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安倍政権のレガシー「働き方改革」はどこまで病巣に迫ったのか!?

サトーの女性社員

安倍政権の業績がクローズアップされている。その1つである「働き方改革」だが、表層的な問題は部分的に克服したが、根幹にメスを入れることができなかった。例えば労働生産性の低下や管理職のあり方だ。筆者が取材した企業や人事の専門家の声でそれを浮き彫りにしたい。文=ジャーナリスト/吉田典史(雑誌『経済界』2022年10月号より)

サトーの女性社員

中小企業に波及した残業削減マネジメント

 残業時間の削減は働き方改革のさまざまなメニューのうち、最も意味の深いものだ。日本企業の長時間労働は、1970~80年代から欧米先進国からも問題視されてきた。80年代後半には膨大な残業で心身に不調をきたし、死に至る「過労死」が海外でも話題となる。一方で90年代から、長い労働時間の割に成果や実績、業績が欧米先進国やアジアの国々の企業のそれと比べ、見劣りするようになり、労働生産性の低下が深刻化した。そんな状況下、働き方改革が言わば錦の御旗のようになり、残業時間削減を果敢に試みる事例が増えてきた。

 日産自動車の関連会社・日産車体(従業員1730人)は女性社員がより一層働きやすい職場をつくるために2015年から長時間労働削減に取り組んでいる。対象は総務や経理、人事、広報、開発、設計、生産技術などの間接員(正社員)。全部門共通の指標として「20時退社率」「深夜(22時以降)の残業回数」を掲げる。各部門では実情に応じて独自の目標を設定。その進捗や課題を全社で共有するために毎月1回、各部門の担当者が集まり、会議を開き、改善策を話し合う。

 毎週1回は各課で1時間程のミーティングを開く。個々の社員の仕事の棚卸しを行い、ムリ・ムラ・ムダを省き、残業を減らしつつ、生産性の向上も図る。22時以降の残業は17年から18年の2年間で38%減少。19年以降も引き続き減少を図っている。

 筆者の取材では働き方改革に取り組む大企業は残業を月平均10~30時間にまでは総じて削減できている。だが、業務プロセスの改革にはメスを入れていないケースが多い。日産車体は07年前後から業務プロセスの簡素化、効率化、合理化を進めた。特に業務の標準化の徹底、重複している業務の整理、全社の統合システムのバージョンアップだ。コロナウイルス感染拡大以前の17年に一部の社員に在宅勤務を認め、働きやすい就労環境を整備している。全社規模、各部署、個々の社員にまで丁寧にアプローチし、労働時間の管理や残業の削減を推し進めているのが特徴だ。

 働き方改革は長時間労働が慢性化する製造業の中小企業にまでタイムマネジメントを浸透させた。

 産業用・工業用ヒーターを製造するスリーハイ(正社員19人、パート・アルバイト21人)は18年に勤務間インターバル制度を導入した。終業から始業までの休息時間は9時間。11時間への延長も検討している。

 導入前の15~16年の月平均残業時間は40~50時間。4~8月の残業時間はほぼ全員が0~30時間で、繁忙期の9~3月は70時間前後になる社員が数人いた。導入後の20年の月平均残業時間は18時間。9~3月は月平均23時間前後になった。

 21年からは業績が拡大し、国内出張が増え、海外にも進出する。繁忙期は数人の残業が月45時間を超えるケースが増えつつある。「われわれは大企業のようなブランド力や訴求力のある製品、サービスを持ち合わせていない。労働時間が他社との差別化の大きな武器。可能な限り削減するが、ある程度の時間を投下することで競い合うしかない一面はある」(男澤誠社長)

 残業を美徳とする風土を刷新しつつあるのが、木元省美堂(正社員65人、パート・アルバイト6人)だ。当初は「受注中心の製造業だから残業は減らない」といった声が社内にはあったが、ソニー出身の木元哲也氏が14年に社長就任以降、大胆な試みを始めた。

 まず、全社員の勤務実績を記録する勤怠管理システムを導入し、部署長並びに個々がタイムリーに勤怠状況を確認できるようになった。各部署で年間の残業時間の目標を立てる。毎週1回、全管理職に部下の残業時間を知らせるメールを送り、仕事の現状や量を調整するように誘う。

 社員各自には毎月1回、労働時間の実績(前月比)をメールにて知らせ、意識づけを行う。18年5月からは週1回「ノー残業デー」を設け、社長自らが説明のために取引先を訪問し、理解を求めた。全社員へのアンケートを随時行い、時間管理や残業削減など、働き方改革を進めよりよき姿にするために改善を繰り返す。14~15年の一人当たり月平均残業時間は35時間で、19~20年は27時間にまで減った。

 3社のように社員の意識や経営風土の改革にまで挑み、労働生産性強化につなげる試みをする企業は実は少ない。人事コンサルティング会社・トランストラクチャのコンサルタントであり、同社の人事総務部長の久保博子氏が指摘する。

 「生産性を本気で上げるためには今までのやり方を抜本的に見直すことや、多様な人材を活用して成果を上げていく高いレベルのマネジメント力を有する管理職の育成が急務。だが、そこまで育成ができていない企業が多い。あるいは管理職に昇格する際の基準や評価が曖昧で、本来は管理職にはふさわしくない人を役職につけていることもある。一定レベル以上のマネジメント力がない管理職を管理職の役割から外すことは必要だが、そこまでの改革にはなっていないケースが目立つ」

コロナ禍が後押しした「出社しない働き方」

パーソルキャリア

 働き方改革では仕事をする時間や場所を働き手本人が実情に応じて選ぶことができる試みが本格化した。

 本人が働く場所を全国から選ぶことができる企業も現れた。人材紹介サービスのパーソルキャリア(正社員4268人)は21年4月に「フルリモートワーク制度」をスタート。一部の職種を除く全社員が対象で、一定の条件を満たした場合、結婚などライフスタイルの変化や私生活の事情などに応じて居住地を選ぶことができる。

 これまでは原則として所属するオフィスに通勤が可能な範囲に住んでいたが、「フルリモートワーク制度」により、北海道から九州までに約30カ所あるオフィスに通勤可能な範囲(片道2時間程度)に転居ができる。本制度が適用される社員は原則としてオフィスへの出社はないため、自宅で仕事ができる。22年7月までに154人が制度を利用している。

 国内や海外でマーケティングリサーチや市場調査を実施するマクロミル(正社員1137人)は、20年4月から全社員を対象に「出社を前提としない働き方」を就労スタイルとし、約9割の社員がリモートワークをしている。

 在宅勤務になり、情報共有が難しくなることを想定し、各部署や個々の社員の仕事の可視化を徹底してきた。Microsoft Teamsでは、仕事の現状や進捗共有が盛んに行われる。社内プラットフォーム(イントラネット)の「NOW」には、他部署の社員の仕事の様子が紹介される。

 DX推進室を設け、全社員のリモートワーク推進や各部署の業務のあり方をDXの観点から見つめ直す。全社員向けの動画「DXTV」を現在までに44本制作し、配信。1本平均15~20分で毎回、リモートワークに役立つテーマを設定。22年8月からは、週2日はオフィスに出社する態勢に改めた。共有意識をより高め、労働生産性向上につなげる

 テレワークの波は、中小企業にも及ぶ。企業や個人の財務のリスクマネジメントや損害、生命保険のコンサルティングを手掛けるピー・アール・エフ(正社員15人)はオフィスへ出社するスタイルと、テレワークのハイブリッドを続ける。

 バックオフィスの4人(顧客対応のCSR2人、総務2人)は週1~2日がテレワーク、週3~4日がオフィスに出社。全員が、通勤ラッシュなどの過密を避けるために時差出勤をする。営業の5人も状況に応じて使い分けるが、テレワークはバックオフィスの4人よりも多い。営業の1人は一時期、Zoomなどのオンラインツールを使いこなせなかったが、社長らから「昭和の営業スタイルのままでは好ましくない」との指摘を受け、苦しみながらもマスターした。

