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腰が重い岸田首相と急ぐ高市担当相。セキュリティ・クリアランス制度導入へ

政府の機密情報を扱う資格者を認証する「セキュリティ・クリアランス制度」が導入に向けて動きを早めている。岸田首相は慎重に進めようとしているが、舵取り役の高市早苗経済安全保障担当相は「一刻も早く制度化するためにスピード感を持って議論を進める」と鼻息が荒い。文=経済ジャーナリスト/芳賀由明(雑誌『経済界』2023年6月号より)

「速やかに進めたい」岸田首相にさや当て

 2月22日に第1回会議を開いた「経済安全保障分野におけるセキュリティ・クリアランス制度等に関する有識者会議」は3月27日にすでに第3回目を開き、日本が手本とする米国のセキュリティ・クリアランス(SC)制度に関する検討を行った。高市担当相は設置時に「会議は月に1、2回開く」と話していたが、総務相時代の放送法の解釈を巡る国会答弁に振り回されるなか、会議の議論は滞りなく進み、構成員からは「1年かけて議論というがそんなに悠長に構えていいのか」など、制度化を急ぐべきという声も聞かれた。

 そもそも同制度の導入を巡っては、2022年5月に成立した「経済安全保障推進法」に盛り込む動きもあったが、個人情報保護など慎重な意見を気にして岸田首相が及び腰となり、高市担当相に先走らないよう釘を刺した経緯がある。

 有識者会議の設置を決めた2月14日の経済安全保障推進会議で、岸田首相は「情報保全の強化は、同盟国や同志国との円滑な協力のために重要で、制度を整備することは国際的なビジネスの機会の確保にもつながる」と説明した。

 しかし「1年程度をめどに検討を進める」と岸田首相が記者団に述べたのに対して、高市担当相は同日の記者会見で、制度化に向けた法案の提出時期について問われ、「『1年後』というわけではなく、できるだけ速やかに進めたい」と強調。早くも時期を巡るさや当てを演じてみせた。

 SCは、国家の安全保障に関連する機密情報へのアクセスについて資格を付与された研究者や技術者、政府職員らに限定する仕組み。AIや量子技術などの機密情報に接する関係者に資格を付与して、軍事転用可能な技術や民間の国際競争力に関わる重要な情報が国外に流出することを防ぐ狙いがある。また、先端技術に関する国際的な共同研究への参加にも必要な制度であり、民間企業からも制度化を急ぐべきとの声は多い。

 政府内にも温度差があるなか、SC制度化を進める高市担当相は取材に対して、「総理は私に、有識者会議を立ち上げ今後1年程度をめどに可能な限り速やかに検討作業を進めるよう指示された。スピード感を持って対処していきたいと考えており、現時点で今後の具体的なスケジュールを示すことは難しいが、有識者会議を月2回ペースで開催するなどして、できる限り速やかに検討を進めたい。総理は『1年程度をめどに可能な限り速やかに』と言っているのだから、半年でもいいのよ」と持論を展開してみせる。

 しかし、高市担当相だけが制度化に前のめりになっているわけではない。実際、有識者会議では日本労働組合総連合会の構成員が慎重な検討を求めた以外は総じて早期の制度化に前向きだったようだ。

 ある構成員は「1年をめどという話だが、例えば6月に示される予定の政府の骨太の方針の中で、ある程度の方向性を盛り込むぐらいのスピード感が必要だ」と指摘した。

 企業や研究者は、欧米各国で導入されているSC制度が導入されなければ、国際的な生誕技術分野の共同研究開発プロジェクトから日本だけが除外される懸念が現実味を帯びているからだ。

 IBMから2ナノメートル半導体の製造に向けた技術供与を受ける日の丸半導体連合ラピダスの事業計画についても、経済産業省は「SCの制度化が遅れると、将来の情報共有で支障が出る可能性もある」(商務情報政策局)と心配する。高市担当相は企業などが抱く懸念を以下のように考えている。

 「諸外国のSCは、国家における情報保全措置の一環として、政府が保有する安全保障上重要な情報にアクセスする必要がある者に対して、政府による調査を実施し、信頼性を確認した上でアクセス権を付与する制度であり、特別の情報管理ルールを定めることが通例となっている。この前提に立てば、民間が保有する情報や技術を適切に保護するためにどのような対応が有効かということも必要な論点になると考えている。私自身、全国各地へ赴いた際、事業者の方々のお話を聞かせていただいている。例えば、日本ではSC制度がなく日本企業の従業員にSCが認定されていないためにビジネスに必要な重要情報を得られない、海外における政府調達や企業間取引で不利な状況に直面した、といった例なども聞いている」

