経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

求められる世界観の統一 30年後のメタバースのために ドワンゴ 夏野 剛

夏野氏

「ネットの高校」として知られる角川ドワンゴ学園N高校・S高校の6千人規模のメタバース入学式は記憶に新しい。しかしビジネスに限らず教育分野でも仮想空間の活用が期待されている中で、いまだ技術的な制約はある。メタバースの限界と可能性を夏野剛氏に聞いた。聞き手=金本景介(雑誌『経済界』2022年10月号より)

夏野氏
夏野 剛 ドワンゴ社長CEO
なつの・たけし 1965年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、東京ガス入社。95年米ペンシルベニア大学経営大学院ウォートン校でMBA取得。NTTドコモ執行役員を経て、2019年ドワンゴ社長に就任、21年にはKADOKAWA社長に就任。近畿大学情報学研究所長・特別招聘教授。

デバイスの進化なくして人口への膾炙はならず

―― メタ社のソーシャルVRプラットフォームもスタートしましたが、同社は2014年のVRゴーグル端末を開発するオキュラス社の買収をはじめ、メタバース世界の実現に向けて着々と準備してきた印象があります。世界中で期待感が膨らみ、猫も杓子もメタバースに取り組んでいるような状況です。

夏野 アバターを通して会話をするメタ社のザッカーバーグ氏によるプレゼンは、人の心を打ったようには見えませんでした。なぜかといえば、そこに「世界観」の共通化がないからです。

 アバター同士でコミュニケーションを取るメタバースを実現するには世界観のすり合わせが重要となります。これを実現しているのが「フォートナイト」や「あつまれどうぶつの森」といったゲームの世界です。なぜゲームがメタバースと似通ってくるかといえば、プレーヤー同士が同一の世界観を共有しているからです。画面が小さく没入しづらいスマートフォンの画面でも世界観を共有できれば障害にはなりません。

 しかし、メタ社が実施する「フェイスブック」のメタバース化の試みは、各人が共通の世界観を持たないままコミュニケーションをメタバース上で取ろうとするので、なかなかその世界に入りきることは難しい。そのため、それらのメタバース世界には没入感に優れたヘッドマウントディスプレイ(HMD)が必要になります。いまだ世界観の共有化ができていない、ゲーム世界とは異なるメタ社のメタバースのためにはHMDが必要不可欠ですが、そもそもより軽く、解像度が高く、安価で、装着感が優れたものが出てこない限り、メタ社のメタバースは受け入れられにくいです。そして現行のHMDでは、装着したまま何時間も仮想空間に浸るというのはかなり難しいでしょう。

 つまり以前から成立していたゲーム世界上のオンラインコミュニティ以外では、依然としてメタバースの実現には時間がかかりそうだというのが現状だと思います。

―― 多くの企業がビジネスでの活用を掲げています。メタ社に関しても「Slack」や「Zoom」などのビジネスアプリをメタバース世界と連携させ、仮想オフィスを普及させるべく努めています。

夏野 メタバースをビジネスに活用する世界にはまだまだ到達していません。

 関連会社のバーチャルキャストではHMDを通してアバター同士で会話するためのプラットフォームを提供しており、この分野には知見を積み重ねてきましたが、やはり現在のHMDは長時間の使用に耐えうる仕様ではありません。一般ユーザーの利用には目的を明確化して活用することが非常に重要だという結論です。

―― やはりデバイスの進化、実用化が焦点となるのですね。

夏野 そうです。現状のHMDは重くて高くて不便。まずこの技術的問題が解決されなければいけません。最終的には、脳に直接電気信号を送ることによりHMDを装着しなくても、脳にイメージや映像が浮かぶという世界が30年後には実現するのではないでしょうか。SF的世界の言葉でいえば電脳通信ということになりますね。

 ただ、そこまでいくのに、今のメタバースを取り巻く状況では難しい。現状では、一部の限定的用途で活用していくことが現実的です。

メタバースの教育の可能性。アバターの利点

―― メタバースは教育分野でも応用が可能です。N高・S高では今年4月にはメタバース上での入学式を実施しており、授業でも日常的にHMDを活用しています。

夏野 メタバースを活用した入学式がメディアに取り上げられましたが、メタバース空間を常時開放しているわけではありません。あくまで、より実用的な目的でバーチャル空間を使用しています。例えば、VRを活用した授業は有効です。圧倒的に学習効率を上げることができます。ここでもメタバース入学式と同じように6千人以上の学生が、HMDを活用した授業を受けています。分子の構造や、ローマのコロッセオなど学習に関連したビジュアルイメージも3Dで確かめることができます。もちろん、ノートを取る時はHMDを外しますが、目の前のスマホやパソコンの二次元の画面では、授業がそのまま平行して続いているわけです。授業の途中でHMDを掛けたり外したりするわけですが、まだまだHMDのVRの世界だけですべてを完結することはできません。用途を限定してHMDを活用しているからこその有効性です。

 基本的に教材はVRと二次元の両方を整備しており、このVRコンテンツは既に何百時間分も作成して、アーカイブ化されています。リアルタイムでライブ配信をする授業もありますが、多くはオンデマンド配信での授業となります。

―― 他にはメタバースを教育にどのように活用できますか。

夏野 既に実現している取り組みですが、英会話の授業、そして面接やコミュニケーションの授業ではメタバースは高い教育効果を発揮しています。

 ここではずっとHMDを着用した状態で、メタバース内の外国人のようなアバターと英会話をします。英語が苦手な生徒も、自分のアバターになりきっていますので、リアルで対面した時よりも恥ずかしさを感じにくいそうです。

 またコミュニケーションに関する授業でもVRを活用しながらアバター同士で面接の模擬練習をしますが、リアルよりもリラックスして話せるそうです。そしてメタバース上で慣れた後で、リアルの面接で頑張ってもらいます。この授業は好評です。

―― 今後メタバース事業にはどのように取り組まれていきますか。

夏野 メタバースやVRに関しては、世界的にもドワンゴが進められることは多いです。そして、このテクノロジーの知見でいかに成果を出していくか、ということを胆に銘じてメタ社に負けないようサービスの開発を頑張っていきます。