう。