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2年間磨いた経営品質を武器に反転攻勢に舵を切る 隅野俊亮 第一生命保険

隅野俊亮 第一生命保険

この4月に第一生命保険社長に就任した隅野俊亮氏は、反転攻勢を宣言した。この2年間、同社は不祥事に揺れたが、この間、経営品質を磨くことに費やしたと振り返る。その経営品質をどう業務に反映していくのか。そして隅野社長にとっての仕事の醍醐味とは――。聞き手=関 慎夫 構成=佐藤元樹 Photo =横溝 敦(雑誌『経済界』2023年10月号より)

隅野俊亮 第一生命保険社長のプロフィール

隅野俊亮 第一生命保険
すみの・としあき 千葉県出身、1992年第一生命保険入社、入社後ニューヨーク大学ロースクールを経て、主に資産運用、経営企画等の企画管理に従事。2010年の株式会社化には検討初期段階から関わり、社内体制整備や上場準備、資本政策・IRの設計をゼロから担当し東証一部上場を果たす。14年のプロテクティブ買収にも検討初期から関与した。23年4月に第一生命社長に就任。

元営業職員による不祥事からの再生

―― 第一生命は2016年に持ち株会社制に移行、第一生命ホールディングス(HD)に事業会社の第一生命保険がぶら下がる形になりました。今まではHD社長が事業会社社長を兼務していましたが、今回初めて、HDと事業会社の社長が別々になりました。この人事は前から決まっていたことですか。

隅野 そこは指名諮問委員会が中心になって議論し、決めたことですが、私は経営企画担当役員として持ち株会社化にも関わりました。体制が定着すれば事業領域も広がっていきますので、それが一定の段階に達すれば、それぞれの役割も以前とは変わるだろうと、当時から考えていました。そのタイミングが今だったということだと思います。

―― 第一生命は2年前に営業職員による金銭不正授受事件が相次ぎ発覚しました。それも影響していますか。

隅野 それは全く関係ありません。ただし、これについては非常にショッキングなことでしたし、経営陣として責任を重く受け止めています。そのために経営品質の刷新に取り組み、コンプライアンスの徹底を進めてきました。その結果、営業活動や組織運営を抑制せざるを得なくなり、前期の営業業績は低迷しました。

 それでも雨降って地固まると言いますが、この2年間、懸命に立て直しを図り、経営品質を磨いてきました。ですからこれからは、この経営品質を競争力の源泉として、新しいフェーズに入っていきたいと考えています。

―― 経営品質が競争力になるというのはどういうことですか。

隅野 第一生命はこれまで、お客さま本位を大前提として会社を運営してきましたが、しかしそれができていなかったという現実を突きつけられた。そこで過去に例がないほどの「棚卸し」を行いました。足元を見つめ直し、お客さま本位とは何か、課題に直面した時の判断基準は何か、役員で何度も合宿をし、研修、ディスカッションを繰り返してきました。非常に痛みを伴うものでしたが、このプロセスを経たことで、改めてお客さま本位の生保会社とはどうあるべきなのかが確認できたと考えています。

 具体的には、お客さま本位を示す指標として21年度からNPS(顧客推奨度)を導入しました。これはお客さま満足度のみならず、お客さまの潜在的な声の把握などを通じて、お客さま目線で企業活動の改善を推進するための指標です。NPSを上昇させるには、「これならほかの人にも第一生命をお勧めできる」と思ってもらわなければなりません。そのためには商品力や生涯設計デザイナー(営業職員)の親密度や丁寧度、すべてを高める必要があります。これが2年間でかなり定着してきましたので、今後は成果につながると信じています。

同じ方向を向くために始めた「全国行脚」

隅野俊亮 第一生命保険2
隅野俊亮 第一生命保険2

―― そのためには営業職員の「品質向上」が不可欠ですが、生保各社は、営業職員が定着しないターンオーバー問題に苦しんでいます。第一生命ではどう対応していますか。

隅野 当社ではコロナ禍の前から、営業体制におけるロールモデルの確立に取り組んできました。職員の定着率を高め、スキルアップにつなげていくため、職員採用時にSPIを導入して職員適性を厳格に見極めるとともに、採用数の上限を設けております。辞めるのを前提に大量の職員を採用するのではなく、厳選した職員に対して、1年間みっちり教育するとともに、入社後5年間の給料を安定化させることで定着につなげています。実際、この制度のもとで採用した職員は、スキルもロイヤリティも高く、在籍率も向上の兆しをみせています。