 久保氏は、テレワークの問題点を挙げる。「部下と一緒にいる時間が減り、人事評価が難しくなったと言う管理職が増えてきたが、その認識に問題がある。まず、管理職は部下に仕事の内容や期待値(求めるレベルなど)をきちんと説明し、納得をさせる。そのうえで成果や実績が上がるように指導、育成をしていく。このマネジメントの姿勢はテレワークでも、オフィスでの仕事でも同じ。テレワークにより部下の評価ができないのは、マネジメントのあり方やそのレベルに問題があることが考えられる」

働き方は変わっても数の減らない管理職

 女性の管理職育成は1970~80年代以降、一部の学者が唱えてきたが、掛け声倒れになっている。働き方改革の功績は女性の管理職が全管理職に占める比率の数値目標を掲げ、経済界に促すなどして踏み込んだことだ。

 だが、大企業や中堅企業、ベンチャー企業の多くは女性の管理職数を増やすことに力を注ぐが、経営風土の改善にまではたどり着けなかった。

 その中で社員の意識や風土を変える試みをしていた点で強く印象に残るのが、バーコードやICタグなどの自動認識ソリューションを手掛けるサトーホールディングス(連結正社員5656人)のグループ会社のサトーだ。

 過去の取材時の18年、国内グループ全体の正社員が1961人で、管理職は615人。そのうち、女性は50人で、管理職全体に占める比率は約8・1%。大企業のメーカーとしては平均的な数字だろう。同社は女性の管理職を急きょ増やすことはしていなかった。〝人事の公平性を保つためにも男性社員も含め、管理職になるべく社員が昇格すべき〟と人事の実務責任者は考えていた。

 管理職を着実に、堅実に育成をしていると言える。その施策の1つが、「シャドウイング」だ。管理職の候補もしくは管理職になったものの、まだ経験が少ない女性社員が例えば、部長などと一定の期間(約1カ月程)、行動を共にする取り組みだ。シャドウ(影)のようにそばで観察することで、管理職というポジションの意味や仕事、やりがいや責任を感じ取ってもらう。

 この取り組みと並行し、男性の管理職がスタッフ・リーダーなど非管理職の女性社員から話を聞く「傾聴会」を開いた。テーマは、管理職について思うことや今後のキャリア形成など。一方、男性の管理職(この場合は部門長)15人も「時短トライアル」を1~2週間経験した。仕事の量はこれまで通りにして、通常の8時間勤務を2時間減らし、6時間勤務で帰る。短時間で働く女性社員の立場で考えるためでもある。22年4月には、女性の執行役員2人が誕生した。

 サトーのようなケースも、実は少ない。久保氏は自らのコンサルティングの経験をもとに語る。「女性管理職を増やすことは好ましいが、女性管理職を増やすために社内以外に、社外からもハンティングで雇っていた事例はある。管理職に昇格させても、部下のいない管理職だった事例もある」と指摘する。そのうえで「部下のいない管理職は、通常は管理職とは言わない。厳選して管理職にしないと、実際は女性の比率は上がらない」。

 人事コンサルタント歴40年を超える明治大学客員教授の林明文氏は「業績や正社員数を考えると、大企業や中堅企業の多くは管理職の数が多すぎる」と指摘する。

 「総額人件費の厳格な管理をしているならば、管理職は全社員の1割以内に選ばれた人。高度な管理能力や経営能力を持っているはず。グローバル化やダイバーシティ(多様性)、デジタル化が進み、難しい技能が求められる。誰もができる時代ではない。ところが、大企業や中堅企業の管理職は全社員の3~4割で、欧米企業は1割~2割。この膨大な人件費は大きな負担になる。競い合う前に、日本企業は負けている。性別にかかわらず、管理職は増やすのではなく、適正数にまで減らすべき」

 私たちは働き方改革の多様なメニューやそれに取り組む企業の動きに目を奪われ、深刻な病巣にメスを入れない姿勢を問題視してこなかったのかもしれない。これも安倍政権のレガシーなのではないか。