スパイ天国の汚名返上。情報だだ漏れに危機感

 SC制度を急ごうとする理由は、情報共有や企業の国際ビジネス支援のためだけではない。高市担当相も述べているように、より重要なことは、国家の重要機密や先端技術情報に対する諜報活動を阻止する「国家における情報保全措置」である。スパイ活動防止法に匹敵する実効性のある制度がなく「スパイ天国」と揶揄されている日本が、情報流出に歯止めをかけるためにもSC制度は一丁目一番地といえるものだ。これも高市担当相がSC制度化を急ぐ大きな要因でもある。

 取材では「日本の誇るべき技術が、外国のスパイにより流出してしまうことはあってはならないことであり、スパイ活動を阻止するためには、事件の取り締まりはもちろんのこと、事業者の方々に対する丁寧な情報提供も必要だ。現在、政府では産業スパイ事案をはじめとする技術流出の手口やその有効な対策などに関する企業への情報提供を進めているが、このような取り組みを通じて、企業内で経済安全保障に対する意識が醸成されていくことも重要だと考えている」と話したが、実際にはかなり強い危機感を抱いている。

 昨年6月、フジテレビ系『日曜報道 THE PRIME』で、高市担当相は「中国の国家情報法や会社法、中国共産党規約などを見ると、中国人民は国家情報工作に協力する義務がある。不正競争防止法では対応できず、情報はだだ漏れだ」となすすべのない情報漏洩大国の現状を力説した。

 それゆえ、「経済安全保障推進法にスパイ防止法に近い物を入れ込んでいくことが大事だ」というのが持論でもある。

 一方、SC制度では、適格性の認証には、職歴や国籍、出身地など個人情報の開示が求められるため、個人情報保護の観点から制度導入に懐疑的な意見もある。有識者会議でも「特定秘密保護法との関係をどうするのか」とか「プライバシー保護への配慮が必要だ」などという慎重論も出た。岸田首相がSC制度化に腰が重かったのも、これら反対勢力の増大による支持率低下や統一地方選への影響を懸念したためといわれている。

 その点に関しては、高市担当相も一定の配慮を示す。「産業界には制度へのニーズがあり、諸外国から信頼され通用する制度にすることが重要、といった肯定的意見が複数あったが、ご指摘のとおり、一部の有識者から、既存の制度との整理が重要だとか、プライバシーへの配慮も重要、といった意見もあった。これらは実効性のある適切な制度を整備するに当たっての留意事項として受け止めている」

 高市担当相らは当初、同制度を盛り込んだ推進法改正案を今国会中に提出する方向で準備を進めてきた。ただ、資格を取得する際には親族や交友関係なども審査対象となることも想定されるなど個人情報保護の面で問題も指摘され、提出に向けた作業が行き詰まった経緯がある。これらの問題点の整理と対応策も有識者会議の重要な論点となりそうだ。

手本は米国の制度。運用体制も課題に

高市大臣
高市大臣

 3月27日に開かれた第3回有識者会議では、日本版SC制度に向けて、日米安保条約も踏まえ米国のSCを軸に国際的な整合も視野に検討を始めた。今後、制度の実効性を担保するためにどのような運用体制を整備するかも課題となる。自民党経済安全保障推進本部の甘利明本部長はSC審査のために第三者機関の創設を提唱している。

 高市担当相の問題意識もこの点にある。「経済安全保障分野におけるSC制度を確立するからには、少なくとも同志国、友好国との間で通用するものにならなければならないと考えている。何をもって、『通用するもの』というのかといった論点もある。今後、議論を積み重ねていく中で、SCの実効性を担保するためにどのような措置が考えられるかということについても、有識者の意見を踏まえながらしっかり検討していく」

 ただ、諜報活動に対する協定を結んでいるファイブアイズ(米、英、カナダ、豪州、ニュージーランド)と違い、対中国規制についても米国と完全に歩調を合わせるのは難しい。どこまで協調できるのかは悩ましいところでもある。

 米国商務省は昨年10月、中国向けのAI処理用やスーパーコンピューター向けの半導体および半導体製造装置に対する事実上の輸出禁止措置を発表したが、日本は半導体製造装置の輸出禁止に踏み切るのに半年かかった。

 高市担当相は「わが国も、国際的な平和および安全の維持の観点から、かねてより、米国を含む関係国と、国際輸出管理レジームや2国間を含むさまざまな場で意思疎通を行ってきており、国際的な協調の下、外為法に基づく厳格な輸出管理を実施している。この方針の下、米国を含む各国の規制動向等も踏まえ、引き続き適切に対応していく」と説明する。

 米国の〝対中全面経済戦争〟ともいうべき局面で、どのように同盟国、友好国との情報連携を実効性のあるものに深化させられるか。勉強家だが勝ち気で敵も少なくない高市担当相。日本版SC制度化に向けた突破力の真価が問われるところでもある。