 同時に職員の負担を減らす意味でもAIの導入は不可欠です。保険引き受けの可否の判断や契約の手続きなどのアンダーライティング分野において、AIによる省力化に力を入れていきたい。

―― 生保では商品の多様化が進んでいます。それに対応する意味でも、今後さらにAIが進化したら、営業職員はいらなくなりませんか。

隅野 AIがさらに進化していくのは間違いありません。当社も適材適所でAIを活用しています。

 だからといって生涯設計デザイナーの代わりが務まるとは思いません。今話題の生成AIにしても、出された問いに対してもっともらしいアウトプットはできますが、あくまで確率論の回答です。生保のお客さまは、一人一人事情が異なります。それに対して確率論で答えることはできません。何より、契約していただくには、お客さまと生涯設計デザイナーとの信頼関係が前提にあります。仮にAIが同じような提案を行ったとしても、信頼度はまるで違うと思います。

―― 守りから攻めに転じるには社員の意識改革も必要です。

隅野 その意味で今年度は非常に重要です。すでに社内で設定したKPIに向けて歩みを進め、結果も出てきていますが、課題もあります。何より重要なのは会社として舵切りをしたわけですから、その方向に対して社員全員が腹落ちして、目線を合わせて、全力投入していく必要があるということです。そのためこれまでの厳しい2年間に対して職員に感謝するとともに、それがこれからの競争力につながるのだと伝える必要があります。そこで社長就任から今まで、時間をつくっては現場に足を運び、職員に直接語りかけています。

―― すべての現場を回るのですか。

隅野 今までは主要都市を中心に回ってきました。7月から地方都市部も回り始めました。3代前の斎藤勝利社長は全支社を回ると宣言しましたが、達成するまで6年以上かかりました。それだけ時間のかかることですが、できれば斎藤同様、同じ心持ちで臨んでいきます。

数々のプロジェクトに携わった第一生命への想い

―― 隅野社長のこれまでの第一生命人生において、特に印象に残っているプロジェクトは何ですか。

隅野 1つは株式会社化と上場です。株式会社化は10年でしたが、それ以前に水面下で検討していた時からメンバーの1人として参画していました。その後、前社長の稲垣(精二・現第一生命HD会長)が推進の責任者になりましたが、私は財務担当者としてサポートする立場でした。08年のリーマンショックで第一生命も大きなダメージを受け、本当に株式会社化が実行できるのか、実行するためにどういう財務手当てをして難局をどう乗り切るのか、不安で夜も眠れない日々を過ごしたのを覚えています。それでも当時の社長である斎藤が「絶対にやる」と決断したため、劣後ローンを銀行シンジケートから調達し返済するなどの苦労もありました。

 しかも、それまでの相互会社は資本金ではなく基金によって成り立っていました。株式会社化するにはこの基金も返済しなくてはならない。この返済オペレーションも振り返ってみれば大変な作業でした。こうした大プロジェクトを、社員が一致団結で乗り切ったこと、その一翼を担ったことは得難い経験でしたし、そしてその決断をした経営陣には大いなる敬意をもっています。

―― 当時、ご自身が社長だったら、同じ決断はできましたか。

隅野 株式会社化に踏み切ったのは、今後数十年、数百年にわたり持続できる会社の形態としてどうあるべきかと考えたためです。そして、この決断が将来世代の利益になるかどうか。その想いは当時の経営陣も私も同じです。ですから、私が当時社長だったとしても同じ決断をしていたと思います。

 もう1つのプロジェクトは、アメリカのプロテクティブの買収です。このプロジェクトも初期の段階から携わっており、第一生命の変革を強く促す大ディールでした。買収の調印をするまで作業に追われ、最後の2日間は寝る暇もなかった。それでも調印されて世の中に公表された時は涙が出そうになるくらいうれしかった。