経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

がん大国からがん“克服”大国へ。ベンチャーの躍進に刮目せよ

(雑誌『経済界』2023年11月号 巻頭特集「ベンチャーが導く『がん治療』革命」より)

製薬会社の競争は熾烈に 高まるがん治療への熱量

 今や日本人の2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで死ぬという。日本が「がん大国」と言われるようになって久しいが、その分日本ではがん治療の研究も盛んになりやすいという見方もできる。日本経済新聞は6月、パテント・リザルトの集計で、2000〜22年の間に日米欧の主要3地域で特許出願されたがん治療関連技術について、競合他社からの注目度などで特許の競争力を総合的に算出したスコアで日本が首位になったと発表した。かつて首位だったアメリカを21年に追い抜いた形だ。
 がん治療の定石は、手術療法、化学療法(抗がん剤)、放射線療法の三大療法だ。しかしこれらの治療法では、どうしても患者の体に何らかのダメージが発生する。
 手術療法では、当然のことだが体にメスが入るため、術後にそれなりの回復期間が必要になる。また、病巣部周辺の臓器も大きく切除せざるを得ない場合、術後の生活に支障を来すこともある。がん治療薬の中でも、がん細胞を直接攻撃する抗がん剤の投与は、強い副作用を及ぼすことが多い。吐き気や脱毛などが有名な症状だが、こうした症状は患者の身体だけでなくメンタルにも大きく影響する。また放射線療法は、比較的身体へのダメージや副作用が少ない治療法とされているものの、がん細胞の近くの正常細胞、組織を再生させる肝細胞まで壊死してしまったり、皮膚に痕が残ったりすることがある。
 医療業界では、こうした副作用や正常組織への影響を軽減しながら、効果の高いがん治療を行うための研究が盛んだ。特に、製薬会社によるがん治療薬開発競争の激化はとどまるところを知らない。
 米医薬コンサル大手IQVIA(アイキューヴィア)の統計によると、22年度の国内医薬品市場で抗腫瘍剤の売上金額は、全疾患領域で最大となる約1兆7839億円。第2位に続く糖尿病治療剤(約6758億円)の2・6倍以上だ。
 大手企業では、中外製薬ががん領域製品で国内シェア1位を誇るほか、第一三共も英アストラゼネカと提携し、抗体薬物複合体(ADC)と呼ばれる技術を使った新しい抗がん剤の開発に力を入れる。武田薬品工業もオンコロジー(がん)領域を重点領域のひとつに挙げているなど、まさに混戦を極める。

医療ベンチャーの強みは大手に負けない開発力

 しかし、今までにない革新的な治療法を編み出すことにかけては、スタートアップ、ベンチャー企業の躍進も目覚ましい。
 例えば近年、冒頭で挙げたがん三大療法に「免疫療法」を加え、四大療法とされることがある。免疫療法とはその名の通り、体の持つ免疫機能を利用してがんを攻撃させることを狙う治療法だ。その中でも「CAR-T(カー・ティー)細胞療法」は、19年から保険適用されるようになったばかりの新しいもの。患者の血液から免疫細胞(T細胞)を取り出し、CARと呼ばれる遺伝子を導入することで、がん細胞の目印となるタンパク質を認識するように加工する。こうして作られた「CAR-T細胞」を患者に注射し直すことで、免疫にがん細胞を攻撃させる治療法だ。国立がん研究センター発ベンチャー、ノイルイミューン・バイオテックは、「PRIME CAR-T細胞療法」と名付けた技術をもって、武田薬品工業や中外製薬とライセンス契約を締結している。同社は6月28日に東証グロース上場も果たしているが、ここからもがんの新治療に集まる注目の大きさがうかがえる。
 だが、市場が伸びれば伸びるほど、そこに便乗した悪質なビジネスも横行する。医療分野で代表的なのが、「シリコンバレー史上最大の詐欺」と言われた米バイオベンチャー、セラノスの事件だ。エリザベス・ホームズが19歳で創業した同社は、「たった1滴の血液で200種類もの病気の有無を調べられる」と謳い、時価総額は一時90億ドルにも達した。著名な投資家たちも同社に多額の投資を行い、ホームズは「第二のスティーブ・ジョブズ」とまで呼ばれた。
 しかし15年、同社の計画は架空のものであったことが発覚。ホームズは一般市民や投資家を欺いたとして、禁錮9年7カ月の実刑判決、釈放後3年間の監視および罰金を言い渡された。ホームズは当初「患者が毎日家庭で手軽に病気の有無を確かめられるツール」を作ったと語っていた。それを聞いて安心感を抱いた人は多かったはずで、彼女の得た資金調達額や評価は、セラノスのデバイスに対する期待感からもたらされたものだ。それだけの思いを逆手にとった詐欺だったからこそ、強い糾弾を受けた。
 がんについても、効果の証明されていない民間療法を使った悪質なビジネスなどは枚挙にいとまがない。こうした不確実な治療法の横行を防ぎ、がんを「正しいアプローチを踏めば治せる病気」として周知していくためにも、より効果の高い治療法の開発が急がれる。
 本特集では主に、がん三大療法のさらなる進化に貢献、もしくは全く新しいアプローチのがん治療・検査法を確立させるべく邁進するベンチャー企業を取り上げる。この中からがんを「治る病」により近づける企業は出てくるか。そして彼らの取り組みで、日本を「がん大国からがん〝克服〟大国へ」昇華させられるか。文=小林千華