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欧州完全EV化の先送りで日本車メーカーに吹いた追い風

欧州連合(EU)が、2035年以降、内燃機関(エンジン)を搭載した自動車の新車販売を禁止する方針を見直した。電気自動車(EV)化戦略の大転換で、エンジンへのこだわりが強いトヨタ自動車など、日本の自動車メーカーへの追い風となる可能性も指摘されている。文=ジャーナリスト/立町次男(雑誌『経済界』2023年6月号より)

エンジン車全廃に抵抗したドイツメーカー

 EUはもともと、地球温暖化防止に向けた温室効果ガス削減策の一環として、エンジン車の新車販売を2035年以降は禁止する方針だった。主導した欧州委員会の提案について22年6月、欧州議会とEU理事会が支持を決めた。同年10月には欧州議会とEU理事会が35年に全ての新車の排ガスゼロ化について暫定合意し、この方針は堅持されるとの見方が支配的だった。

 しかし、土壇場で歴史的な方針転換が行われ、温暖化ガス排出が「実質ゼロ」となる合成燃料を使う場合、例外としてエンジン車販売を認めることになった。その背景には、欧州委員会の方針に強く反対してきた自動車大国ドイツの存在がある。フォルクスワーゲン(VW)やダイムラー、BMWなど欧州を代表するメーカーを擁するドイツの懸念は、これまで築いてきた産業競争力が弱まることや、エンジン、トランスミッション関連など、EVでは不要になる部品の製造に携わる雇用が失われることだった。ドイツ自動車産業連合会はEV充電インフラの整備が十分ではないとして、35年のエンジン車販売禁止に反対。ドイツの政権与党である自由民主党(FDP)も、EVへの完全移行は「選択肢を狭める」と主張し、業界に同調した。 また、欧州自動車部品工業会は21年12月、EVに完全移行する規制が自動車部品産業の雇用に与える影響に関する調査結果を発表。35年までにエンジン車が段階的に廃止された場合、関連部品の生産に関わる50万人の雇用が失われるとした。このうち70%の約36万人が30~35年の5年間で仕事を失う可能性が高いと指摘した。当然、欧州で最も大きな影響を受けるのはドイツだ。

 欧州委員会とともに完全なEV移行を主張するフランスとドイツとのつばぜり合いが激しくなってきたのは今年に入ってからだ。欧州委員会は、50年までに温暖化ガス排出量を「実質ゼロ」とする目標に向け、EUがEVシフトで世界をリードするべきだと主張。法案は2月に欧州議会で承認され、3月のEU閣僚理事会で最終的に決める予定だったが、ドイツが土壇場になって反対し、採決が延期された経緯がある。

 ドイツは、合成燃料を使うエンジン車については、35年以降も販売を認めるよう要求した。イタリアやポルトガル、ポーランドなども法案に反対した。3月13日にはこれらの国の運輸相らが会合を開き、結束を示した。ドイツのウィッシング運輸デジタル相は「政治で技術を規制するより、未来の発展に道を開くべきだ」とツイッターで発信した。

 これに対し、フランスのルメール経済財務相は同日、仏テレビで「法案の見直しは、環境、経済の両面で悪い影響をもたらす」として、産業転換を急ぐためにも法案を変えるべきではないと訴えた。スペインも法案見直しに反対の立場を取り、EU内は分断の様相が強まった。

 交渉を続けた結果、3月25日にドイツ政府とEUの欧州委員会が、35年以降も条件付きでエンジン車の新車販売を認めることで合意。二酸化炭素(CO2)と水素で製造する合成燃料を使用する場合に限って容認することで折り合った。

方針転換を歓迎した西村経済産業大臣

トヨタイムズ
トヨタイムズ

 環境担当として欧州の自動車規制を統括する欧州委員会のティメルマンス上級副委員長はツイッターで「われわれは将来の合成燃料使用でドイツと合意に達した」と表明。FDP出身のウィッシング独運輸デジタル相も、「CO2の排出量が実質ゼロになる燃料だけを使う場合、35年からもエンジン車が許可される」と説明した。そして3月28日、EUはエネルギー関係の閣僚理事会を開き、合成燃料を使う場合、例外としてエンジン車販売を認めることで正式合意した。独メディアによると、ウィッシング氏は24年秋までに手続きを完了したい考えという。

 それでもEUは全体としてEVへの移行を進める方針は堅持するとしている。

 この方針転換を受けて、環境団体は「欧州のEV移行を遅らせる」と反対を表明。一方、西村康稔経済産業相はツイッターで、「合成燃料も選択肢の一つ。合成燃料は既存インフラ活用可能であり、グリーンイノベーション基金など通じ応援する」と歓迎した。
 日本ではなじみの薄い合成燃料だが、資源エネルギー庁はすでに、合成燃料の導入を促してきた。50年の「カーボンニュートラル」実現に向けてGX(グリーントランスフォーメーション)基本方針を策定。その中で、自動車や都市ガスなど合成燃料分野に今後10年で3兆円を投じる方針だ。航空機や船舶への活用が見込めることも、政府が推進する理由の一つだ。

 合成燃料はCO2と、太陽光や風力などの再生可能エネルギーでつくった水素を合成して作る液体の燃料で、実はCO2を全く排出しないわけではない。工場の排出ガスや大気中から回収したCO2を利用する技術で、ガソリンの代わりに使うことができる。排出する一方、CO2を再利用することから相殺され、排出は「実質ゼロ」とされるわけだ。EVのように充電施設を新設する必要がなく、既存のエンジンやガソリンスタンドを使えることが強みだ。

 自動車産業への配慮から、EVへの完全移行を押しとどめたドイツと同じような内情を持つ日本。特にトヨタ自動車は脱炭素化に向けて消費者に多様な選択肢を提供することを優先してきた。

 トヨタは合成燃料を使用したスポーツカー「GR86」でスーパー耐久レースに参戦。こうした取り組みを22年、自社メディアの「トヨタイムズ」で紹介し、合成燃料について詳しく説明していた。

 一部報道によると、トヨタモーターヨーロッパの中田佳宏社長は、「大きな流れが変わったとは思っていない。小さな一歩だが、現実を踏まえて変化が起きた」と話したという。また、4月1日付でトヨタ社長に就任した佐藤恒治氏も、「多様な選択肢があるという認知が高まったのは非常に良いこと」と歓迎。合成燃料を使用するエンジン車を容認する動きが広がれば、トヨタにとって追い風になりそうだ。

合成燃料の生産コストをいかに下げるかが課題

 トヨタはガソリン車やハイブリッド車(HV)など、内燃機関を搭載した車を重視する姿勢だ。このため、海外メディアなどから「EVに出遅れている」と指摘されてきたが、EVだけでなくHVや燃料電池車など、さまざまなエコカーを揃える「フルラインアップ」で脱炭素を進める姿勢を堅持してきた。

 また、エンジン車で3万点とされる部品点数がEVでは2万点に減るとされ、EVシフトにより「ケイレツ」としてトヨタを支えてきた多くの部品メーカーが、苦境に陥りかねないという事情も背景にあるとみられる。特にHVは1997年投入の「プリウス」で新市場を切り拓いたという自負もある。ガソリン車やHVで世界有数のメーカーになったトヨタにとって、過去の成功体験を捨てることは容易ではない。

 もっとも、EVシフトの勢いが弱まるかどうかは予断を許さない状況だ。合成燃料の最大の問題は生産コストで、現時点ではガソリンの数倍とされる。航空機や船舶など、大きすぎて電動化しにくい乗り物に優先的に使われることもあり、EVに代わって環境車の〝本命〟となるのは難しいという見方が強いからだ。コストの差が縮まらなければ、合成燃料を使ったエンジン車はスポーツカーなど一部の愛好家が楽しめるジャンルにとどまる可能性もある。

 コスト高の要因としては、水素を供給するインフラが十分でないことがある。ただ、日本政府はカーボンニュートラル実現に向け、水素の国内導入量を本格的に増やしたい考えだ。発電や製鉄などに使われるようになれば水素の供給量が増え、合成燃料の一定のコスト低下にもつながる公算が大きい。合成燃料に使用する水素は、再生可能エネルギーによって水を電気分解したもの。再エネで遅れている日本は現時点では海外から輸入する必要がある。しかし、再エネ普及が進めば内製が可能になり、合成燃料の拡大にもつながる。

 また、環境への意識が強く世界の気候変動対策をリードし、中国に続いてEVシフトを重視してきたEUが、限定的とはいえ、将来のエンジン車販売を認める方針に転換したことの影響は大きい。これを〝風穴〟として、EV以外の選択肢に関する議論が活発化する契機になり得る。

 VW傘下のポルシェは昨年末、チリで合成燃料の生産工場を稼働させた。国内自動車メーカーにも、SUBARU(スバル)やマツダなど、EVに取り組みつつも、内燃機関へのこだわりを持ち続けている会社は多く、合成燃料に関する各社の動きは加速しそうだ。